処女、官能小説家になる【第三話】
第三話
条件交渉
「片桐様。この度は弊社まで足を運んでくださり、有難うございます。こちらの席へどうぞ」
佐藤は、咲子の座る席の隣へ、片桐を誘導する。片桐が席につくと、お茶の入ったグラスを差し出した。
お茶を口に含んだ片桐は、「冷たくて、美味しいですね。お気遣いありがとうございます」と言って、笑みを浮かべた。
「今日は、最高気温だそうです」
佐藤は、ニコッと笑う。汗ばむおでこをハンカチで拭う片桐に、佐藤は淡々とした口調で話を始めた。
「片桐様が来て頂ける事を、弊社では心よりお待ちしていました。実は、片桐様に頼みたいお仕事があります」
「頼みたい仕事、ね。何でしょう?」
片桐は栗毛色のサラサラした髪を、さっと手櫛で整える。
「月野マリアは、官能専門の天才ストーリー作家です。
月野の仕事を最大限に生かすためには、彼女自身が官能の世界を体感しながら書く必要があります」
「はぁ、体感ですか……」
怪訝な表情で、片桐はボリボリと頭をかいた。佐藤は、顔色ひとつ変えず、説明を続ける。
「ストーリーを組み立てるには、やはり自身が体験して体で感じる。これが一番です。
しかし、実は月野、度重なる性交渉に伴い、梅毒にかかっています。余命は僅かです。
彼女自身が今後、誰かと性交渉をするのは無理でしょう。彼女自身、AVの道も退く事になりました」
佐藤の話を聞くなり、咲子は「えっ」と声をあげた。月野は明るくケタケタと笑っているけど、余命がいくばくも無いだなんて……。
余命
「月野の引退は、表向きは、ストーリー作家転身と伝えてあります。
本当の理由としましては、彼女の性病が原因で仕事が出来なくなったからです。
AVを引退すると、ソープなどの風俗に転身する女優は沢山います。しかし、彼女は性病にかかったため、その選択肢もありませんでした。
残り少ない余命の中、彼女自身。一体、自分に何が出来るのか私は模索し続けたのです」
余命僅かなら、体を休ませてあげたらいいのにと、咲子は思った。
佐藤からすれば、月野は出版社にとってもなくてはならない存在なのだろう。佐藤は無表情のまま、黙々と話を続ける。
「私はある日、ふと気づいたのです。月野が昔からドラマを見る度に『こういうストーリーだと、もっと面白いのに』と。
もしかしたら、月野が脳内で産み出されるエロスを、ストーリーとして組み立てれば、面白い作品ができるのではないかと。
そこで、私は月野に『これまでの経験を活かして、官能作家になってみてはどうか?』と声をかけたのです」
佐藤の話に、「ちょっと待って」と片桐が待ったをかける。
「佐藤さん。月野マリアさんは梅毒で余命幾ばくも無いって、それは本当ですか?」
片桐が答えると、佐藤の表情が、一瞬曇った。
「梅毒で死ぬ人は、現代では限りなく少なくなっていると聞きます。
病院に行ってちゃんと治療すればちゃんと治ると聞きました。
放置状態で3ヶ月程すれば、顔にブツブツの症状が出ます。髪も、禿げてきます。
まだら模様のバラ疹も出ますし、場合によっては指や顔の一部分が腐ることも……。
佐藤さん。月野さんは病気が原因でストーリー作家になったと、さきほど聞きました。
月野さんの最初の作品、確か映画になりましたよね?原作を作ったのは、一年以上前ではないかと。月野さん、顔色悪いし挙動不審ですが。
梅毒では無いと、僕は思います」
片桐は、きっぱりとした口調で佐藤に伝えた。自分より大人な佐藤に対し、冷静に対応する片桐の姿に、咲子は惚れ直した。
片桐が話を終えると、月野が「ちょっとおおお!佐藤さん!もういい加減適当な事ばかり人に言うの、辞めてくださいよぉ!私は、ただのクスリ中毒だっちゅーの!」と叫んだ。
すると、佐藤が「ちょっとおおおおお!」と叫びながら、狼狽えた。
これまで一糸乱れぬ冷静沈着ぶりだった佐藤が、突然慌て始める。咲子と片桐は、目を丸くする。
「月野ぉぉぉ!こんなに私が、必死にやっとの思いでずっと庇ってきたのにぃぃぃ!クスリの事だけは……。
クスリの事だけは、絶対に言うなってあれほど言っただろうがぁぁぁぁ!」
いままで声色ひとつ荒げなかったのに、すっかり別人の佐藤に咲子は狼狽える。
「あなたが薬物中毒で絶対に辞めようとしないから!私は、どうやって隠せるのかって、悩んで悩んで……。
そうだ。性病にすれば、あなたをAV業界から引退させる事が出来る……。
今の状態も、性病という事にすればバレたとしても世間から同情されるはず。
薬漬けで死んでも、悲劇のヒロインとして崇められ続けるはずだって。私があなたのために、懸命に考えたんだろがぁぁぁ!」
「おまえは、いつも私の事を金になる道具としてしか見てねぇだろぉぉぉ!」
やがて、月野マリアと佐藤雪の激しい言い争いが、咲子の目の前で始まった。
「月野!落ち着きなさい!ほら、またそうやって興奮したらクスリが必要になるだけじゃないのぉぉぉ!」
「うるせぇぇぇ。うっ、うわぁぁ……。たっ、大変。佐藤さん……。向こうから青い男が来る、青い男がぁぁ……」
月野マリアは、頭を両手で抑えて、突然泣き叫びはじめた。月野の体が、途端にガタガタと小刻みに震え出す。
「月野っ!おっ、落ち着きなさい!きっと貴方が見ているものは、幻覚です。
青い男なんて、ここにいません。今日は、いつもよりクスリを多く飲み過ぎちゃったのよ」
「いっ、いや……。青い男が、私を襲いに来た……。たっ、助けてぇぇ!」
月野マリアが、猛烈に暴れだした。
佐藤、咲子、片桐の3人で、暴れる月野マリアの体を抑え込む。
月野マリアは、目に涙を浮かべ口からヨダレを垂れ流し「ぎゃあぁぁ!」と叫び始めた。
ふと咲子は、ドアの方に人影を感じ、振り返る。そこには、青いシャツを着た50半ばの中年男がポツンと佇んでいる。
「雪、由芽子……」
男が言うと、佐藤の顔が途端に強張る。
「なっ、なんで。貴方がここに……」
佐藤は男を見るなり、途端にガタガタと震え出す。
「久しぶりだな、雪」
男が口を開けると、あたりがしんと静まり返る。男はボロボロの服に身を包み、まるでホームレスのような井出立ちだ。
髪はボサボサで髭が伸びており、ほんのり異臭がする。何日も、体を洗ってないのであろう。
「お前が家を突然飛び出したのは、俺が悪かった。しかし、もうこれ以上デタラメばかり他者に吹聴して、金銭を稼ぐような真似だけは辞めてくれないか。
もう自身の快楽の為に、人々に無理をさせないでくれ。自分がお金に困ったからといって、実の娘を使ってお金儲けをするのもやめないか。
由芽子を使って、「企画AV女優 月野マリア」としてデビューさせたことも、何もできず黙って君の虐待を見届けた俺も、罪人だよ……。
由芽子を裸一貫で働かせておきながら、今度は娘の麻薬中毒隠蔽工作か。
本当に、お前はどこまでも屑な女だ」
男がそう言い放つと、月野マリアが項垂れるように塞ぎ込みだした。
突然あらわれた男は、月野マリア=由芽子の父だった。そして、佐藤雪は月野の母親であり、男の夫だったのである。
やがて月野は男の話を聞いた途端、「うっ……うっ……」と、嗚咽混じりの声を上げて泣き始めた。
【続く】
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