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YTから掘り下げ

どうも、ミコトです!心の問題とYTを貪り見ることの相関関係はないと信じてきましたが、残念ながらそうではなさそう。関係ありありかもしれない。

最初は興味がある内容の動画を見始めるのですが、途中で指がショートのマークを押してて、そのまま上に上にとスクロールし始めるのです…
ほんとに操られているよう。

このことについて、多分5年くらいは悩んでいる。悩んでいるというより、テーマにしている。自分で自分のことを嫌いになるひとつの要因。
そして、やりたいことが溢れている最近、YT断ちを始めて10日経とうとしている。秘訣は、ラジオをつけることを意識しているよ。え?それなら、変わらないんじゃないか?まあまあ、そうなんだけど、完全に目と手は稼働可能なので健全な感じするの!!!!それでも、何かしてないと、何かを埋めてないと、焦ってきちゃうみたいな。なんだろね、不思議。余白があると埋めたくなるのが人間のサガってやつなのか?
このことから、わたしはYTの役割を不安要素をかき消すためのツールとして使ってたんだな〜と思った。自分にはなにもないから、なにか取り入れてないと死ぬみたいな、見ている行動を伴ってることによって、信念や思いはないけど、なにかをしている状態になる。落ち着くからやるんだよね。心底落ち着いてるわけでもないけど、やめられないんだよね。意識してるならいいんだけど次第に無意識なところが怖いんだよね。

そう思ったら、ちょうど3年前くらいのメモ書きが出てきて、わたしが怖いのは何もない自分と書いていて、ぐわあああってなった。
すごくわかるよ、3年前のミコト。思い返すと、中高生から約10年間くらい、長いこと言われ続けてきた父からの言葉がひどく刺さって抜けなかったもんね。
「頭もない、顔もたいして良くない、人脈もない、金もない、才能もない、何にもない お前なんか生きてても意味がない」と。父から言われる言葉じゃないよね。今では全く覚えてないどころか、めちゃくちゃ褒められることが増えて、心の闇は解消されたんだけど、多感な14歳のわたしには重たすぎる内容で、自己洗脳のように『自分はそういう人間なんだ、周りの人たちは自分なんかよりずっとすごくて自分はなにもないし生きてる価値すらないんだ』と悲観的に真剣に思っていた。
それを自分で払拭しようとして、いろんな世界に挑戦するも経験もなく、またグサグサっと心に引っかかる言葉をもらい、木っ端微塵。そんなんが10年続いた。だから、わたしは破壊と再生を相当繰り返しているほうの人間だと思う。


自己洗脳が長い間こびりつくと、なかなか取るのに時間がかかる。取れたと思ってもねっちり裏側にはついてるアレ、キッチンの油汚れを思い浮かぶ。念入りに優しく取り除かないと。今でこそ、認めてくれたり、褒められたりするまでになって、過去のことを話したら本人は覚えておらずだったし、きっと父は自分自身に言っていたのではないかと思っている。今も自分自身のことをなにもない人間ということがある、絶対そうだ。こういう経験を経て、自分の心の状態が周りに影響を及ぼすことを身に染みて実感している。いい影響も悪い影響も容易に波及してしまう。そして、人からの悪い波は物理的に離れるなどして、対策するようになった。人と自分を切り離して頭の中で整理整頓することも意識している。

割と、大人は、自分で自分のことを認めるってできてるようで、できてない。できてても、誰かと比べたり、体裁を考えたり、常識や今までの価値観であてはめようとしてしまう。本来の望みを覆い隠してしまう。みんなの分まで認めてあげたい。いや、キャパはあるけど、もっと根本的なところから自分で自分を認められるよと思うのね。焼き魚のここまで食べられるよっておばあちゃんから言われるときの感じで、こんなところも認めてあげていいんだからねと言いたい。


ここまで、こんな風に思うってことは私自身まだなにかに引っかかってることがあるってことだな~。そうだそうだ、、だからYTを貪り見てしまっていたんだよね。、掘り下げは終わらないね。でも、克服しつつあるっていう話で終えたい。中途半端かも知れないけど、ここで一旦終える。


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