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治療が死因とは…「ザ・グレート」シューベルト最後の交響曲をめぐる物語・しほり音楽のおと②
※このシリーズの写真はpixabayより「オーストリア・ザルツカンマーグート」の写真を使わせていただきました。シューベルトのこの地方への旅行でこの曲が完成しました。
*大いなるもの〜しほり音楽のおと①にカラヤン・ベルリンフィルの演奏ご紹介しております。
シューベルトがかかってしまった病
シューベルトは31歳の若さで亡くなっているのですが、
当時には死に至る病の梅毒にかかってしまい、未完成を作曲している頃にそれを知ったようです。最後の交響曲ザ・グレートも、病状の進む中で書かれています。
その曲が今、こんなに元気づけてくれるとは…
ところが、今の私たちには信じがたいことですが、
当時は、梅毒の治療に水銀が使われていました。
シューベルト研究所の本当の死因についてのレポートでその治療について詳しく述べられています。詳しく知りたい方はこちら→
死因については腸チフス説もあります。
水銀は、古代から様々な病気の薬として使われていた。そして同時にその毒性も知られていました。
しかし、シューベルトの時代18〜19世紀になっても、梅毒を水銀軟膏の塗布によって治療するのがブームとなっていたそうです。
今となっては、ブームというのが怖いですが、ペニシリンができるまで、
体中に膿腫ができ、顔まで変形してしまうような壮絶な症状を他に治せるものがなかったので、それにすがるしかなかったということもあるのです。
当時も水銀反対派もいて対立していたそうです。
反対派のヘルマンは、
「水銀というものは、人間の器官の中に、我々が梅毒の副産物として診断してきたあらゆる病気の症状を引き起こすことができるのだ。…水銀治療は人類に対する犯罪である」と警告しています。
つまり、梅毒だからなるという症状は水銀のせいだとのことですよね。
しかし、梅毒の治療法が他にないため、人々は水銀治療にすがります。
その治療というのが、まず水銀の甘い溶液を飲み、全身に水銀軟膏を塗布するというもの。水銀を皮膚からも取り、そして、水銀は気化しますから、その蒸気を吸うために、そのまま何日も閉じこもるというものだったそうです。
現在の研究によると、シューベルトもその治療をした可能性が高いということです。
身近で水銀がたくさん使われていた時代
また、当時はそれだけでなく、子どもが痛がれば水銀軟膏や水銀オイルを塗ったり、天然痘の発疹や、ペストにも使われていたそうです。
先程書いたように、水銀は蒸発するから、多量に吸い込まれたようです。
皮膚の真菌類もあっという間に根絶し、皮膚を白くする効果まであるという水銀。たしかに効く薬だったのです。
人々は何にでも効く水銀を盲目的に使っていました。美白までできるのですから。
鏡や獣毛の入ったフェルトの帽子まで水銀が使われていたそうです。
つまり、女性も水銀を体内に大量に取り入れており、それが妊娠することで、胎児へと蓄積されていったのです。
シューベルトの兄弟たちも、ほとんど早く亡くなっていて、シューベルトも産まれた時から、水銀中毒であった可能性も高いそうです。
目が良く見えなかったというのも、その影響である可能性があり、体型などもそうらしいのです。
日本でも奈良の大仏に金メッキするために使われた水銀のために、病気や死に至る人がたくさん出たり、白粉としてたくさん使われてしていました。日本のことはいずれまた。
進んでいたと思われている19世紀のヨーロッパで、水銀治療がブームとなり、盲目的にどんどん使われていたということに驚きます。
今だから「なんてことをやっていたんだ!」と言えますが、当時の医師たちの殆どが疑うことなく治療をしていたのですね。
実際、発疹自体はいったん無くなるので、治療が効いたと思ってしまってたのですが、シューベルトの死因は病気自体でなく、水銀中毒であったことが、先のレポートに書かれています。
200年後の人たちは今の医療をどう見るだろう
今私たちは、200年後に歴史として、シューベルトの時代を見てますが、水銀の規制が世界的にされていくのも、水俣病があり、10年以上たち水銀のせいだと認められてから。本当に最近のことです。
さて、ここ数年の出来事は、歴史の転換点となって歴史に残っていくのだろうと思えます。果たして未来の人たちはこの時代の医療をどう見ていくことになるのでしょうか。
そして、シューベルト自身は水銀が原因とはわからずなくなっていますが、このような状況の中で作曲をしていたという背景があったことを知ると、
また少し違ったものに感じるかもしれませんね。
一方で、大自然がシューベルトに生きる希望の光を与えてくれた喜びがこの曲の背景でもあります。
次回は、この曲がまさに大いなるものに導かれるような運命をたどるエピソードです。