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宇佐見りん著『かか』そして『推し、燃ゆ』
小説というジャンルを書ける気がしない。ストーリーを考え、説明していくだけではないからだ。自分に書けると思ったことはなかったが、この二作に触れてその想いを新たにした(ちなみに、小川洋子著『博士の愛した数式』を読んだ時も、その想いを新たにしている)。
『かか』においては、「両親が離婚し、情緒不安の母親を憎み、しかし支え合いながら暮らす主人公の心苦しさ」、『推し、燃ゆ』においては「好きなアイドル(「推し」)に全勢力を注ぐことはできるも、そのほかの学業・仕事・生活は何もできないという、絶望的な状況」が描かれる。両作とも、年齢的にも環境的にも共感できるところは少ないというのが正直なところだが、もがき苦しむ人の内なる声をリアルに聞いた気分だ。
小説の技法とか効果といったことは私にはよくわからないが、私にとって「初めての読書体験」だったことは間違いない。人の頭の中を覗いているようだった。意表をつかれるような表現が続くが、あざとくない。深刻な状況を描いたものにもかかわらず、言葉の魔法に魅せられていく爽快感があった。
はっきょうは「発狂」と書きますがあれは突然はじまるんではありません。壊れた船底に海水が広がり始めてごくゆっくりと沈んでいくように、壊れた心の底から昼寝から目覚めたときの薄ぐらい夕暮れ時に感じるたぐいの不安と恐怖とが忍び込んでくる、そいがはっきょうです。
(『かか』26頁、7-10行目)
あたしは彼と一体化しようとしている自分に気づいた。彼が駆け回るとあたしの運動不足の生白い腿が内側から痙攣する。…柔らかさを取り戻し始めた心臓は重く血流を押し出し、波打ち、熱をめぐらせた。外に発散することのできない熱は握りしめた手や折りたたんだ太腿に溜まる。
(『推し、燃ゆ』12頁、1-5行目)
かつて、私の母校である大学に社会人入学した人が、「多感なうちに文学に触れたかった」と言っていたことがあるが、いいものに出会うのに適齢期などない。名だたる作家からの多くの絶賛の声こそ、その証左ではないか。むしろ、宇佐見氏という驚異的な才能に今出会えたことに私は感謝している。もし私が学生の時に出会っていたら、嫉妬で小説どころか何も書けなくなっていたかもしれない。
『かか』の三島由紀夫賞および文藝賞受賞、また『推し、燃ゆ』の芥川賞受賞に心からお祝いを申し上げたい。この若い才能に多くの幸あらんことを願って!
河出書房公式サイト
※引用部分は2021/5/11に追記しました。