処女、官能小説家になる【第五話】
第五話
偽カップル
「すみません。実は僕達、見てわかると思いますが。ただの、カップルなんです」
片桐は、警察へ今の状況について説明をし始めた。片桐の腕の中、咲子は胸がドキドキして落ち着かない。
「カップルだったんですね」
警察は、申し訳なさそうな表情で、ペコリと謝った。片桐は、しめしめという表情でニヤッと笑みを浮かべる。
「たまたま二人で道を歩いてたら、佐藤さんという女性に呼び止められて。
佐藤さんに『いい仕事があるから」って誘われて、フラフラ着いてきただけです。バイト代は、10万円と言われました。
バイト代を聞いた途端、あまりにも高いから怖くって。もしかしたら闇バイトかもしれないと思って、怖くなり断りました。
そしたら、佐藤さんが発狂して怒り始めちゃって。
困ってた矢先に、佐藤登さんと、警察の方達が沢山来て、僕と彼女は助けられました。僕達、本当はこれからデートだったのに……」
片桐は、目に涙を浮かべながら警察官へ伝える。よくもまぁ、ここまで平気な顔をして嘘がつけるものだと、咲子は頭を抱えた。
「そうですか。本当は、目撃談とか色々聞かないといけないんですけど。
でも、お楽しみ中の所をこれ以上邪魔する訳にもいかないので。私達は、ここで退散することにします。色々と、ご迷惑おかけしました」
警察はそう言って、ぺこりとお辞儀をした。その瞬間、片桐はニヒルな笑みを浮かべる。片桐の作戦は成功し、2人は警察からの取り調べへ応じずに済んだ。
警察官達は、捕らえられた佐藤家3人を引き連れ、足早に立ち去る。さっきまでの賑やかさとはうってかわり、部屋は咲子と片桐の2人きり。それは、まるで嵐が過ぎ去った後の静けさだった。
閑散とした空気の中、黙々と片桐は原稿を拾い集める。サラサラした髪から覗くスッと長い睫毛が、また一段と美しい。咲子は、はっと息を飲む。
「なんとか、あいつら立ち去ってくれたな。咲子、原稿を拾うの手伝って」
「えっ。何で?」
咲子は、きょとんとした表情で片桐を見る。
「月野マリアと約束してたじゃん。小説書くってさ。それには、この月野マリアが書いてきたネームが必要なんだろ?
まぁ、俺もここで話を聞いてしまった当事者だし。咲子の小説、手伝ってやるからさ」
片桐は、咲子の目を真っ直ぐ見つめて、クシャッと笑った。片桐が笑う時の目尻の皺が、咲子は大好きだ。
「片桐君……」
「ごめん。俺さ。本当は、咲子が小説家になれたらデートしてやるって言ったの。嘘だから。
本当は、俺の事を諦めて貰う為に、無理そうなことを言っただけ。俺は、咲子と付き合う気とか無いから。
正直、本気でまさか小説家としてデビューしようとするなんてさ……。まさか、俺のせいでこんな時間に巻き込まれると思わなくて、びっくりしたよ。
これは、俺にも責任があるからさ。咲子の小説、手伝うよ」
小説家になったらデートしてくれるという話は、嘘だったのか。咲子は、がっくりと肩を落とした。そんな咲子に、片桐は飄々とした顔でこう言った。
「正直、俺。月野マリアの作品を読んだことがあってさ。本当、どうしてこんな展開が思いつくんだろうっていつも不思議で。
ただの官能小説で終わらせないスリリングな展開とか、天才だよ。
月野マリアの原作なら、絶対ヒット間違いないし」
そういえば、片桐君はいつも休み時間に本を読んでいたっけ。官能小説も読むのだと、咲子は驚いた。
「それに俺が手伝えば、俺にも印税の一部入るよね?」
「ま、まぁ……」
——そうか。手伝ってもらうとなると、片桐にお金を払わなきゃいけないのか。手伝ってもらう時には、片桐とお金に関する契約もしなきゃいけないのかも。
「今のピザ屋のバイト、まじキツくて。丁度、バイト辞めたかったんだよねぇー。小説家の方が、絶対金になるじゃん」
咲子は、キョトンとした顔で片桐を見つめる。片桐は、凛とした表情だ。やる気なのだろう。片桐は、咲子の腕をぐっと引っ張る。
「今から、本屋行かないか」
「えっ。どうして本屋に?」
「咲子は文章が上手でも、官能小説の表現についてはわからないだろう?
通常の小説よりも、表現が独特だと思うんだ。性描写を、いかに上手く文章で表現するか。咲子も、勉強しないとね」
頬を赤らめる咲子に、「何を想像しているんだよ!咲子は!ドスケベか!」といって、片桐は屈託なく笑う。
もしかしてこれって、咲子が夢にまでみた、片桐とのデートなのかもしれない。まさか、こんな形で夢が叶うなんて。
今後は「官能小説を執筆する」という口実で、片桐と一緒に過ごせるのかもしれない。
うきうきとした表情で、咲子は片桐の腕をぎゅっと掴んだ。片桐の腕はあたたかくて、とても柔らかい。
デート
「咲子、近いよ。もうちょっと離れてよ。これじゃ、デートじゃん」
狼狽える片桐に、「いいじゃん。いいじゃん」と咲子は囁きながら、軽くスキップをする。
「咲子、本当に調子に乗るなよ」
片桐は、顔を顰めた。本屋につくと、咲子と片桐は、小説を書くのに参考になりそうな書籍を物色し始める。
「官能小説のコーナーって、こっちじゃない?」
片桐はそういって、咲子の手をグィッと引っぱる。咲子が目をやると、そこは官能小説コーナーだった。本棚に設置されたポップには、服がはだけて、セクシーな表情をした女性のイラストが描かれている。
恥ずかしさのあまり、咲子は目を覆う。片桐は「イラストでびびるのは、まだ早いよ」と言ってらケラケラと笑う。
片桐は、慣れた手つきで数冊の官能小説を選びら購入する。涼しい表情で、ぽんぽんと本を手に取る片桐。
そんな片桐の姿を見て、官能小説の相当な愛読者だなと、咲子は悟った。
本を購入した2人は、そそくさと本屋を後にする。すると、2人の目の前に突如として、長い黒髪、青白い顔をした女性がぼうっと佇んでいた。
どこかで見覚えのある表情と顔立ちに、2人は息を飲んだ。
「月野……月野マリア……。捕まったんじゃねーのかよ?」
片桐が、ガタガタと震えだす。そこにいたのは、警察に連行されたはずの月野マリアだった。
「片桐さん、お久しぶりです。私は警察に捕まってすぐ、拘置所で発作を起こして死亡しました。
そもそも私自身、捕まった時点で余命は僅かでした。逮捕のショックで、死ぬのが早くなったみたいです」
以前の荒っぽい様子とは違い、この日の月野は穏やかな表情をしている、言葉遣いも、妙に丁寧だ。まるで、あの時出会った月野とは別人のよう……。本当に、同一人物なのだろうか。咲子は怪しんだ。
「はっ、はぁぁ?死んだのに、どうしてここに?」
「はい。それは、幽霊だからです」
月野マリアが死んで、幽霊になったなんて。親から辛い目にあってきた月野には、せめて幸せになって欲しいと思っていたのに。
そして月野が刑務所から戻ったら、彼女に喜んでもらえるように、いい作品を作って渡したいと、咲子は考えていた。
「咲子さん。片桐さん。あなた達の事は、ずっと天空から様子を伺っていました。
私は、咲子さんや片桐さんが一生懸命私のために、小説を完成させようと動いてくださっているのを見て、本当に涙が出るほど嬉しかったです」
月野はそう言って、ほろりと一粒の涙を流した。
「咲子さんに、私のゴーストライターをお願いして本当に良かったなぁと思いました。しかし、一つだけ不安な事があります。
それは、いくらAVや官能小説を読んだ所で、実際に性行為を体験した人間と同じ感覚は理解出来ないという点です。
咲子さんは、おそらく彼氏ができたこともないでしょうから……。
そこで、私から提案があります。
もしよかったら、咲子さんがストーリーを書くときだけ、私が憑依するというのはどうでしょうか?」
「憑依って、何ですか?」
咲子が首を傾げると、月野は「憑依とは、私が乗り移ることです。もちろん咲子さんの意識と文章力はそのまま残るよう、憑依するつもりです」と答えた。
月野からの提案に、咲子は目を丸くした。
憑依
咲子が官能小説を書く時は、月野マリアがすうっと憑依する。月野マリアが咲子に憑依することで、彼女の記憶が脳内を駆け巡る。
月野が咲子に憑依すると、脳内に「月野マリアが考案したストーリー」が浮かび出された。咲子はそれを読み取り、文章として形にする。
月野マリアを自分の体に憑依させることで、彼女の過去や生い立ち、トラウマの理由を知ることもできた。月野も憑依するなり、これまでの苦悩や出来事、葛藤について、咲子へ伝えようとする。
もちろん、憑依におけるトラブルもあった。月野が体に憑依すると、咲子自身が激しいフラッシュバックに苛まれることも少なくない。
咲子が体の負担を感じた日は、憑依を断念した。また、月野が憑依する時は、心配だからという理由で、片桐が間に入った。
月野と憑依することで、もうひとつ咲子が彼女について理解した部分がある。それは、月野が多重人格である点だ。
月野は母親から辛い目にあう度に、どうやら幾多もの人格を作り出していたらしい。だから、会う度にキャラが異なるのかと、咲子は深く頷いた。
月野と初めて会った時は、言葉遣いも乱暴で、凶暴な性格をしていたっけ。どうやらあの凶暴なキャラクターは、母親に殴られた頃に誕生した「サリナ」という女性らしい。
サリナは、「てめぇー!」と、どこかヤンキー口調で、荒っぽいのが特徴だ。月野の人格には、他にも従順で優しい「ハルカ」もいる。ハルカは、癒し系の優しい女性だ。
月野が「片桐さん。咲子さん、いつもありがとうございます」と丁寧に話す時は、どうもハルカという人格らしい。幽霊として再会した時のキャラも、ハルカだそうだ。
月野がストーリーを構築する時の人格は、「ヒトミ」という女が登場する。ヒトミは、月野が企画女優をしていた頃、ロープで吊るし上げられる撮影をした頃に、精神的ショックから生まれた人格だ。
——これまで出会った月野マリアは、いずれも辛い過去から回避させる為に作りあげられたキャラクターだったのだろうか。もしかすると、本物の月野マリア、いや本名の「佐藤由芽子」とは、まだ出会ってないのかも。
咲子は、月野に「本当の貴方に会わせて欲しい」と懇願した。月野のことをもっと理解した上で、彼女が求める作品を書きたいと考えていたからだ。
すると月野は、「嫌です。本当の私は、誰にも会わせたくありません」といって拒絶した。
月野によると、辛い出来事が起きる度に、サリナ、ハルカ、ヒトミという別人格を出すことで、目の前にある現実を受け入れずに済むと考えているらしい。
——月野さん。あなたが生み出した人格は、どれもみんなあなたです。私はそれを理解した上で、あなたが命がけで書いたストーリーを、完成させたいと考えています。
そして、すでに亡くなられた月野マリア……いや、佐藤由芽子さん。あなたを、天国に成仏させてあげたいのです。
月野から拒絶されるたびに、咲子は月野へ訴え続けた。すると、いつも何も言わずにすっと消えてしまう。月野と心を本気で通わせるのは難しいと、咲子は次第に諦め始める。
咲子は、月野が憑依することにより、ひとつの作品を完成させる。
月野との合作で生まれた官能小説「モンスター」は、両親からネグレクトや虐待を受け、多重人格者となる女性が主人公である。
モンスターは、瞬く間に200万部の大ヒットとなる。作品は、映画化、ドラマ化もされ、いずれも人気となった。
著者の月野マリアは、死を公表していない。作品は生まれ続けているので、誰も彼女が死んだとは思っていないだろう。いつか、その事実がバレないだろうか。ひやひやとした気持ちを抱えながら、咲子は作品のドラマ、映画の出来を確認する。
いずれの作品も、原作のキャラクター、構成を崩すことなく、素晴らしい作品ばかりだ。キャラクターを演じる俳優達も、見事なまでに演じ切っている。
映画館に行けば、自分が完成させた作品を見て、涙する客の姿もチラホラ見かける。多くの人たちの心を動かし、喜んでもらえるなんて。なんて素晴らしい仕事なのだろう。
月野の考案したストーリーは、やはり素晴らしい。セクシーなシーンだけで終わらせず、ほろりと泣ける切なさもある。
もっと彼女のストーリーを世に広めるためにも、ゴーストライターの仕事を続けなければ。咲子は、グッと拳を握りしめた。
モンスターが完結し、作品のドラマ化・映画化が進んだ頃には、咲子も20歳になっていた。
片桐は、今でも咲子の秘書として働いている。その頃、彼には他に女性がいた。あれは、執筆活動で忙しくなっていた頃のことだ。親友のマリコが、ポツリと咲子に呟く。
「咲子。ごめん。ずっと黙ってたんだけど。実は私、片桐君と付き合ってるの」
【続く】