自信がない、の乗り越え方

新しいことにチャレンジしようとする時
不安が足を引っ張るなんてことはないですか?

私はしょっちゅうですし
なんなら不安でもなんでもない
「めんどくさい」が足を引っ張ることもあります。

「めんどくさい」に関しては
ちょっと今回とは問題が別かもしれないですが

何かやろうと思って不安に思ったり
怖くなったりして
行動がストップしてしまう時
どう乗り越えたら良いのかという
ひとつの例のお話です。

連日、この話しかしてないですが
先日見た、テレビにて
マーケターの森岡さんがお話されている番組があったんですね。
学生の悩みに答えるという形式だったのですが

その中で
チャレンジしたいけれど、自信が持てないという
学生さんの悩みへの答えが
今回のお話になります。


チャレンジしたいけれど自信がない

その学生さんには夢があります。
NBAのスポーツトレーナーになるという夢です。
そしてそのためにアメリカ留学を検討している学生さんから森岡さんへの相談でした。
チャレンジしたいけれど、自信がない。
どうしたらいいか、と言った内容。

彼はただ漠然と自信がないわけではなく
NBAのスポーツトレーナーがどのような仕事をするのか
また、どのようにしてなるのか
具体的なところも調べたり聞いたりして
イメージができているそうです。

全然知識のない私でも
狭き門なのかなっていう印象は受けました。
それを受けた森岡さんは何度かうなずいた後、
まず初めに伝えたのが
「自信を持ってからなにかにチャレンジするということはない」ということでした。
つまり、チャレンジするのはいつだって自信がないままにする、と。
自信を持ってからなんて言っていたら
いつまでたってもチャレンジできない、という意味だったと思います。

不安があるのは当たり前で
それは、先を見通す知性があるから、なおさらしょうがないともおっしゃっていました。

ここで、自信のあるなしが
今回の問題では論点ではないと
まず最初に前置きしたわけですね。

その上で、じゃあ何に焦点をあてて問題を整理するのか。
あなたに、やる、やらないを鬩ぎ合わせている
その「ギリギリの正体」を知ることだ、と話し始めました。

不安が足を止める時の対処法

ギリギリの正体を知る

このギリギリというのは
やりたい、と言う気持ちと
やりたくない、という気持ちの
押したり引いたりの状態のことを言っています。

まさに、今目の前の崖から飛び降りるのか
それともここにい続けるのかの
崖の淵で緊張しながら揺れている状態と言えるのではないでしょうか。
ちょっとでも背中を押せば、知らない場所へ足を踏み入れるし
一歩でも足を下げれば現状の安心ゾーンに戻れる。
そんな、一歩がこれからをわける分岐点。

じゃあ、自分の足を止めているものは?
自分の足を進めさせようとしているものは?
これらの正体はいったいなんなのか。

この正体は
「欲求」と「不安」なのだと言います。
「欲求」が強ければ、行動にうつし、やると選択するでしょうし
「不安」が強ければ、やらないを選択できる。

どちらかが大きければ傾いた方を選択すればいい。
さながら、シーソーの両脇に「欲求」と「不安」を乗せている状態。
それが現状、同じ重さで
均衡を保ってしまっているからこそ
どちらも選べない状態になっているということです。

ここからやるのは
どちらかを重くするか
どちらかを軽くするしか方法はありません。

森岡さんは
不安を軽くするため、あることを始めました。

不安の因数分解

因数分解なんていうのは
数学で聞く単語ですね。

「不安」とした漠然とした中に
何が入っているのか、明らかにしようということです。

つまり、何が「不安」なのか
書き出すところから始めたのです。

その学生さんから出てきた不安の中身というは以下でした。
・費用(親への申し訳なさ)
・文化の違い(拳銃とか大丈夫かな)
・英語、言語の壁

これらについて森岡さんは
自身の経験をもとに
本人が不安がるほどの心配はないというお話をします。
経験している人間から発する言葉というのは
説得力があるなと感じました。

簡単にそれぞれどのようなことをお話したかというと
まず、文化の違いは慣れが大きい。
英語は、ジャングリッシュ(日本語英語)でもコミュニケーションは取れる、と。また、言語は若ければ若いほど身に付くともお話されていました。
費用については、これを単なるお金として捉えるのではなく「投資」と表現されていました。
この「投資」を回収できるか不安なんですよね、と。
それについては、「やってみなきゃわからない」というご回答でした。
マーケティングの世界でも「やってみなきゃわからない」ことが多いのかなって思いました。
成功する確率をあげる努力はするけれども、最終的にそれが回収されるかどうかはわからないってことなのかな、と。
わからないけれども、挑戦させたい親心っていうのはあるっていうお話もでましたね。

この話を聞いていくうちに
漠然とした「不安」というものが
具体性を帯びて小さくなっていくような感覚がありました。

ここでは、不安を因数分解して、課題として捉え直し
それは大きな問題なのか?と考え直す。
これが、不安を小さくするポイントでした。

とはいえ、、、
それでも、まだ一歩踏み出せないという方には
こんなことを自分に質問してみてください、と付け加えられていました。

死ぬときに後悔するか

文字通りですが
死ぬときにそのチャレンジをしてないとき
後悔するかどうかって考えるといいという話でした。

やらなかったとして
その死ぬときその人生に納得できる?

それを基準に決めたら良いってことでした。

結果、このお話のあと
その学生さんは留学を決意されたそうです。
よかったね!

チャレンジしたとて、死ぬわけじゃない

森岡さんが繰り返し言ってたなって思う言葉に
「死なないじゃん」っていうのがありました。

死ぬほどの苦労をされてきたからこそ
それを潜り抜けた今、死んでいない自分を思うと
あのチャレンジは死ぬほど恐ろしいように思えたけれど
辿ってきた道筋で、死ぬことはなかったってことなのかなって思います。

死ぬわけではないのならば
チャレンジする価値あるよねって
そういうことかなとも感じました。

昔なにかの本で
死ぬこと以外はかすり傷ってものがなかったでしたっけ。
そんなフレーズも思い出しました。

本当に危ないこと以外は
不安という感情で足を止めてしまうのは
非常にもったいないってことなのかなとも感じました。

今現在、ここにいる自分からは
見えない世界が
一歩踏み出した先にあるのかなって。
それは、現時点からは見えないけれど
そちらに行った先の人たちはみな、こういうのかなって。

飛び込め。
死ぬわけじゃない。

感想

ギリギリの正体っていう単語や
不安の因数分解なんて言葉も飛び交いましたが
このネーミングセンスが、心地いいなって感じました。

もやりとなんかある、得体の知れないものを
こうして言語化してもらうと
そうそれ!そこにある、それだよ!と
指差せる感覚。

これが、物事に飲み込まれないコツの一つかなとも感じました。

また、何か問題が起きたときや
物事を整理したいとき
言語化したいとき
共通して言われているのが
「事実」と「感情」を分けましょう、っていうのを
どこでも言われているなと感じます。

問題が複雑に見えるのは
事実と感情を分けて考えてないからだ、と。

漠然と、全部まるっと
大変だ、不安だ、忙しい、いやだ
とネガティブに捉えてしまっているけれど
実は、その中にはさまざまなものが含まれていると
自分自身、気づいていないことが多々あるな、と。

これを一緒くたに考えないで
細分化して整理してみるっていうのが
大切なんだなって感じました。

私は文章を書くのが苦手で
今、こうして練習中なのですが

言語化について書かれていた本の中に
「事実」なのか「解釈」なのか、わけなさい、って
ことが書かれていました。

一緒くたにするから
何が書いてあるのか
何を伝えたいのかわかりづらいって。
たーしかに。って思ったわけです。

私はこれをごっちゃっと一緒に書きますし
なんなら、思ったことしか書かないし
その前提がまるっと抜け落ちて主張することも多々あります。

こりゃ伝わらないし
わかりづらいし
自分だけしかわからない文章にしかならないなぁと。

そんなわけでアウトプットの練習がてら
こうして文章書いて見ている次第です。

そして、ほら。
こうして話の軸がずれていくわけですよ笑

何を伝えたいのかはっきりしてないから
ぶれるのかなぁとか考えたり。
こうして頭に思い浮かんだことを
言葉のままに吐き出すから、
読み手としてはわかりづらいものになるのですよね。

ここをきれいにアウトプットできるようになりたいです。

文章は別に書けなくても
他のことでカバーできるかもしれないし
やらなくてもいいことなのかもしれないですが

なんなら自信も別にないし
できたところで、人並み程度で終わる可能性だってありますが

一旦は、自分のスムーズ感というか
納得感とか、わかりやすく説明できる自分を手に入れるために
ちょいとチャレンジしていこうと思っております。

また書く種を見つけたら
アウトプットしていこうと思います。
そして、この森岡さんの話もまだいくつかあるので
これよかった!感動した!って話もまた何回か書くと思います。

本日も読んでいただき
ありがとうございました。

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