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処女、官能小説家になる【第七話】

【第六話までのストーリー】
 咲子が片桐と疎遠になり、5年の歳月が過ぎる。片桐は、交際していたマリコと結婚し、咲子は挙式と披露宴に呼ばれる。

 好きだった片桐のタキシード姿を見て、動揺する咲子。そんな咲子に、塚本という同級生が優しく声をかける。

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第七話

塚本

 披露宴が終わると、そそくさと咲子は席を立つ。

「やっぱ、結婚式行くといいなーって思っちゃうよね。俺も、結婚したくなっちゃったよ」

 隣の席の塚本が、ぼそっと呟く。そして、咲子の方をチラッと見て少し照れくさそうに頬を赤らめた。

「あの、咲子さん。この後、僕と飲みにいきませんか?」

 塚本は、少し照れた表情をしていた。咲子は「別にいいよ、暇だし」と返答する。正直このまま帰っても、1人虚しくなるからだ。

「嬉しい。咲子さんと、ずっと飲みたいって思ってたんだ。あの頃は、なかなか話すら出来なくて」

 塚本は、嬉しそうに笑った。

「咲子ちゃん、荷物重いでしょ?持ってあげるよ。車、向こうに止めてあるからさ」

 塚本は、車で来たんだ。いくら知り合いとはいえ、さほど仲良くない男性の車なんて乗っていいものだろうか。咲子は、ふと思い悩む。

 もし、急に押し倒されたら。車は密室だから、逃げきれないはず。かといって、ここで彼の誘いを拒絶したら、塚本に男慣れしていないことがバレてしまう。男性経験がないと知ったら、彼はがっかりするだろうか。

 咲子がうーんっと唸っていると、「どうしたの?」と、塚本が心配そうにのぞき込む。あわてて咲子は「い、いや何でもない」と答えた。

デートは突然に

 塚本と一緒に向かったのは、少し街から離れた古いBARだった。

「マスター、いつものバーボンロックで。咲子ちゃんは、何飲む?」

 塚本が慣れた対応をする。おそらく、行きつけの客なのだろう。お酒なんて、何を飲めばいいのかわからない。咲子は、困った表情でマスターに尋ねる。

「あのう。お勧めのお酒って何ですか?私、お酒にあまり詳しくなくて……」

「お姉さん、お酒飲めるの?」

「飲み会とか、あまり行ったことなくて。でも、少しなら飲めると思います。チューハイとか、女子会で時々飲んだことあるので…」

「じゃあ、女の子でも飲みやすいカルアミルクとかどうかな?チューハイ飲めるなら、飲めると思いますよ。

お酒飲む前に、ミルク系の飲み物を飲んでおくと胃に膜を作るから次のお酒も進みやすくなると思います」

 マスターがそう言うと、「カルアミルク、いいね」と、塚本が呟く。

「実はこの店、うちの妹が昔働いてたんだ」

「えっ、そうなの?」

 咲子は、目を丸くした。塚本は得意げな顔をして、話を続ける。

 塚本の話によると、妹が調理師専門学校に通ってた頃があり、その頃にこの店でバイトしていたらしい。

「うちの妹、いつかは自分の店を持ちたいって言っててさ。今は、パリのお店で修業してるよ」

「すごい!今は、パリにいるの?」

「ああ。今は、学校で知り合った彼氏と一緒にパリに行ってるよ。将来は、一緒に店を出すんだってさ。」

 妹の話を嬉しそうに語る塚本を見るなり、咲子は嬉しくなった。よく知らないからって、勝手に襲われたらどうしようと疑心暗鬼になって、本当にごめんなさい。

 咲子は、彼の下心を疑ってしまったことを、心の底から恥じた。

 やがて、咲子の前に薄茶色の飲み物がやってきた。口に含むと、ほんのり甘くて飲みやすい。

「カルアミルク、飲みやすいでしょ?」と、塚本は言ってニコッと笑った。

 咲子は小さく、「うん」と頷いた。

 塚本の話によると、このBARに片桐と二人で来ることもあったらしい。片桐とは、恋や仕事の話など、何でも話し合っていたとか。その話を聞いて、咲子は塚本のことを、少し羨ましいなと思った。

 もし、片桐と男友達だったら、腹を割って話し合える関係になっていたかもしれない。

「そういえばさ、咲子ちゃん。いつも後ろに幽霊連れてたよね。今日は、もう後ろに姿が無かったから安心した」

 塚本からそう言われて、咲子はビクっとする。

「ほら、いつも咲子ちゃんが後ろに連れてた、髪の長い女の人。あの人確か、最近まで雑誌に載ってた気がするんだよね…?確か、人気の官能小説家だったような」

 咲子はどきりとする。月野マリアの存在が、もしかして塚本には見えていたのだろうか。

「塚本君、官能小説読むの?」

「まぁ、たまに読む程度だけどね。例の作家さんは、作品がテレビドラマ化もされたし、映画化もされたはず。その女の人に、そっくりな幽霊だった気がするんだ」

「塚本君、霊感あるの?」

 咲子は、おそるおそる尋ねた。月野が幽霊になったことを知られると、彼女の死がバレてしまう。なんとか、阻止しなきゃ。

「実は俺、小さい事から霊感強くてさ。今は、霊媒師の仕事してるんだ」

「霊媒師?」

 咲子は、素っ頓狂な声をあげる。

「ああ。といっても、僕の本業は銀行員なんだけどね。うちの家系、実は先祖代々から続く霊感強い家系でさ。

世間には素性隠して、親父も普通に企業の管理職として働いていてね。

僕の家族は依頼があると、副業で霊媒師の仕事に携わることがあるんだ」

 塚本は、落ち着いた口調で咲子にそう伝えた。

霊媒師

「霊媒師って、何?」

「霊媒師ってのは、霊と対話する事が出来るんだけど。咲子ちゃんの後ろにいた悪霊は、物凄く複雑な怨念を抱えててさ。

だから僕がその霊と話そうとしても、その人の体から色んな人格が出て来て、話し合いがまったく出来なかった。恐らく、多重人格の幽霊なのかもしれない」

 多重人格。その言葉に、咲子はドキッとする。月野マリアは、確かに多重人格者だ。塚本は本当に、霊が見える人なのだろう。

「多重人格の幽霊が、いつもぴたりとくっついてたからさ。咲子ちゃんの事が、いつも気になってたんだ。

片桐にも、その話を相談しようとしたんだけどさ。

悪霊が咲子ちゃんについてるといっても、『そんなこと、あるわけないだろ』と、信用して貰えなくて」

 ——片桐君、月野マリアのことを本当に誰にも話していなかったんだ。ちゃんと、出版社との約束を守っていたのね。

 塚本の話を聞いて、咲子は改めて片桐を見直した。

「咲子ちゃんの後ろについてた悪霊は、本当に危険な霊だから気をつけて。

 咲子ちゃん、時々その悪霊が憑依してたことが、何度もあったから。

もしかしたら、隙をついて咲子ちゃんの体を奪おうとしていたのかもしれない」

「えっ。私の体を?体を、奪う……?」

 どういうことだろうか。月野マリアは、私にゴーストライターを依頼しただけじゃなかったの?塚本から話を聞くなり、咲子は背筋がゾッとした。

「咲子ちゃんは優しいし、真面目な人だから霊が取り憑きやすいかも」

「もし、霊に体を乗っ取られないようにするには、どうすればいいの?」

「霊に負けない、強い意志を持つことかな」

 塚本の話を聞いて、咲子はふと思い出す。5年前に咲子が月野マリアを追い出した時、咲子は「もう、私に構わないで」と伝えた。

 咲子はそのことについて、時折「酷いこと言っただろうか」と、後悔する日もあった。けどあの行為によって、月野から体を乗っ取られなくて済んだのかもしれない。

 もちろん、咲子は月野がそんな霊ではないとは思っている。ただ、月野は多重人格者でもある。もしかしたら、まだ知らない人格が宿っていたかもしれない。もしその人格が、体の乗っ取りを企てていたとしたら……。

 咲子は、勢いよくカルアミルクをぐいっと飲み干す。カルアの濃厚な甘みが、喉にとろとろと流れていく。

「咲子ちゃん。次、何飲む?」

「塚本君のおすすめ、教えて」

 すると、塚本はマスターにウインクした。ウインクと同時に、マスターがカラカラとシェーカーを上下に振る。

「お待たせしました」

 目の前に出されたカクテルは、琥珀のような橙色をしていた。

セックスオンザビーチ

「塚本君、このカクテルの名前は?」

「セックスオンザビーチ」

 にんまりとした表情で、塚本が答える。

「せっ、せっくす……?」

 あまりのセクシーなネーミングに、咲子は一瞬たじろく。

「ちょっぴり過激な名前で、驚くでしょ?でも、甘くておいしいから。まぁ、飲んでみて」

 カクテルを口に含むと、パイナップルのフルーティーな甘みが、口いっぱいに広がる。大人っぽい名前なのに、こんなに飲みやすいなんて意外。咲子は、ぱちくりと瞬きをする。塚本は、ふふっと笑った。

「咲子ちゃん。辛い時は、いつでも声をかけて。咲子ちゃんが辛い時、悪霊に狙われるかもしれないから……」

 塚本は、そう言って咲子の手をギュッと握る。塚本の手は、大きくて温かい。

「マスター、バーボンもう一杯」

「あいよ」

 塚本と、マスターのやり取りは、まさにあうんの呼吸だ。塚本は、どうやらこのお店にかなり入り浸っているのだろう。

 咲子もつられて「セ、セックスオンザビーチ、もう一杯下さい」と続く。カクテルを注文するなり、咲子はぽっと頬を赤く染めた。

 ふふっとマスターは笑みを浮かべながら、「あいよ」と答えた。


「今日は、どうもありがとう。咲子ちゃんと久しぶりに会えたし、沢山話すことも出来て嬉しかった。もしよかったら、また会ってもらえるかな?」

 塚本の問いに、咲子は何の躊躇もなく「いいよ」と言った。咲子の足元はすでに覚束ない状態で、すっかり酔っぱらっている。

 塚本は、ふらふらとする咲子の背中を、そっと手で支える。

「遅い時間まで、連れ回してしまってゴメンね」

 ——私の帰り際の事まで心配してくれるなんて。何て優しい人なんだろう。

 デートって、こんなに楽しいんだと、咲子は思った。

【続く】

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