苦しいからこそ、物語になる。
先日、物語を書いているときに、世の中にある物語というのは「主人公が苦しい時期を乗り越える」という描写があるからこそ、人は読みたいと思うのではないかと感じた。
そして、そういう「苦しい時期」の心の描写というのは、その時期を味わった人が共感できるリアリティさがなければ、一気に色あせてしまう。分かったつもりになって中途半端に書けば書くほど、本当に「苦しい時期」を経験している人から、見放されてしまうのだ。
苦しい時期というのは、本当に早く過ぎ去ってほしい気持ちでいっぱいになる。もがけばもがくほど沼にはまっていくようで、どこを見ても真っ暗で光が一筋も見えなくて。心が引き裂かれるように苦しくて、胸が痛くて涙が止まらなくて……。
けれど、その時の感情は、良くも悪くもその瞬間にしか味わうことができない。逃げ出したいと思う気持ちすら、その苦しい時期を味わってないと理解することができない。
乗り越えた後に、今ある幸せを嚙みしめたり、今いる環境への感謝が湧いたり……そんな気持ちも、苦しい時期を経験しなければ、分からないのだ。
「苦しい時期」に意味を見出せるのは、私のように文章を書いている人だけと思われるかもしれない。けれどそうじゃない。誰かが語る、苦しい時期を乗り越えた話は、順風満帆な有名人の話よりも、人を惹きつける。
「あの時は大変だった。けれど今は……」
苦しいからこそ、物語になる。
そして最後は、ハッピーエンドであってほしいと切に願うのだ。