母子草の賦(連載第6回)
幼い姫がお家再興を目指す和風ファンタジーです。ヤングアダルト向けっぽい感じでしょうか。連載10回くらいで完結…の予定です。〈全文無料公開〉
第四章 不実の山
1
「なあ、一度盛り場へ寄らぬか、勘吾」
「さては白粉のにおいが恋しゅうなったな」
白々しく提案する右京に、勘吾はにやりと笑った。たちまち久兵衛が勢い込んで賛同する。
「わしも煮しめをさかなに、酒が飲みたい」
十蔵が肩をそびやかした。
「ふたりとも何を申しておるのだ。さっさと魔物を退治して残りの半金を頂戴し、神に願いをかなえていただかねば」
「金の亡者めが」
「うるさい、女たらし。そのうち女子で身を滅ぼすぞ」
口をとがらせる十蔵に、右京はふふんと鼻をならした。
「お前のようなちびに女は寄って来るまい。金に執着するしかしようがないものな。かわいそうに」
「なんじゃと」
十蔵が腕まくりをする。
「まあまあ、ふたりとも」
勘吾が割って入った。
「ややっ、あんなところに人家があるぞ。夕餉の支度をしておるのかのう。煙が立ち昇っておるわ……。これはひょっとすると、何かうまい食いものを分けてもらえるやもしれぬ」
舌なめずりをした久兵衛の腹が、ぐるぐるきゅるきゅると盛大に鳴った。惣右衛門が苦笑する。
「ならば、一夜の宿を頼むとするか。屋根のあるところでゆっくり眠って英気を養おう。そして山越えをし、魔物との戦いに臨もうぞ」
山の斜面に半ば寄りかかるようにして小屋が建てられている。屋根は板葺きで、小さな畑があった。
よく手入れをされた畑には、何種類かの青菜が植えられている。小屋を訪なうと若い女が出てきた。
「我らはちと仔細があって旅をしておる。すまぬが、一夜の宿を頼めまいか。もちろん銭は払う」
惣右衛門の言葉に、女は小鳥のように小首をかしげしばらく考えていた。年の頃は二十過ぎ。
洗いざらしの紺色の着物を身につけ髪を無造作に後で束ねているが、切れ長の目をした山奥には珍しいなかなかの美人である。
「お美津と申します。お泊めしてさしあげたいところですが、申し訳ございませぬ。あいにく昨日より亭主が留守なのです」
女子のひとり住まいでは、男たちが泊まることに難色を示すのは当然である。久兵衛は、自分の後ろにいた真海と楓をそっと前に押し出した。
果たしてお美津は子どもたちを見、「まあ」と小さくつぶやいて目を見張った。口元がほころび笑顔になる。
「お子たちもご一緒でしたか。それではこの山中での野宿、難儀なことでござりますなあ。承知いたしました。むさ苦しいところですが、どうぞお入りになっておくつろぎくださいませ。急いで夕餉の支度をいたしましょう」
「しめた」
久兵衛と右京が同時に口の中でつぶやいた。
2
夕飯は、猪の干し肉とネギを入れた味噌仕立ての雑炊だった。
「これはうまそうじゃ」
相好を崩す惣右衛門に、お美津が微笑む。
「さあ、冷めぬうちにどうぞお召し上がりくださいませ」
久兵衛が真っ先に箸をつけた。ネギが肉の臭みを消し、溶け出した脂が汁にこくと旨みを加えている。味噌との相性も抜群だった。
「うまい。山の中でこのような美味にありつけるとは何たる幸せ」
「ほんにうまいのう」
皆感嘆しながら雑炊をすする。楓も真海も、ふうふうと一生懸命息を吹きかけながら夢中で食べた。
「お口に合うてようございました」
お美津が惣右衛門に続いて、久兵衛の杯に酒を満たした。
「やっ、かたじけない。これはこれは……ううむ、うまい酒じゃ」
ひざを叩いて大喜びの久兵衛を、横目でちらりとながめた右京の眉がわずかにつり上がる。
「それほどにうまい酒なら、こちらにもいただこうか」
「これは気がつきませんで」
あわててお美津が右京にも酒を注ぐ。おいおいという顔をした勘吾を無視して、右京は唇の端に笑みをのぼらせた。
堅い事を言うな。もう何日女子無しでおるかわかっておろうに。勘吾のやつ。おぬしとて女が嫌いではなかろう。
据え膳食わぬは男の恥と申すではないか。もっとも俺にとっては、どんな女子でも常に『据え膳』だがな。
右京は一気に杯を干した。酒に濡れた唇を舌でちろりとなめながら、また注いでくれるお美津の横顔をじっと見つめる。
お美津は俺の視線を存分に意識しているはず。女子というものは、皆こうされると弱いのだ。
それにしても美しい女子よの。なかなかの上玉じゃ。
「お美津は豪胆だな。この山の中でひとりで留守居とは」
「夫ともども猟師をしておりますゆえ。これがあればこわくはございませぬ」
お美津が火縄銃を引き寄せた。
「それに山は我が家の庭のようなもの。曲者が参っても、奥深く逃げ込んでしまえばもうこちらのものです」
「主どのはどちらへ」
「毛皮や肉を売りに町へまいりました」
「お美津は武家の出なのではないか。その言葉遣いと物腰、とても猟師の女房とは思えぬが」
驚いて顔を上げたお美津と右京の目が合った。お美津はほのかにほおを染めながら視線をそっとはずし、ひざに置いた手を見つめる。
「主と夫婦になる前、三年ほどお武家様のお屋敷で奉公しておりました。そのお陰にございましょう」
嘘だと右京は思った。お美津には気品が備わっている。
奉公したくらいではとても身に付かぬ。生来のものであろう。お美津が武家の出であることは間違いない。
それもひょっとするとかなり身分の高い家柄の。出自を隠すのは、きっと何か理由があるのだ。
落ち武者、もしくは謀反人の縁者というところか。しかし、右京にとってそんなことはどうでもよいことだった。
大事なのは、お美津が美しい人妻であること、そして、今夜は夫が留守だという事実だけである。
3
「お美津」
目を覚ましたお美津の口を、右京は手ですばやくふさぐ。隣では、楓がむにゃむにゃと何かつぶやきながら寝返りをうった。
間仕切りにと置かれた粗末な屏風の向こう側から、いびきや歯ぎしりが聞こえてくる。全員が熟睡しているのはあらかじめ確かめてあった。
「驚かせてすまぬ」
右京がお美津の耳に口を近づける。熱い吐息がかかったのだろう。お美津は、はっと身体をかたくした。
お美津の困惑が伝わってきたが、右京は無視してささやき続ける。
「一目見たときから、俺はそなたに惹かれていたのだ」
懇願するように目で訴えながら、お美津もささやき返した。
「どうぞお許しくださいませ。私は夫を持つ身です」
「それは無論承知しておるが、どうしても己の気持を抑えられぬ。我らは明日出立してしまう。もう二度とお美津とは会えぬゆえ、よけいに思いがつのるのじゃ」
お美津が無言で右京を見つめた。右京も見つめ返す。
この女子も落ちる。右京は確信した。
やがて観念したように、お美津の身体から力が抜けた。
『やはりな。身持ちが堅そうなふりをして、誘われるのを待っておったか。所詮女子とはそういうものだ……埒もない』
己の望み通りになったというのに、まったく面白くない。まあ、これもいつものことであった。
「外へまいろう」
右京は、心の中に湧き起こった腹立たしい思いをおくびにも出さず、お美津を誘った。心張り棒をはずし、そろそろと戸を開ける。
満月の青い光があたりを照らしていた。ふと、海の底にいるような心持ちになり、右京は辺りを見回した。
おい、右京よ。おぬし気は確かか。事に及ぶ段になって、何が海の底じゃ。俺もとうとう焼きが回ったとみえる。
自嘲しながら右京はお美津の肩を抱き、接吻しようとした。
「うわああっ!」
右京は思わず大声で叫んだ。お美津の口からいきなり飛び出してきた白いものが、両目をふさいだのだ。
白いものはねばねばしており、何やら薄気味の悪い甘ったるいにおいを発していた。右京は地面に転がってお美津から遠ざかりながら、生暖かいねばねばを目から取り除こうと必死になった。
シャアッという異様な音がする。ようやく目が見えるようになった右京が顔を上げると、お美津の口から吐き出された無数の白い糸に、己の身体がからめとられようとしているところだった。
「くそっ! 化け物めっ!」
滅茶苦茶に手足を振り回して右京は暴れたが、糸はぐるぐると巻きついていく。お美津はほおに凄絶な微笑を浮かべ、しゃあしゃあと糸を吐き続けていた。
4
右京の悲鳴を聞きつけて、勘吾が槍を片手に勢いよく飛び出してきた。久兵衛と十蔵もそれに続く。
惣右衛門は背後に楓と真海をかばっていた。皆、その場の状況に度肝を抜かれ、思わず後ずさった。
首から下をまっ白な糸でぐるぐる巻きにされた右京が、地面に転がっていたのだ。傍らではお美津が微笑んでいる。
夕餉のときとはうって変わり、この世のものとは思われぬ妖艶で邪悪な微笑である。勘吾は全身が粟立った。
「く、蜘蛛の化け物。三番目の魔物だ!」
大声で勘吾が叫んだとたん、お美津がくるりととんぼをきった。いったん宙に舞った着物が、はらりと落ちてくる。
現れたのは、頭の部分がお美津の顔をしている、おぞましくも巨大な女郎蜘蛛であった。黄と黒の縞模様のついた八本の足、右京を抱え込んでいる大きな腹は、黄色と灰青色の段だらに真っ赤な紋。
お美津、いや、蜘蛛はにやりと笑い、口と尻から大量の糸を吐き出した。あたりが甘いにおいで満たされる。
糸は、まるでそれ自身が意志を持っているかのようにからみつこうとした。しかし、ひるむことなく一歩踏み込んだ勘吾が刀をふるって断ち切る。
また、真海は炎を用いて己と楓、惣右衛門を守った。
「行くぞ!」
勘吾の叫びに、十蔵と久兵衛もそれぞれ得物を握りしめて突進する。蜘蛛が間断なく吐き出す糸は、後方から真海が炎で焼き払って援護した。
だが、蜘蛛が右京を楯にしているため、直接炎で攻撃することはかなわない。悔しさのあまり真海は拳を握り締め、くちびるをきりきりとかんだ。
十蔵の棒手裏剣が蜘蛛の脇腹に深々と突き刺さる。右の第四肢にからめた鎖分銅を、久兵衛は力まかせに引っ張った。
めりめりと音を立てて根元から脚が取れる。蜘蛛は身をよじり、「きいっ」と耳をつんざく叫び声を上げた。
痛みに身もだえしながら新たな糸を吐いた蜘蛛は、今度は右京の首にそれを巻きつけきりきりと締め上げた。息が詰まってみるみる右京の顔が紫色になる。
「動くな。この男が死んでもよいのか」
蜘蛛に向かってまさに槍を放とうとしていた勘吾は、すんでのところで踏みとどまり、たたらを踏んだ。
「何をしておる! 俺ごとこいつを串刺しにしろ!」
苦しさをこらえて懸命に声を張り上げる右京に、勘吾も怒鳴り返す。
「馬鹿なことを申すな! そんなことができるわけなかろう!」
「私の望みは、この男を食らうこと。このままおとなしゅう立ち去るならば、そなたたちのことは許してしんぜよう。どうじゃ」
「それはできぬ」
「なぜ」
「右京は大切な仲間だ」
勘吾の応えに、蜘蛛はからからと笑った。
「おお、おお、まことうるわしき友情よのう」
「勘吾、俺のことは捨て置いてくれ。この女に目がくらんだ俺の不徳が招いたことだ。自業自得よ。女子で身を滅ぼすは本望。お前たちが付き合う義理はない。それに恩を売られるのは迷惑だ」
右京はいつものように唇の端を持ち上げて皮肉っぽく笑い、蜘蛛に問うた。
「俺を食らうのは、お前に言い寄ったからか」
「そうじゃ」
「美人とねんごろになりたいと思うのは、男の性(さが)というもの」
「お前には実(じつ)がない。女を人とは思うておらぬ」
今度は右京が哄笑する番だった。
「その通り。女はのう、人ではないぞ。皆、化け物よ。……俺には、幼きころより二世を約束した女子がおった。……しかしその女は、己の欲のために家老の息子に言い寄って夫婦約束を取り付けると、あろうことか邪魔になった俺を無実の罪に陥れ、領内から追放したのだ。俺は……俺は、あいつが幸せになるのなら喜んで身を引いたものを。……女など、信用できぬ」
そのとき、真海が走り出てきて蜘蛛と対峙した。
「あなた様も裏切られたのでしょう。美津姫様」
真海の言葉に蜘蛛は一瞬息を飲み、目を見開いた。
「真海! さがっておれ!」
十蔵が肩をつかんで引き戻そうとしたが、真海はそれを振り払った。
「姫様は、好きおうた殿御と添い遂げようと駆け落ちをした。だが、敵に取り囲まれたとき、その男は自分が助かりたいがために、姫様を差し出した。はずかしめを受けるくらいならと、姫様は自らの命を絶たれた」
右京は、はっとした顔をしていたが静かに言った。
「俺を食って気がすむのならそうすればよい。愛する者に裏切られた苦しみは、俺にもわかるゆえ」
突然蜘蛛は右京の身体をはなし、するすると人型に戻った。地面に座り込み、がくりと首を垂れる。
「自分が裏切られたからというて、その腹いせに男を食らうとは。我ながら何とあさましいことをしてしもうたのか」
手で顔をおおった美津の側に、楓がしゃがんだ。美津の背中をそっとさする。
「それだけ美津様は、相手を好いておられたのじゃ」
驚いて美津は楓を見つめていたが、やがて口を開いた。
「そなたは、お家再興をかなえるために玉がほしいのじゃろう。私が死ねば玉は手に入る。懐剣をお貸しなされ」
「玉などいりませぬ」
あわててかぶりを振る楓の肩に、美津は手を置いた。
「またいつ正気を失うて、おぞましい姿をさらすかわからぬ。今ここで自害するのが一番よいのじゃ」
懐剣を渡すまいと胸元を押さえる楓に微笑んで見せた美津が、ひらりと手を振る。次の瞬間、そこには楓の懐剣が握られていた。
「あっ!」
楓が目を見張る。美津が続いて右京の身体に触れた。
がんじがらめにからまっていた糸が、跡形もなく消えた。月の光に照らされた美津の横顔は、凛としてとても美しい。
これが姫と呼ばれていた頃の姿なのだろう。
「右京どの、介錯を頼みます」
一瞬目を閉じた右京が、静かにうなずく。
「承知いたした」
美津は、泣きそうな顔をして己をじっと見つめている楓を優しく抱きしめ、耳元でそっとささやいた。
「楓どの。優しさと心の弱さは違いますぞ。そなたは優しく、そして強い子じゃ。お家の再興を、空のむこうからお祈りいたしておりまする」
「美津様」
言いたいことがたくさんあるのに、どれひとつとして言葉にならない。もどかしさのあまり、楓は地団太を踏みそうになった。
頭の中でぐるぐる回っていた美津への思いが、やがてひとつの大きなうねりとなり、目から涙となってほとばしり出る。
『母上が亡くなったとき、封印したはずなのに。なぜ涙が出ておるのじゃ。情けないぞ、楓。この弱虫』
うろたえた楓は己を叱咤激励したが、感情の奔流に押し流されてしまった。波に翻弄されながら、しかし楓は、己の一番言いたかったことにとうとうたどり着いた。
「美津様を死なせとうない。死んではなりませぬ。……美津様が死んでしまうのは嫌じゃ! 絶対に嫌じゃっ!」
大声で叫んだ楓は、号泣しながら美津にしがみついた。赤ん坊をあやすように背中をとんとんとたたいてやりながら、美津が慈母のごとく微笑んだ。
「そうそう、それでよい。泣きたいときは泣けばよいのじゃ」
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