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水底にある熱情 ロンブンズ『修論日記2』 

2024年9月8日開催のイベント「文学フリマ大阪12」にて購入した同人誌である。頂いたカードには「社会人院生・外国人留学生・指導役教員・大学事務職員による論文作成ユニット「ロンブンズ」。4人のコミカル&シリアスなタペストリー=論文作成奮闘記」という説明がある。少し補足すると、大学卒業後大学院に進学した場合、まず修士課程で修士論文を1本作成する。その論文が審査で合格となれば「修士課程修了」となり、修士号を取得する。研究者への足掛かりである。その後はさらに上の博士課程に進んだり、就職したりする(※)。その修士論文を作成するにあたっての出来事、気づき、苦しみ、迷いなど・・・各々の立場から見えた景色をまとめた一冊である。

この一冊を読みながら私はしばしば胸を熱くした。多くなるかもしれないが引用したい。

「いじめる人も悪いが、いじめがあるのを知って黙ってみている人も同じくらい悪い」・・・大人になって、障害を抱えた人たちに関わる仕事に就いたのも、不当な差別や偏見を何とかしたいという思いを強く持つようになったのも、おそらく、この経験が原動力になっています。もう後悔したくないんですね。(20頁)

・・・「社会問題を法律の、それも契約論なり規制方法なりで統制しようという傲慢に、『そんな解決策が有効ならとっくに問題は解決してるよ』と伝達したかったんじゃないか?」というやりとりが描かれていますが、これはまさに今私が直面していることです。(24-25頁)

綺麗に結論が出る案件はそこまで研究しなくてもよい題材だと思う。結論が出ない、参加者にいろいろな立場に立って考える機会を与える場こそ、研究会であるべきだろう。そんなことを偉そうに伝えたら、先生からそういう名(迷)言は研究会で言ってほしかったと指摘された。(43頁)

〔障害者職業総合センターの〕「精神障碍者相談窓口ガイドブック」(2009)では、主治医の意見書にある「就労の可能性の有無」の欄について、「働いたり、就職に向けた取り組みを行うことが、病状等から考えて適当なのか、・・・医学的観点から判断しているものであり、基本的労働習慣や作業遂行能力の有無について判断しているものではありません」と書かれています。・・・「医学的状態=障害状態」とは、必ずしもいえないのではないでしょうか。(56頁)

サマリー〔論文要約〕「近年、多くの大学職員が心を「病む」状況に陥りやすくなっている。これは大学の組織構造に一因があるのではないか。各部署における減員と、職員一人あたりの負担増、そして担当内という狭い世界での人間関係は、心のゆとりを失くし、職員を精神的に追い詰めているのではないだろうか。・・・過剰な大学組織のスリム化に基づく職員のメンタル不調等は、日本のみの問題だろうか。(57頁)

川や森に当事者適格が認められないのは、それらが話すことができないからだということは、理由になっていない。法人だって話せない。国家、財産、幼児、無能なもの、地方自治体、大学だって話せない。法律問題に関して、法律家が普通の市民のためにこれまで弁じてきたように、それらに代わって弁ずるのである。(64頁)

批判は理解できますが、民間セクターに未来を見いだせない若者に共感します。低賃金、不安定な雇用、長時間労働、解雇などのインセンティブの欠如が、若者が従業員として、あるいは自分の会社を設立してキャリアを積むことを望まない主な理由です。(109頁)

・・・帰国後25年の間、どうにかして英語の技術を落とさないように勉強を継続し、話す機会等を設けて忘れないようにしてきたのだけれど、こういった努力は全て「帰国子女」という枠組みによって消されてしまうように思う。(121頁)

研究論文はひとつの形として世の中に生まれるが、それが生み出されるまでには『修論日記2』に表現されたような、それぞれの経緯があるものだ。それを文章の中に織り込むわけにはいかないのだが、いい論文にはそういった熱が感じられるものではないか。

ある新進気鋭の研究者の論文を読んだ時の私の感想は次のようだった――「きれいにはまとまっているが熱情が感じられない、若いのだから泥まみれの論文を書き給え」(本人には伝えていない)。英語論文を日本語に翻訳するご縁を頂いて数年前に必死に打ち込んでいた時、もうろうとする意識の中で、筆者の書きながらの迷い、行きつ戻りつする心のありようが、熱を帯びて自分の内側から生じてくる感覚を感じて驚いたことがある。重田園江先生によるミシェル・フーコー研究の新書を読んでいると、選ばれた言葉の中をスイスイと泳いでいく快感を得ながらも、その底にはこれまでに大いに吸収し迷い考えた人情があるのがわかる。経験から得られる水晶のような精神、人としての涙や熱情は、プランクトンのような栄養分となって豊かな海を作りだす。学問も創作も、その海の恵みのようなものであってほしいと思う。たとえ泥まみれになってしまったとしても、それは継続的に洗練していけばいいのである。

本書の学究的な側面にフォーカスしてきたが、全体として読むに楽しい本だったという点も付け加えたい。大学院進学志望や論文作成中の学生さんのみならず、すべての学問、福祉、労働問題に興味がある人にも、面白く実りが多い一冊ではないかと思う。

「研究書を前書きからあとがきまで読むという作業を、山のようにしないといけない」という日々に自信がなくなった私は研究者への道をあきらめたが、「図書館の書庫に入ることを許された」大学院生時代は確かに人生の中でも豊かな時間だった。ロンブンズの皆さん、『修論日記2』に表された熱を持ち続けて、どのような形でも書き続けてほしいと願う。表現されたものにこそ人は出会うことができる。この出会いをくれた文学フリマにも感謝しながら。

※ なお、修士号を取得せずに終わると「修士課程中退」となるが、割とよくあることであり、私のかつての仲間の名誉のために申し添えておきたい。

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