奇妙な49歳の誕生日 日本代表の一人として
今日5月29日は僕の誕生日。親や友や妻に感謝したい。それこそ心から。49歳になった。にもなってしまったと自嘲したくもなる年齢でもある。一方で正直言って驚きでもある誕生日になった。この日僕は、羽田空港から飛び立つ。それは、アジア トライアスロン パラ選手権の日本代表の一人として、レースが行われるフィリピンのスービックに向かう事になったからだ。全く奇妙な話しだ。中途で失明し、10年もの間心を閉ざした。引き籠ったと言った方が分かりやすいかもしれない。そんな僕の姿を見かねて盲人マラソンに誘ってくれた人がいた。それのことなどよくわからないままにその誘いに身を任せた。ただ外に出るための理由として。それだけの理由に過ぎないことだった。こうして走るのはいつぶりだろう。そこには思い出しもしなかった、日差しがあり風があり臭いがあり確かな痛みがあり苦しさがあった。歩くと変わらないぐらいの速さで走った。実に久しぶりに。もう走るなどと言うことは僕の人生から消えてしまったものだと思っていた。自分の心臓が激しく鼓動を打つ命の音を聞いた。鮮烈だった。もう少し生きてみようと思った。34歳から始めたパラスポーツだった。気が付けば15年間も続けてきていた。その事実も自身のことでありながら、いや、自身のことであるからこそ不思議だし、加えて、この年でこんなところにたどり着く事になるなんて。やはり奇妙と言う以外ない。ここまで僕の目となり支えてくれた方々に本当に感謝したい。パラトライアスロンとはスイム・バイク・ランを各750m・20km・5kmを連続で行う複合協議。目の見えない僕を3種目全て一人でガイドするのは、愛媛県出身の近藤浄士さん(福島大学3年)。若きガイドの姿に注目して欲しい。浄士さんは学業にトライアスロンに励みつつ、朝5時からまたは夜9時まで酪農のアルバイトまで行うナイスなタフガイ。僕が地元紙に投稿した記事を読んで「僕も星さんの目の代わりができて嬉しい限りです。」とのlineが来た。「レース前に泣かせるなよ」と僕は返した。頼もしいガイドとの出会いもパラスポーツにおける醍醐味だ。レースは6月2日。現地時間6時開始。当日の予想気温は40度。年齢を超えた最高のバディでこれに挑む。
https://linevoom.line.me/post/1171684482590102568