変わりどきはいつでしょう
あっという間に10月に入り、もう半ばも過ぎた。酷暑だった夏が終わって、夜を越えるごとに空気が乾いて気温も低くなっていき、街路樹の葉や歩道の草花の色が変わる。
様々なものが少しずつ少しずつ変わっていくこの時期、変わらないものなどないことを優しく教えてくれるこの季節が好きだ。
そう、変わらないものなどない。生きていようがいまいが、この世にあるものは必ず変わる。例えば私たちのからだ。新陳代謝は約1ヶ月周期。だから、久方ぶりに会う人に「お変わりなく」なんて挨拶をしても、細胞レベルではおかわりありまくりなのである、ということが腑に落ちたのは「生物と無生物のあいだ」という本を読んでからだっただろうか。
私たちのからだは当たり前だが、過去に食べたものできている。だから食生活が変われば、細胞だって質的には変わっているのだろう。しかし昨日食べたものはともかく、1ヶ月前に食べていたものはおろか、1年前、5年前に食べていたものを覚えていない私にとっては、そんなことは反省のしようもないほどおぼろげだ(最近は、どんなに美味しいものでもいつ食べたか、具体的にはどんな味だったか忘れるようになってしまった。とても美味しいものだったのは覚えているのだが)。
しかしながら栄養的に残念な食生活の結果として爪が薄くなっていたり、髪がパサついたりすることで、何となくだが食生活がうかがえるというものである。何度かこのコラムでも書いているが私は大変せっかちで、今食べたら明日か明後日くらいには効果が欲しい質なのだが(それは正しく処方された薬を正しく飲んだ場合にしか得られないのだが)、これについては仕方がない、1ヶ月後の自分のために飲み食いするしかないのだろうと思うようにはしている。
からだについてはこんな感じだが、では心はいつ、どのように変わっていくのだろう。
ところで「心読めちゃうの?」とか「人を簡単に変えられたりするの?」という心理職にはお馴染みの質問があるのだが(これを読んでいる心理屋のあなた、聞かれたことありますね?)、無論そんなことはできない。様々な逸話を持つレジェンドセラピストにはできたかもしれないが、至って普通の心理職には無理である。では心理職とは何をする人か。何てことはない、人が変わるための手伝いをする専門職である。
昔車のC Mで聴いたフレーズだが、変わりたいと思ったその時から人は変わり始めているのだと思う。これでいくと「カウンセリングを受けてみようかな」「カウンセリングでも受けたほうがいいかな」と思った人は、変わるという大仕事に必要な要件の半分に少し満たないくらい、49%ほどは満たしているんじゃないかと思っている。
そして変わるために必要なことの残り、半分よりほんの少し多い51%ほどは、カウンセラーとクライエントの二人で紡いでいく共同作業にかかっている。
その時に、心のうちにある変わるものと変わらないものの見極めが必要になるから、専門職としての私たちがいる。
心の中には、時間の経過とともに意味合いが変わる経験もあれば、時間に影響を受けることなく毒を放ち続ける酷い傷もある。それを安全に見分けるのはなかなかに難しい。以前このコラムでも書いたが、時ぐすりという強く優しい薬を持ってしても痛みが薄らがないのなら、それは傷と思っていいと思う。時を経ても痛み続け、乾くことなく膿み続けるのがいわゆるトラウマ、精神的外傷だ。
変わりたいと思った時が変わりどきではあるのだが、変わりたいと思うその人の心のうちに変化を阻むような傷があるのなら、それを放っておくのはいいことではない。
と、ここまで書いてきて、自分が秋を好む理由がわかったような気がする。変化が明らかだけれど優しいからだ。冬から春へ向かうときの異常なほどの生命力の勢いや(啓蟄って虫がモゾモゾし始めるってことですよ…虫たちには申し訳ないけど虫嫌いの人、ぞっとしませんか?)、春から夏になる時の日照りの激しさも悪くはないが、テンポよく鮮やかに実りを迎える秋が好きなんだな、と思った次第である。
(C.N)
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