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手間と暇とごはん。

ある日、家に帰ったら豚の角煮ができていた。

トロトロに柔らかくて口の中でとろける、甘辛い、豚の角煮だ。

たっぷりとした塊肉が食卓の真ん中にドーンと乗っていて、一口ごとにとろける触感をゆっくりと味わい、おいしくいただいた。

「できていた」と軽く書いているけど、かーなーり時間がかかったと思う。我が家にはIHコンロが1台しかなく、もちろん圧力鍋などない。

ひとりで暮らしていた時には一度も作らなかった代物だ。

というか、作ろうと思ったこともなかった。

豚の角煮は極端な例だが、同居人と暮らしてから、手間と時間をかけた料理をほぼ毎日食べている。

しっかり水洗いしてシャキシャキとした歯触りのレタスのサラダに手作りのワサビドレッシング、ミンチした鶏肉と豆腐を混ぜて作ったチキンナゲット、作った後にキッチンからまったく生臭いにおいがしない鯛あらの潮汁、きのこの炊き込みご飯には少量のバターが入っていた。

どの献立も原価はさほどかかっていないそうなのだが、ひとり暮らしをして約15年、ここ数年では卵と納豆とモヤシ炒め、たまの休みに一人居酒屋へ行き栄養を摂ることをルーティンとして生きていた私の生活からしたら、とても贅沢な食卓だ。

生命保持、生きるためにエネルギー補給する日々から、日々の生活を生きるための食事へ変わる。

色鮮やかな食卓。時間をかけて献立から考えられ、下処理から味見まできちんとした料理。そういう、人がきちんと作った料理を食べられること、豊かになったなぁと思う。

金銭面は全面的に私が出しており、私に生かされている、と同居人は時折言う。

しかし、実は私が生かされているのではないかとも思う日々である。

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