初音ミクさんとの出会い、結婚式を挙げて自分がFセクであると自覚するまで。
まずは自己紹介から
HN ロイ
属性 ミク廃 Fセク/Fロマ 妄想族
性別 男性
年齢 成人済み
趣味 ミクさんの服などの買い物 爬虫類飼育 鑑賞魚飼育 野鳥観察 音楽鑑賞
家族 配偶者 初音ミク(うちのミク)
特技 ミクさんとの脳内会話 ギター演奏 チェロ演奏 柔道 剣道
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初めまして。ロイです。
noteは初めて書きます。
ご存じのようにTwitterは140文字の制限があります。
なので、思ったことはすべて書ききれません。
その一方で、短い文章でまとめる癖も付いてしまいました。
書きながら、「だいぶ余計なことを書いているな」などと思ったりしたものです。
でも、やはりミクさんの事は140文字では収まり切れません。
さて、書いていきましょう。
ミクさんとの出会いは、アニメとの出会いと無縁ではありません。
私のオタク道はアニメ、ガルパンから始まりました。
そう、ガールズ&パンツアーです。
思えば、子供のころから漫画やアニメは好きでした。
因みに私は昭和39年生まれ、58歳です。
最初の漫画との出会いはなんと、のらくろでした。
なにそれ・・・という方もいらっしゃるでしょう。
私のフォロワーさんは、ほとんど知らないのでは、という漫画です。
買ってきてくれたのは父でした。
父は大正15年生まれ、一昨年95歳で逝去しました。
この年の人はギリギリ戦地へ赴いた世代です。
今思うと残念ですが父は戦争の話をしたことは殆どありません。
終戦後、シベリアに抑留されたのであまり思い出したくなかったのかもしれません。
あ、私の話はこのようにしょっちゅう脱線します。
私は文章を書くのがそれほど苦にならず、喋るのと同じペースでキーボードを打っていきます。
なので、その時思いついたことにどんどん話が流れていくのです。
で、戦争を経験した父ですから、戦争の話はしたくなくても自分が子供の時に読んだ漫画を息子にも読ませたかったのでしょう。
まあ、それなりに面白く読むことができました。
途中でのらくろが退役して大陸(たぶん中国の事?)に渡った理由が当時は理解できませんでしたね。
のらくろがどんどん出世していく話なのですが、確か連隊長になった段階で退役してしまったので
「なんで元帥になるまで続けないんだ」
等と思ったものです。
さて、とはいえ、のらくろはその後のオタク道に直結したわけではない、と思っています。
萌え要素など皆無ですからね。
その後ハマったのが野球漫画の「キャプテン」と「プレイボール」です。
ちばてつやさんの弟で、ちばあきおさんが書いた漫画です。
これはハマりました。
何度も繰り返し読み、セリフを覚えたほどです。
おかげで、学校の国語の授業の「読み」で苦労することは無く、そのすらすらと言葉がでる朗読はいつしか「読み専門」などとあだ名がついたほどです。読めない漢字はありませんでした。
因みにこのあだ名、分かりますよね。誉め言葉ではありません。
「読む」のはスラスラできるけど、内容を理解してるのか?という揶揄でしょう。
とにかく「キャプテン」にはハマったわけですが、これもオタク道とはあまり関係なかったですね。やはり萌え要素は皆無の漫画でしたので。
その後ハマったのはTVでやってた「ド根性ガエル」です。
「キャプテン」は未だに野球漫画の名作として誉れ高く、今でも十分通用します。作者のちばあきおが若くして自死してしまったので中途半端な形で終わってしまい、最近それはあまりにもったいないという事で続編である「プレイボール」の更に続編というかたちでコージィ城倉さんが「プレイボール2」を書いており、現在も連載進行中です。
この様に今でも名作と言える「キャプテン」と違い「ド根性ガエル」はお世辞にもそれに匹敵するとは思えない、というのが私の感想です。ですが、当時は音声をテープレコーダーに録音して(ビデオデッキなどありませんでしたから)繰り返し聞いたものです。
ド根性ガエルも「萌え」要素はありませんでしたが、少しだけ「オタク」の原点を見たのかな、という気がします。
さて、その後はちょっと飛んでしまい(星新一や筒井康隆の小説にハマっていたので)次に夢中になった漫画は「うる星やつら」でした。
どうですか。少しオタクらしくなったでしょう。今でもラムちゃんのコスプレはレイヤーさんたちにされますし、私と同年代のオタクは殆どがうる星やつらや、その後の「めぞん一刻」にハマったはずです。
「うる星やつら」はアニメにもなり、そちらにも相当ハマったものです。
ムック本?なんかも出ていて、欠かさず買ったものでした。ところが当時は「オタク」という言葉すらそもそもあったかどうか、という感じでしたので、漫画の方は友達に貸してあげて回し読みをしていましたが、アニメの方はあまり公言出来ない空気だったのです。
いまでこそ「わしはオタクじゃw」とむしろ堂々としていますが、当時はそんな感じだったのです。
その後の「めぞん一刻」にも当然ハマり、これも新刊を友達は待ち望んでいて、私が買うと「新しいの出たぞ」と言って回し読みをしたのです。
さて、子供の時はこんな感じでしたが、それからアニメに再会するまでにはずいぶん長い年月を経ることになります。
この間は主に音楽、クラシックとジャズ、そしてオーディオに熱中していたのです。クラシックとジャズは未だに聴いています。
でもその間も、今でいう「萌え絵」に相当するものが好きで、パソコンからプリントアウトしては、クリアファイルに入れて眺めて楽しんでしたものです。
そしていきなりガールズ&パンツアーと出会います。
出会ったきっかけは実はよく覚えていませんが、なんとなく気になっていたところにアニメチャンネル?で一挙放送があったので観たわけです。
と言ってもこの時は録画するわけでもなく(何しろ全12話とOVA,劇場版、一挙放送でしたから)なんとなく流し観をしました。
途中、寝てる時間帯もあったはずです。
その時はなぜかプラウダ高校の進撃のシーン、確か第8話ですが、カチューシャという歌を隊長であるカチューシャとノンナが歌うシーンだけが頭にこびりついてたのです。
なんとなく気になって・・・・また放送しないかな?と待っていたのですがすでに放送が終わっていたアニメ、そう頻繁に放送するわけもありません。
そこで考えたのは単純な事です。
「ならDVDを買っちゃえ!」と。
DVDでは出ておらず、Blu-rayのみだったのは衝撃でしたが、パソコンでは観られるので買ってしまいました。
そう、オタク道の入り口に足を踏み入れた記念すべき瞬間です。
全巻、特装盤をアニメイトで買ったのです。
アニメイトに行ってアウェイ感を味わったのは言うまでもありません。
今はアニメイトは全然平気です。
今度は一気観して
「これは面白い!」
という事ですぐにアンツィオと劇場版も買ったのでした。
しかし今から考えると「萌え」要素よりもストーリーにハマった感は否めません。勿論「キャラ、可愛いなあ」と感じていましたが。
「自分は萌えアニメにハマったわけではない」となぜか自分に言い聞かせてましたし、家族にもなるべく知られないようにしていたのでポスターを貼るとか出来ませんでした。フィギュアを買うなどもってのほかでした。
そういう感じでしたので「みぽりん可愛いなあ」とか「おケイさん綺麗だなあ」とは思いつつも、「推し」を見出すまでにはいかなかったのです。
しかしだんだんガルパン愛が増してきて・・・
ガルパン博覧会に行ったりするうちに画集や設定本などを買うようになったのです。
本に付属のポスターは貼ることができず、忸怩たる思いをしたものです。
そうこうするうちにだんだんと、ネットでいろんなアニメの事を検索するようになりました。
次にハマったのはほぼ同時でしたが「ごちうさ」と「ラブライブ!」でした。勿論、Blu-rayで全巻を一気に買い、その次が「けいおん!」でした。
「クイーンズブレイド」にもハマりました。
このころになるとフィギュアも買うようになりましたが自宅には飾れず、実家にある私の仕事場に飾っていました。
それらアニメはすべて「放送が終わったアニメ」でした。
そうするとやはりリアルタイムで「いま」のアニメにハマりたくなるものです。ごちうさ2期は放送中だっかな?
ちなみにガルパンにハマったのがちょうど劇場版が終わった頃でしたので2015年ころ、7年くらい前です。
そして「今」のアニメとしてハマったのが「アサルトリリィbouquet」です。
これはかなりハマり、わざわざ「聖地」である甲州まで行ったものです。
あ、大洗はこの時まで既に3回行っていました。
フルグラTシャツを中心としたグッズにも手を染めていました。
もう立派な「オタク」の出来上がりですね。
そしてこの頃でしょうか、「ドール」という存在が気になり始めたのです。
きっかけははっきり覚えていません。
確か、アニメの情報を検索するうちにドールも出てきて「可愛いなあ」と思ったのでしょう。
そしてついにドールを「お迎え」する決心がついたのです。
しかし、アニメキャラのではなく、とにかく「可愛い」子が欲しかったのです。
どこで買うか。
この時は実店舗で買う事しか頭になく、と言いますか、とにかく買う前に実物を見てみたい・・・という気持ちから大須にあるAZONEとボークスに足を運んだのです。
行くと、ありました。そりゃありますよね。
値段を見るとAZONEで4万から6万、ボークスは確か一回り高価かった記憶があります。
まだ「ドール沼」にハマる前ですから、そんなにお金をかけるという頭が無かったのです。
でも見てるうちにどうしても欲しくなりました。
かなり迷った挙句、「セシリー」ちゃんをお迎えすることになったのです。
満足しましたが、目が書かれているタイプなんですね。
ウィッグ交換もできない。
それから「コロン」ちゃんや、ネットでボークスの「ナツキ」「萩原雪歩」をお迎えするまでそう時間はかかりませんでした。
イベントにも行って、衣装も買ったものです。
はい、「ドール沼」にも足をつっこんだ瞬間です。
さて。ここでようやくミクさんが出てきます。
それまで「初音ミク」という存在は知っていました。
むしろ、かなり前から知っていたはずです。
何しろミクさんが生まれたのは15年前ですからね。
しかしオタク道そのものに入り込んでいない時期だったので、不覚にもそれ以上踏み込んでいかなかったのです。
その後、アニメ関連を検索しているとどうしてもミクさんと出会う事になりますが、「あれ?初音ミクってまだいるの?」位の感覚でした。
何しろ息の長いコンテンツ(この表現は嫌いです)ですから、なんとなく「過去のもの」というイメージがあったのかもしれません。
しかし、オタクになり、ドール沼にハマると「初音ミク」の存在は日に日に大きくなっていくのでした。
そう、私にとって「初音ミク」との出会いのきっかけは「ドール」からだったのです。
そしてある日「雪ミク」がどうしても気になるようになったのです。
そう、最初のきっかけは「スタンダードミク」ではなく「雪ミク」だったのです。
「DD雪ミク」をお迎えするのに、やはり時間はかかりませんでした。
中古(ああ、なんて嫌な言葉!)でしかお迎え出来ないので、まんだらけかどこかの通販で購入した記憶があります。
お迎えして、その美しさ・可愛さに圧倒されたのは覚えています。
そして次に気になったのは・・・スタンダードミクさんではなく、なんと、「桜ミク」でした。
なんて綺麗なんだ・・・まるで妖精のようだ・・・と感じたのです。
たまたま、まんだらけ名古屋店に在庫があったので、実店舗に行ってお迎えしたのです。この時もかなり満足しました。
しかしこの期に及んでなお、スタンダードミクさんは「緑ってなんか可愛くない」などと罰当たりなことを考えていたのです。
ああ、なんて馬鹿な俺!
思えば、この時は「初音ミク」が好きというよりは「DD雪ミク」と「DD桜ミク」が好きだったのかもしれません。
ところが、雪ミクさんたちを愛でてるうちに、当然ではありますが「初音ミク」が好きになっていったのです。
すでにボカロ曲を聴き漁り、YouTubeで動画を観まくっていましたから、どうしても「DD初音ミク」をお迎えしたい。
やはり再販などされていませんでしたから、中古市場を探すことになります。
そしてついに決定的瞬間が訪れます。
「DD初音ミク」をお迎えすることができたのです。
「緑なんてなあ」という気持ちは既に無く、ミクさんにノックアウトされていました。
ミクさんを「知った」時に恋に落ちることはなくても、雪ミクさんを好きになったその瞬間から実は初音ミクさんに恋をしていたのだと思います。
「初音ミクを好きになろうかなあ」なんて時期は無かったと思います。
即、恋落ちです。
それからはとにかくミクさん中心の生活でした。
フィギュア、ぬいぐるみ、Blu-rayやDVD、画集など手に入るものは手あたり次第でした。
それでも、「自分がミク廃」であるという認識は無かったと思います。
大好きではありましたが「生活を犠牲にしてまで初音ミクに入れ込む」という定義の「ミク廃」ではないなあ。と思っていたのです。
もちろん、ミクさんが現実にいればいいなあ、とかは思っていましたが、漠然としたものだったと思います。
決定的に変わったのはやはりマジミラ、マジカルミライでした。
次のマジミラには必ず行くぞ!と決めていたので、ライブの概要が発表された時は歓喜しました。
しかし、まさか、大阪・幕張全日程行くとは思いませんでした。
理由は当然と言えば当然ですがお金がかかるからです。
「自分はミク廃まではいっていない」と思っていましたし。
それでも、大阪・幕張、ともに土曜日と日曜日のチケットを入手しました。
ところが日程が近づくにつれて「初日にも行きたいなあ」と思うようになり、結構直前で金曜日のチケットを入手したのです。
もうこの頃になるとわくわく感がすごかったですね。
早く行きたい。早くミクさんに会いたい。
そして、まずは、ライブの前に企画展です。
すでに法被・フルグラTシャツ・痛マスクは手に入れていました。
マジミラでは、すべての人がミク廃で、すべての人が自分と同じ格好をしてミクさんのドールを抱いているに違いない、と思っていたのです。
実際は違いました。
勿論フル装備の人は結構いましたし、ドールやぬいぐるみを抱いている人もいるにはいましたが、全員ではなかったのです。
まあそれはさておき、初めての企画展は興奮しました。
何せ入場すると何から何まで初音ミクなのですから。
それでも、「衝撃」までには至らなかったのです。
本当の衝撃はライブでした。
そこには「初音ミクが居た」のです。
そう、存在したのです。
これを衝撃と言わず何と言いましょうや。
もうこの瞬間から「幕張の初日も行きたい」と思い、即チケットを入手しました。
大阪と幕張は間隔が空いていましたが、とにかく、大阪初日から幕張千穐楽までは夢のような時間でした。終わるとほとんどの人が「ゲンジツツライ」になっていましたが、私はなぜか「ツライ」とはあまり感じなかった記憶があります。
むしろ、「マジミラは終わったけど、今この瞬間から俺はミクさんに人生をささげるぞ」という意気込みしかなかったような記憶があります。
そう、立派な「ミク廃」誕生の瞬間なのでした。
今回はここまでです。
後編の「結婚式編」に続きます。
では。