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母子草の賦(連載第9回)

幼い姫がお家再興を目指す和風ファンタジーです。ヤングアダルト向けっぽい感じでしょうか。今回で完結いたしました。〈全文無料公開〉

   第七章  神殿  
      1
 勘吾が亡くなってから二日間、楓はずっと泣き続けていた。
 もちろん女子でも武士の子、城主の姫として楓も幼い時から、人前で泣くものではないと教えられて育ってきている。
 だが、勘吾は楓をかばって死んだのだ。それはどんなに言葉を取り繕って言い訳しようとかなわない確固とした現実であった。
 楓はいつも魔物退治の場に身を置いていた。これは空知家再興のための戦いなのだからと……。
 皆が危険な目に合っているのに、自分だけのうのうと安全な場所にいるのは申し訳ないという思いであった。また、戦いの場にいて、できることなら少しでも何かの役に立ちたいとも考えたのだ。
 古城にいた猿の魔物は、楓のお陰で退治することがかのうたと皆に褒めてもらうことができた。楓はとてもうれしかったのだが、あれ以来慢心していなかったかと聞かれたら、きっぱりと否定する自信がない。
 湖の危険地帯にのこのこと出張(でば)ったりしなければよかった。己の身を守ることができぬ者に、戦場にいる資格はない。
 結局は自分のあさましい思い上がりが、勘吾の命を奪ってしまったのだ。楓は己を責め続けた。
 後悔と悲しみで胸が張り裂けそうだ。べりりと胸が破れて赤い血潮があふれ、いっそのこと死んでしまえばよいのやもしれぬ。
 初めて会った時からずっと、勘吾はいつも楓のことを気にかけてくれていた。大きくて強くて、あたたかくて優しかった勘吾。
 だが、もうその勘吾はいない。死んでしまった……否、私が殺したのだ。
痛かったであろう、苦しかったであろうに、ひと言も言わずに心配させまいと微笑んだ勘吾。最後まで私を気遣ってくれた勘吾。
 涙はかれることなく、あとからあとからあふれ出る。
 しかし、やがて楓は勘吾の最期の言葉を思い出した。
『姫は笑顔が一番かわいい。いつも笑っていてくれ』
 いつまでもめそめそ泣いていてはいけないと、勘吾に言われた気がした。勘吾の笑顔が目に浮かぶ。
 そうだ。勘吾のような人になろう。強くて優しい人に……。
 そうすることが、自分にできるせめてものことなのだと楓は決心した。
『勘吾、見ていておくれ』
      *
「どうした。元気がないのう」
 神殿のある山を目指して歩きながら、楓が真海の顔を覗き込んだ。真海は眉を曇らせ唇を引き結んでいる。顔色も悪かった。
「自分こそ、昨日までずっと泣いておったくせに」
 すぐに返ってきた毒舌に、楓はほっとしながらもそれをおくびにも出さぬ。わざと傲慢に見えるようにぐっと胸を反らせた。
「勘吾が、泣いてばかりいてはいかぬと言うておったのを思い出したのだ。だから泣くのはやめにした」
 理由は楓自身にもわからぬが、『笑顔が一番かわいい』と言われたと、真海にうちあけるのは恥ずかしかったのだ。意味的にはそう違わないから、おそらく嘘をついたことにはならぬだろう……。
「勘吾がことは真海のせいではないぞ」
『私のせいじゃ』
と、心の中で付け加える。胸がずきりと痛み、鼻の奥がつんとしたかと思うと視界がぼやけた。
 これはいかぬ。急いでまばたきをし、涙を追い払う。
「術が使えず勘吾を死なせてしもうたことは、己への戒めとして一生背負っていくつもりだ」
「そうか」
 楓には真海の気持がよく理解できた。真海は真海で、勘吾の死に責任を感じている。己の未熟さを責めているのだ。
 弔いがすんでから誰も勘吾のことを口にしなかった。その分心の中で不甲斐無い自分をののしっているのだろう。
 皆が同じように、勘吾の死に責めを感じているに相違ない。
「呪文が……」
 勘吾が亡くなってからのいろいろなことを思い出し、考えを巡らせていた楓は、真海のつぶやきにはっとして顔を上げた。真海は道端の草をちぎって、くるくると手の中でもてあそんでいる。
 楓はにこりと笑った。
「あの時に呪文を授かったのじゃろう。これで真海も一人前の修験者になれた。ほんによかったのう」
「それが、俺に授けられた呪文は『おっ母』だったんだ」
 吐き捨てるような口調で言った真海に、楓は返す言葉がなかった。よりによって『おっ母』とは……。
 なんて残酷な呪文だろう。
 真海が草を丸めて地面に投げつけ、憎々しげに足でふみしだく。いつもしらしらと落ち着いている真海には、珍しい行動だった。
「どんなものでも、呪文にはそれぞれ意味があると言われている。だけど、俺を……赤ん坊だった俺を、ひどい目に合わせたあの女にいったいどう意味があるというんだ。なぜ『おっ母』なんだ!」
 両の拳を握り締め、真海は顔を真っ赤にして肩を震わせている。しばらく考え込んでいた楓は、真海の心を傷つけぬよう、言葉を選びながらゆっくりしゃべった。
「真海の母御は、高岡どのが現れるまではよい母御であったのじゃろう?」
「さあ、どうだか。俺は知らぬ」
「そうに違いない。赤子は十月十日腹の中におるのじゃ。その間いつくしんでくれたゆえ、そなたは無事に生まれた」
 無言のままぷいとそっぽを向いた強情そうな真海の横顔に、楓は「ほう」と小さなため息をつく。
「真海の元の名は?」
 楓の問いが思いがけなかったのであろう。真海が驚いたような表情で勢いよくこちらを向く。
「……こうた。幸せに太いと書く」
 楓はうれしそうに叫んだ。
「ほうれみよ。幸せになるようにと願いを込めて、幸太と名付けたのじゃ。私の思うたとおり、母御はそなたのことを深く愛しておった」
「なら、どうして俺の目をえぐった」
 鋭い眼光で真海ににらみつけられても、楓はまったくひるまなかった。穏やかな微笑を浮かべ、楓は優しくさとすように言った。
「魔物がとり憑いたのやもしれぬ。きっとそうじゃ。海女だった母御は、海に潜っていて何かにとり憑かれてしもうたに違いない」
「そんなことがあるはずはない」
「証はそなたの名じゃ。『幸太』。これほど確かな証があろうか」
 今度は真海が黙り込んだ。あの女が自分を愛していただと? そんなことがあるだろうか……。
 空を見上げた真海に、つられて楓も頭を上げた。綿をちぎってあちこちに貼り付けたようだと、雲を見ながら楓は思った。
 心地よい風がほおをなでる。真海の母が確かに真海を大切に思っていたことがわかり、楓は自分のことのようにうれしかった。
「海にはいつもたくさんの悲しみが漂うておる。姫の言う通りかもしれぬ……おっ母が、俺をこの世に産み出してくれたのだ。幸太と名付けていつくしんでくれた、〝『おっ母』の愛を忘れるでないぞ〟授かった呪文には、そういう意味があるのやもしれぬな」
 楓が大きくうなずく。真海は眼帯にそっと手をやり、にこりと笑った。
初めて見る真海の晴れやかな心からの笑顔に、楓もとびきりの笑みを返す。
真海が母御と『仲直り』をしたことを、きっと勘吾も喜んでいてくれるだろう。楓は、ふと、そんな気がした。
      2
「これが神のおわす山か」
 つぶやくと、楓は目を少し細めながら感慨深そうに見上げた。惣右衛門も隣で同じことをした。
 炎の中の落城からふた月半。魔物を退治し、五つの玉を得て、とうとう宿願を果たす日が来たのだ。
 山はそれほど高くはないが、木々が密集していて緑の色も非常に濃い。そのせいか、見上げているとこちらにぐんぐん迫ってくるような錯覚を覚え、惣右衛門は何度もまばたきをした。
『姫も此度のことで、ずいぶんご成長なされた』
 正直楓がここまでがんばるとは、惣右衛門はまったく思ってもみなかった。気は強いがいわゆるお姫様育ち。
 もしかしたら途中で音を上げるかもしれぬと心配していたのである。だが、楓はとうとう一度も弱音をはかなかった。
 苦しいとかつらいとか、文句を言ったこともない。ただひたすら歩き、戦いの時には自分の身はできる限り自分で守った。
 それどころか、猿の化け物はほとんど楓が退治したようなものである。術にはまりあやかしに呆けてしまっていた己の姿を思い出すたび、顔が赤くなりいたたまれぬ心持ちになる。
 だが惣右衛門はとてもうれしかった。楓の芯の強さ、辛抱強さ。そして、純粋で真っ直ぐな心……。
 中でもこの老いた傅役を一番喜ばせたのは、楓がよく笑いよく泣く、心の優しい少女に戻ったことである。
 良親がなぜみそっかすの幼い姫に家の命運を託したのかが、やっとわかった。殿は姫の資質を見抜かれていたのだ。
『わしの目は節穴じゃ』
 惣右衛門は心の中で深いため息をついた。
「石の多い山よのう」
 言いながら、十蔵が物珍しそうにきょろきょろとあたりを見回す。細くやや険しい山道の両脇には、一抱えもあるようなものから赤ん坊の頭くらいのものまで、たくさんの石が転がっていた。
 白っぽい色をしており、どうやら皆同じ種類の石であることが推察されるが、形も大きさも様々である。
「ごろごろしておる。今にも頭の上に落ちてこぬかとひやひやものよな。くわばら、くわばら」
 久兵衛が首をすくめた。
「なんなら一発打ち込んでみるか」
「やめろっ」
 にやにやしながら鉄砲を構える右京の肩を、必死の形相の十蔵が、ものすごい勢いでひっつかんだ。
「悪い冗談はよせ」
 久兵衛にも真顔でたしなめられ、首筋をぽりぽりとかきながら、つまらぬという表情で右京が舌打ちをする。
「真海、いかがいたした」
 楓が小首を傾げ心配そうに顔をのぞきこむ。真海が青い顔をして額に汗をびっしょりかいているのだ。
「神殿の方から、何かこう、力のようなものが押し寄せてきているのだ。そのせいで胸がちょっと苦しい」
「少し休むか」
 気づかう惣右衛門に真海はかぶりをふった。
「俺が背負って行ってやってもよいのだぞ」
久兵衛の申し出にも真海はかぶりを振った。
 いつものように毒舌を吐かぬ真海を、楓はひそかに案じた。余裕がないほど苦しいのだろうか。
 やはり修験者というものは、並みの人間よりずっと敏感なのだ。無事に神殿までたどりつけるだろうか。
 それより神殿では、もっとつらくなるのではないか。神様のすぐ近くまで行くことになるのだから。
 とても心配になった楓は、そっと真海にたずねた。
「神殿に近付けば近付くほど、より具合が悪うなるのではないか? もしそうなら、神殿ではさらにひどいことになるであろう?」
 眉を曇らせている楓の顔を見て、真海はうっすらと笑った。
「案ずるな。身体がきついというのではないのだ。むしろ精神的に圧迫感があるというのか……」
 いったん言葉を切った真海は、何やら逡巡しているらしかったが、意を決したように口を開いた。
「修行を積むと凡人とは比べ物にならぬほど鋭敏になるゆえ、『神気』とでも言うべき物を感じるのだろう。まあさすがの俺も神に対しては、おそれを抱いているということになるのやもしれぬな」
 どうやら真海は、神の気配に圧倒されておそれを抱き胸が苦しいということを、持って回った言い方で示したらしい。楓の心配を和らげようとしてくれたのだが、それには真海が神をおそれているということを吐露せねばならず、そのあたりが己の美学に反するため逡巡していたと思われる。
 真海らしい、素直ではなくくねくねとねじまがった、だが精一杯の気遣いが楓の胸にじわりとしみた。
      3
 やがて一行は、無事神殿にたどり着いた。だが神殿は、想像とは大きくかけ離れた建物であった。
 白い巨石を山から切り出して、表面を彫ったり削ったり内部をくりぬいて作ったのであろうと思われる。
 およそ幅二丈、奥行きと高さが一丈五尺。丸い柱のようなものが四隅に浮き彫りにされ、屋根状の突起もある。
 入り口には階段が五段ついていた。神社の社などとはまったく違っていて、皆、このような建物は見たことがなかった。
 ずいぶん昔に建てられたものだと考えられる。何の装飾物もなく、凝ったつくりでもない。きらびやかでも豪華でもなかった。
 むしろそっけない印象であるが、それがかえっておごそかな雰囲気をあたりに漂わせている。
 そして登ってくる途中で真海が感じていた息苦しさを、今は全員が体験していた。その正体はおそらく、畏怖というものなのであろう。
「いよいよでござるな」
 久兵衛はぐるぐると肩を回した。
「ちょっと待っていてくれぬか」
 そう断って惣右衛門は楓を誘った。
「なんじゃ、爺。話ならここですればよいではないか」
 さっそくほおをふくらませたかけた楓は、厳しく引き結ばれた惣右衛門のくちびると、有無を言わさぬ眼光にはっと息を飲んだ。
 少し離れた木の陰へ、惣右衛門は楓を連れて行った。地面に膝をつき、楓としっかり目を合わせる。
「姫、決して勘吾を生き返らせてくれと願うてはなりませぬぞ」
「爺、私は……」
 必死の形相で何か訴えかけようとした楓を、惣右衛門は手で制した。惣右衛門は、今まで楓が見たことのない厳しい表情を浮かべている。
「姫のお気持、爺はようわかっておりまする。しかし、殿のお言い付けを思い出してくださりませ。空知家の再興を願えと申されましたぞ。空知の姫として、なされるべきことしかとおわかりでございますな」
 楓は下を向いて自分の足の指をしばらく見つめていたが、やがて意を決したように顔を上げ、こくりとうなずいた。
 神殿は重い石の引き戸で閉ざされていた。皆総出で引っ張ってみたが、とても開くものではない。
 どうしたものかと思案していると、突然天から厳かだが極めてぶっきらぼうな声が降ってきた。
「玉を扉にはめ込め」
 扉の真ん中に梅の花状に穴があいていた。そこへ玉をはめ込むと、それぞれが赤、青、黄、白、黒に輝き始めた。
 やがてごろごろという音とともにひとりでに扉が開く。
 皆おずおずと足を踏み入れた。
 中は静謐で、窓もあかりもないのになぜかほの明るかった。天井も壁も湾曲している様が、ちょうど大きな洞窟のような感じである。
 奥の壁には祭壇が刻まれていて、おとなの頭ほどの大きさの金色に輝く玉が鎮座していた。再び声が降る。
「魔物退治、大義であった。まあその代わり、願い事をかなえてやるのじゃから文句はなかろう」
 一同が思わず顔を見合わせた。どの顔にもはっきりと、とまどいと不安の表情が浮かんでいる。
「どうしたのじゃ。ぐずぐずするな。さっさとひとりずつ祭壇の前に出てぬかずけ。心の中で願い事を唱えるがよい」
 神の声が、先程より機嫌が悪くなっているのがはっきりと感じられた。楓はあわてて前に出、ぬかずいた。
 深く息を吸い、目を閉じて祈る。
 次は惣右衛門、久兵衛、十蔵、右京、そして最後に真海……。
      *
 神は大げさに、ため息をついてみせた。あいかわらず声だけであるが。
「なんじゃ、つまらぬ。皆同じことを願うた。これではお前たちを石に変えることができぬではないか」
 皆がいっせいに信じられぬという表情を浮かべた。示し合わせたようにぽっかりと口を開けているのが非常に間抜け面で、傍目から見ると滑稽である。それに気付く余裕は誰にもなかったが。
 年の功でいち早く我に返った惣右衛門が、叫ぶようにして尋ねた。ただし声が上ずっているのが惜しまれる。
「か、神様。それはいったい、どういうことにござりましょう」
 神はしごくあっさりと、しかもとても投げやりな調子で、半泣きになっている哀れな年寄に答えた。
「勘吾を生き返らせてくれと皆が願うた。惜しいのう。ひとりでも違うておればよかったのに」
「ひとりひとつずつ願いをかなえていただけるのでは」
「ふむ。確かに巷ではそう言い伝えられておるようだが本当は違う。誰がそんなにたくさんかなえてやるものか。そのように虫のよい話が転がっておるわけがなかろう。賢いやつなら、ちょっと考えればすぐにわかることじゃ。願い事はひとつだけ。しかも、員が同じことを願わねば、その場で石に変える。そういうならわしなのじゃ」
「石?」
「ここに来るまでに、嫌になるくらいそこいら中、山ほど石が転がっておったであろう。あれはすべて、願い事をかなえて欲しいと遠路はるばる参った者たちの、悲しいなれの果てというわけじゃ」
「そ、そんな……」
「すべての神が慈悲深いと思うたら大間違いじゃぞ。わしのような性悪の神もおる。それが世の中というもの」
 あまりに驚いて声も出ぬ一同を尻目に、神は嘆いた。
「ああ、つまらぬ。願いを聞き届けてやらねばならぬとは、まことに面倒くさいのう」
「あっ!」
 突然惣右衛門は悲鳴のような声をあげた。怒りに歪んだ顔で楓の肩をつかみ、乱暴に揺さぶる。
「姫、あれほど申したのに、爺の申すことを聞かれませなんだなっ」
「すまぬ、爺」
 一応形だけはしおらしく謝った楓に、だまされぬぞと言いたげな表情で、惣右衛門はつけつけと言った。
「すまぬではすみませぬ。空知家の再興はどうなるのです」
 きっと顔を上げた楓が反撃に出る。
「爺こそ、なぜお家の再興を願わぬ。家来のくせに」
「久兵衛、食い物と酒はどうした」
「そういう十蔵、お前、金は」
「俺はもう女には飽きた。真海、目はいらぬのか」
「ひとつあれば充分」
「うるさい、うるさい、うるさいっ! うるそうてたまらぬわ。願いをかなえてやるからとっとと帰れっ! ほれっ!」
 突然勘吾が出現した。右手に槍を持っている。頭から足の先まで、寸分違わぬ実物大原寸の勘吾である。
「勘吾っ!」
 勢いよく楓が飛びついた。真海もそれにならう。
 男たちは歓声を上げながら勘吾を取り囲んだ。本当に生き返ったかどうかを確かめるかのように、背中や肩をばしばしとたたく。
 狂喜している一同に、勘吾は不思議そうに首をかしげた。
「何を喜んでおる。ここはどこだ。龍はどうした」
 小猿のように勘吾の首にしがみつきながら、楓はふと考えた。
気まぐれで性悪の神様……。性根のねじ曲がり具合は、真海でさえまったく足元にも及ばぬであろう。
 いつまた気が変わるやもしれぬ。せっかく勘吾が生き返ったのに。
『これはいかぬ』と思った楓は大声で叫んだ。
「皆の者! 静まれ! 静まれ! 神の御前(おんまえ)であるぞ。積もる話はあとじゃ。神様に礼を申し上げて、早うここから立ち去らねばならぬ」
「それがようございます、姫。いつまでも、お忙しい神様のお邪魔をしてはなりませぬ。そなたらもぐずぐずするでないぞ」
 惣右衛門がすばやく賛同し、さっとひざまずいた。残りの者たちも、先を争そうようにばたばたとひざまずく。
 考えることは皆同じであったらしい。きょとんとしている勘吾の腕を、久兵衛が引っ張りひざまずかせた。
 楓が凛とした声で言う。
「願い事をかなえていただき、まことにありがとうございました。空知楓、心より御礼を申し上げまする」
 勘吾もあわてて頭を下げた。
 立ち上がった一同は、一目散に出口を目指した。善は急げである。石に変えられてはたまらない。
「家の再興と申しておったが、勘吾にやらせればよい」
 神殿を出ようとしていた惣右衛門、そこは身に染みついてしまっている空知家家臣の性。神の声に思わず立ち止まって振り返った。
『ええい、爺め。何をしておるのだ。この火急の折に』
 楓がものすごい勢いで惣右衛門の背中をつつく。
「勘吾は空知良親のせがれじゃ」
「そんな! まさか!」
 驚きのあまり思わず大声で叫んでしまった勘吾の言葉に、神の声はたちまち不機嫌になった。
「わしをいったい誰だと思うておるのじゃ。恐れ多くもわしは神様。その御言葉を疑うとは、まことに神をも恐れぬ所業じゃ。嘘なものか。二十五年前、野駆けに出た良親が、偶然お前の母親を見初めたのだ。わざわざ生き返らせてやったのじゃからせっせと働け」
「勘吾っ! 勘吾どの……若っ!」
 惣右衛門が勘吾の手をとった。顔中がくちゃくちゃで、笑っているのか泣いているのか判断が極めて難しい。
「空知家の再興、しかとお願いいたしますぞ」
「いや、急に言われても……」
 頭をぼりぼりかいて困惑している勘吾を見事に無視して、惣右衛門は楓をひょいと抱き上げた。
「姫、ようございましたな。若がおられれば百人力。若の元にすぐ、生き残った家来たちが集まってまいりましょう。その者どもを引き連れて、まずはどこかの武将の配下におさまればよい。空知家の跡取りとなれば、仕官先はいくらでもございます。そこで功名を重ねれば、じきお家再興がかないますぞ」
「俺たちも家来にしてくれ」
 右京がくちびるの端を持ち上げにやりと笑う。久兵衛が己の腹をぽんとたたき、十蔵が胸をそらした。
「俺も」
 負けじと真海も勘吾の袖を引っ張る。
「おお、修験者の家来とは頼もしい。じゃが第一番目の家来として、若、まずこの惣右衛門をお召し抱えくださりませ」
「あ、それはずるい」
「ずるいとは慮外な。こういうことは言った者勝ちじゃ」
「皆、すまぬ。老い先短い爺に譲ってやってくれ」
「姫、何を申されまする。爺は百まで長生きいたしますぞ」
「では、二番目は俺」
「待て、右京」
「誰が待つか。こういうことは顔の良さで決まるのだ」
「何を言うか。体格の良さぞ」
「違うな。持ち金の多さだ」
「まあ、俺はお抱え術師ということで、別格だから関係ないけど」
「こしゃくな餓鬼」
「何だと。ふん、ネズミに変えてやる」
「そんなことに術を使ってもよいのか」
「わかったわかった。そうまで言われては仕方がない」
 仲裁に入った勘吾はつるりと顔をなで、にっこりと笑った。屈託のない、いつもの明るい笑顔である。
 深く考えるのは、元より性にあわぬ。こうなった以上は、家の再興とやらを引き受けるとしよう。
「兄上……」
 楓が恥ずかしそうに微笑み、そっと勘吾の手を握る。けげんそうな顔をした勘吾は、次の瞬間「あっ!」と叫んだ。
「そうか! 姫は俺の妹じゃ!」
 大きな喜びが突然勘吾の心にあふれた。
『やっとわかったぞ。初めて姫に会うたとき、なぜ力になってやろうと思うたのか。なぜ、ずっと姫のことが気にかかってならなんだのか。姫が俺の妹だったからじゃ。なんだ、そういうことであったのか』
 血の縁の不思議さを勘吾は思った。もしかするとこれは、共にもうこの世にはない、父上と母上のお導きなのやもしれぬ……。
『俺は、初めて己以外に、否、己よりもっと大切な存在を得たのだ。俺はこれからもずっと、姫を守って生きてゆく』
 勘吾は楓をぎゅうっと抱きしめた。
『大切な、大切な、俺の楓……』
 ひょいっと楓を肩にのせ、勘吾は笑顔で言った。
「では皆の者、まいるぞ」
「ちょっと待て。わしも行く」
 神の意外な言葉に、皆が思わず一斉に叫ぶ。
「ええっ!」
「何やらおもしろそうじゃ。こんなかびくそうて退屈なところ、もう何百年も前から飽き飽きしておったのだ」
 これは思いがけぬ大事の出来(しゅったい)。何とか神を思い止まらせようと、勘吾はあまりたくさんは無い知恵を一生懸命絞った。
「しかし、誰かが玉を持って尋ねてきたら、困るのではありませぬか?」
「表に張り紙をしておく。おい、お前たち。神がついておるなどめったにあることではないぞ。もっとありがたがれ」
「はあ」
 大きな声では言えないが、性悪の神などにつきまとわれたらろくなことがないにきまっている。
 さて、どうしようかと勘吾が思案していると、いきなり女があらわれた。驚いた勘吾が思わず仰け反る。
 年の頃は十八。色が抜けるように白く、猫を思わせる大きな目。鼻筋が通り、唇はふっくりとしている。
 顔も身体も完璧な、まことに見事な絶世の美女であった。右京が思わずごくりとのどを鳴らす。
 人をさんざっぱら驚かせておいて、まるで天気の話でもするように神は事も無げに言い放った。
「さあ、まいろう」
 勘吾が絶叫する。
「お、おなご!」
「指をさすな。女神で悪いか」
「てっきり男だと」
 女神の眉が勢いよくつり上がった。
「なんだと。そうか、お前はそんなに石になりたいのじゃな」
「いいえっ!」
 勘吾がぶんぶんとかぶりを振る。
 女神は、祭壇に鎮座している金色の玉に声をかけた。
「留守を頼むぞ」
 真海がおずおずと言う。
「神様、少々お伺いしたき儀が」
「申せ」
「この玉は御神体ではないのですか」
「違う。これは『ぽち』」
「ぽち?」
「番犬じゃ」
 さらに女神は、墨痕鮮やかにしたためた紙を、神殿の入り口の扉に張った。
『わしはおらぬ。出直して来い』
 外に出た女神は大きく足を開いて立ち、空をまぶしそうに見上げると、両腕を上げて思い切り伸びをした。着物の前やすそが盛大にはだける。
「これは面白くなりそうじゃ。まことにわくわくするのう。皆の者、何をしておる。早うまいれ」
 女神は大きな口を開け、楽しそうに笑った。

                               〈完〉

 長い物語を最後までお読みいただきありがとうございました。
 この作品は、以前投稿用に書いたものです。ラノベの賞に応募したところ、コメントシートには『大変よく書けていますがライトノベルではありません』と記されていました。ラノベの賞をあきらめることになったきっかけの作品であります(その後一般文芸に転向し、最初に日本ファンタジーノベル大賞に応募したところ、思いがけなく優秀賞をいただきデビューいたしました)。ずっとファイルの奥に突っ込んでおりましたがこういう形で日の目を見ることとなり、今作もきっと浮かばれるでしょう(笑)。

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