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1年後、「伝説の人」へ回し蹴りしていた話

2014年、私は30代後半で、東南アジアのある国へ夫の異動により家族で引っ越してきた。日本では私自身も働いていたけれど、この日から専業主婦となる。夫とは10代の学生時代からの仲なので、結婚して既に15年ほどの、いわゆる「熟年夫婦」だった。

そんな中、夫が言ったひと言。「今日からはボクの稼ぎで暮らすんだよ?海外だし、分からないこと沢山あるでしょう?なーんでもボクに言ってね」

普通ならこんなこと言われたら優しいな〜などとキュンキュンくるのかもしれない。しかし、私にはイヤな予感しかしなかった。悲しいかな、決してそんな甘ったるいことにはならないんだから、うちの場合は…。付き合い始めの、いや、その前から感じていた彼に対する懸念…それは、

「人を支配したがる」傾向があること。

これは18で知り合った時からそうだった。夫は学生時代、いつも周りに男女問わず人をはべらせていて、必ず輪の中心にいる人だった。まずハンサムだったし、頭の回転が速いのもあって場を盛り上げるのが非常にうまかった。笑いの絶えない、その輪の真ん中でいつも自信たっぷりに、誰よりも大きな声で笑いながら関西弁をまくしたてる彼。静岡の田舎育ちの私にとって、その光景はとても眩しかったし、同時に、自分には到底真似できないという劣等感、私とは異世界の人なんだと感じていた。

その後は紆余曲折あるものの、私の綿密な、あるウルトラC 作戦により結婚までこぎつけた。(デキ婚とかではなく正統派の作戦)しかも互いの大学がそれぞれ東京と関西で遠距離恋愛でもあったのだが、それすらも物ともしないある作戦を淡々と実行したのだった。しかも彼の方から「絶対にキミと結婚したいんだ」と言わせるほどの関係を結婚当初は作っていたのだから、私のこの作戦は孫子もびっくりだろう。(いつか兵法の一つとしてしたためたい所存)


とはいえ基本的に、夫の性格は「話の中心にいたい人」「自分中心に世界を回したい人」であることに変わりはないわけで、結婚生活の中でその顔がチラつくたびに私たちは激しく喧嘩した。夜中、全力疾走で近所を追いかけ回すものだから(私が彼を)、散歩中に出くわしたどこかのおうちの犬がキャン!と怯えた声で吠えてしまうなど、さながら動物でいえばゴリラのごとく血気盛んに「縄張り争い」を繰り返してきた。

その後、幸か不幸か程よいタイミングで彼はヨーロッパへ海外赴任となり、私は子ども二人と日本で暮らしながら正社員として忙しくしていた。別居生活となったことが幸いして、互いの縄張りはそれぞれ守られることとなり、力関係を明確にする必要が数年の間はなくて済んでいた。

子どもの学校がひと段落した際に夫の赴任先がヨーロッパから東南アジアへと変わったので、今回再び同居生活を始めることとなったのだった。

その矢先に、彼のこの発言である。
「今日からはボクの稼ぎで暮らすんだよ?」

私としては嫌な予感しかしなかった、という意味が少しはお分かりいただけただろうか。夫の単身赴任以前、同居していた頃に感じた、懐かしくも、どす黒い感情が、心の隅にチラと顔を覗かせたのだった。

そんなわけでモラ気味な彼との同居生活が海外で始まった。彼は健気にも、日本にいた時と出来るだけ同じ生活をさせてくれようと、あれこれ世話を焼いてくれた。正直鬱陶しいながらも一面では有り難く、やらせたいままにしてその善意は全て受け取ることにしていた。そんなある日、日本人向けのフリーペーパーを彼が持ち帰ってきた。何冊かある中の一冊を夫は手に取り、私にこう言った。

「この雑誌の創業者って知ってる?この国では日本人としてパイオニアの、誰もが知るレジェンドみたいな存在なんだよ。会いたくたってボクらなんかじゃ到底無理なんだよ」

…モラ体質の男というのはいつも、妻や彼女を「頭の少し弱い、何もできない幼児」に話しかけるような内容を繰り返すがあれはなぜなのでしょうね?

言われたこちらとしては、丁寧というより、幼児扱いされたようなモヤつき、イラつき、そして疑問が湧き上がる。「なぜそんな言い方をしてくるのだろう?もしかして相当なバカと思われてるのかな!」

同じ立場の他の女性たちはどうなのだろう。みんなこれをよしとして我慢しているのだろうか。それとも居心地の良さを感じて放置しているのだろうか。私は毎回、不快でしかなかった。元が同じ学年の同級生なだけに、上下関係を殊更強調するような物言いは癪に障るものでしかない。

とにかく彼はその「伝説の人」の名前を連呼し、ボクたちごときでは到底会えないすごい人なんだと力説していた。私は「ボクたち」と一緒にくくられたことでなんとなしに「私なんかには会えない人なんだ、へー」とアホみたいに簡単に感化されていたのだった。

東南アジアのこの国というのは、海外駐在員の赴任先としては「ビギナークラス」と言われるほど、①日本語だけでも簡単に生きていける ②街並みは日本以上に整えられていてアジアの汚さはほぼなく ③ かなり安全。深夜の女一人歩きでも可能。夜に怖いのはお化けくらい。といった、もしかしたら今はもう、日本よりも安全でクリーンなんじゃないかと思うくらい整った国だと思う。

要するに、私には退屈だった。

日本のように、のほほんと過ごせるのである。
日本のように、日本食が食べられるのである。
日本のように、習い事ができるのである。

なんて贅沢なんだ。わかる、わかるけどでも、人はただ与えられているだけの日々ではマズローのピラミッドにあるように、人としての承認欲求が満たされず虚しさを感じていくものなんである。

そしてそれは突然やってきた。
いや、降ってきた。
いや、怒ってきた笑

ある日、いつものように夫は会社へ、子どもも学校へ行き、家の掃除も一通り終えて、あとはもうやることもないので本でも読もうかと、本棚にある一冊の本を手に取った瞬間、突如、頭を誰かにガツンと殴られたような衝撃が走った。そして同時に声が聞こえてきたのだった。

「ここじゃ、ぬゎ〜い!!!!!!」

声の主は男性で、怒っていた。憤怒していた。のちにこの時のことをある方に霊視していただいた際、それが「愛染明王」様であるということだったのだが、まあ〜とにかく怒っていた笑

「駐在員の奥さんをぬくぬくやっていく」。このポジションが畑違いだと怒っておられるのだなと、なぜだか不思議と私も瞬時にその意図を理解した。


モラ気味の夫は普段から私に、どこへいくにしても「ここは危ない。売春の温床だし駐在員の奥さんは特に狙われている」とかなんとか、今思えば「そんなことねーよ」と返して終わりなのだが、当時の私はとにかく素直さだけが取り柄だったので、フンフンと夫の言う嘘八百をよく聞いていた。

そんな生活をなんだかんだで15年以上やってきたわけなのだから、本来の私らしさよりも、何かする前に夫にお伺いを立てる姿勢が身についてしまっていた。物事を自分の力で考えなくなっていた。なぜって、考えて行動すると「ダメでしょ、勝手に◯◯したら」と必ず、そう、必ずダメ出しを食らうからだ。

15年、正確には16年をかけて、私の脳みそは物事を考えない「つるんつるんの状態」になり、自分らしさより「夫の枠の範疇で生きる檻の中の人」に成り下がっていた。

そして、だがしかし愛染明王様はしっかり布石を打っていた。これだから人生は面白い。何が功を奏するのかなんて人間ごときにはわからぬものなのだ。つくづくそう思う。

夫は東南アジアへ来てから1年足らずで大幅に太ってしまい、ジムへ入会した。そこでは2ヶ月で13kgほど痩せたのだが、当時はまだ日系ジムはこの国にはなく初めて日系が進出した新しいジムだったこともあって、日本人女性を募集していたのを夫が当時の店長さんから聞きつけて「暇ならやってみれば」と水を向けてくれたのだった。

そうして入社してからなんと、あの会うこともままならないと夫が言っていた「伝説の人」が、会社の顧客として私の前に現れたのだった。蛇皮、クロコが大好きらしく、初対面なのに「この靴、幾らか知ってる?」とニコニコして聞いてくるので「うーん、30万円くらいですか」と控えめにいうと「そんな安っぽく見えるか!150万円だぞ!!」と強めに返してくるという、なかなか強烈な個性の人だった。(引いた)

ここで細々パートとして働き始め、「伝説の人」と顔見知りになった矢先、先の愛染明王による喝が入ったわけだ。すごいタイミングである。材料が既に揃っていた。モラ気味夫の庇護の下で、無力な鳥のごとく思考停止して暮らすことはもう限界なのだ。愛染明王様も怒っているではないかと、喝を入れられた日からすぐ離婚の準備に取り掛かった。

幸いこうして、素直さだけはずっと私には残っていた。


離婚の準備と言っても、その日から夫のワイシャツへアイロンをかけるのをやめる、弁当を作らない、朝起こさないという、なんというか、割と控えめなストライキだったのが頑としてやり続けた。夫が朝、しわくちゃのままのワイシャツで出ていくのを本当に本当に申し訳なく思いながらも、「いや!離婚してからでないと決して見えない景色を私は見るんだ!」と既に心に決めていたので私は心を鬼にして、何週間、何ヶ月とダメ主婦を演じ続けたのだった。

そうして結果、夫があるひと言を境に心が折れて離婚してくれたのだが、私はその時すっかり忘れていた、というか知らなかったことが一つあった。非常に大切なこと。それは、夫にくっついた家族ビザがあるからこそ、ここに住めているのだということを笑

つまりこの国で家族は働いている家族にくっついたビザだから滞在できているわけで、その働いている本人と離婚したらもう他人なのだから家族ビザなんて継続できるはずはないのだ。

夫は心配して、離婚日はビザがなんとかなってからにしてあげるね、と私への哀れみいっぱいに、有難い配慮をしてくれた。そこで私はパート先である自分の会社の社長に頼んでみることにした。

「離婚するのでこの会社でビザを出してください」

ビザを出す場合、会社としては外国人の登用は取得人数が限られたり現地民の採用数を指定され増やさないといけないので制約が生まれるもの。そのため、ビザをください、はいどーぞ、みたいなやりとりには通常ならない。会社は、その人でいいのかどうかと、ビザ取得は非常に慎重になるものなのだ。

なのに社長は二つ返事でOKしてくれたのだった。条件は一つだけ。
「ちゃんと働く?」

「もちろんです!!」私には選択の余地なんてなかったから、社長と同じく二つ返事返したら、なんとたった二週間でビザがおりた。それを受けて正式に離婚日が決まり、私は愛染明王様の喝からあれよあれよという間に、ビザ取得、離婚までを一気に駆け抜けてしまったことになる。

海外移住して一年足らず…なんというか…例を見ない類の大馬鹿者である。今考えても「この人頭おかしいんちゃうか」としか自分でも思えない。想像だにできなかったところに自分がいる。

そうして、のちに再び同居することになる娘もこの時は一旦日本に返して当面は一人、海外という地で働き始めたのだが、それはもう、とにかく必死だった。毎日目の前のことをひたすらにこなした。そうしたらまたあの「伝説の人」が話しかけてきた。

「一所懸命やってるね」「見ていたよ」「頑張ってるし、いい人いるから紹介しようかね」「必死に生きている人は素晴らしいからね」ベタ褒めされて悪い気はしない。ついでに、いい男を紹介してくれるとなればまだ30代だったし、嬉しさもひと潮である。


そうして来た紹介される予定の日。約束の時間が近づき、お相手と、その「伝説の人」、私の3人で食事をすることになっていたので待ち合わせ場所へ向かうとなんだかおかしい。「伝説の人」しかいない。お相手は急な仕事でどうしても外せず、今日は来ないというのだ。

そしてあろうことか「伝説の人」は「じゃ、今日は仕方ないからこれで」と帰ろうとした。私はその後ろ姿を見た途端、期待が大きすぎたのだろう(と思いたい)、頭に血が上り、気がついたらこの「伝説の人」に回し蹴りをしていた。不意打ちだったし、なかなか綺麗に決まった。

場所は日本人の多いモールのエントランスである。男性の何人かが止めに入ってきたが、その時の私は人類最強の吉田沙保里選手のごとく全て跳ねのけ、次の蹴りの準備に入ったところで、お相手が鋭くこう言い放った。

「警察を呼ぶ。そしたら即強制送還だ」

それでハッと我にかえり、非礼を詫びた(いや、遅すぎる)。食事を非常に楽しみにしていたのでそれが反故になったことで、つい八つ当たりをしてしまいましたと(今書いていても理由があまりに稚拙でアホすぎて死ぬ)。

「伝説の人」はデートが反故になっただけで仲介人に回し蹴りをする女は怖くて誰かに紹介はできないとこれ以降、二度と紹介してくれることはなかったのだが「面白いやつ」だという評価をなぜかいただき、今でもたまにご飯にお誘いいただくなど、懐の大きさはやはり「伝説の人」だなと感じる。

そして、この国に来たばかりの頃、夫から言われた「ボクたちには手の届かない人」も「いやそれがね〜、私の足は届いたんだよね〜」なんて報告したいなーどんな顔するかなーと思いつつ、離婚してかれこれ10年、ずっと言えないままでいる。

#想像していなかった未来






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