見出し画像

THE NEW COOL NOTER 賞~10/25講評分

応募総数は最終的に203作品となりました。
ご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございます。

ヒロさん講評分(7作品)

辞書の全力の欄に このnote全文を貼り付けたい。
解説文として長いのなら アドレスを。
書店売り辞書で叶わぬなら せめてwikiに 、赤い眼でそんなことを思いました。

運動会のワンシーンから日ごろの教室ものがたりが透けてみえる。
登下校、授業中、休み時間の子供たちのやさしさと笑顔が浮かぶ。
クラスにとって必要不可欠な個性を肌で知る なんて羨ましい集合体なのだろう。

臨場感満点に 心を洗うこのエッセイにはリメイク版もある。

誇らしげにリレーを終えた白組のみなさんが社会の一員となり 世に出ていることに心強さを覚えます。

刺激的なタイトル 、そして1行目に ノアちゃん というキラーワード。
自分も講評を通して ついに未知の世界との接触を覚悟するのだった。

導入はスポンジケーキ と遠くから核心部分へと近寄る例のパターンだな と心する。

平和的な 家庭的な 正気的な美味しいケーキについての導入がまだ続く。
まだまだ続く。
レシピに ふむふむ頷きながら穏やかな爽やかな意外な時間が流れる。

入念な手作りの温かさを見届けているから 美しい白いろはデコレーションが もう美味しいのである。

下の会話が不得手な自分は 覚悟と妄想のやり場なく 美しいキャンドルの点りを見つめるのであった。

タイトルからニコリとしてしまいます

きれいな楕円にならない や、三角形になってしまった ではなく 三角形をしている。 なのだ

卵焼き といえば、寿司屋の腕 とも耳にしたことある奥深い料理

味付けや固さ、かたち、色、それぞれの家庭の味や 店の味を思い浮かべる

自称せっかちさん がユーモアたっぷりに 楕円にしない卵焼きのレシピを大公開

なるほど なるほど との理論的な考察は、言い訳がましくなく爽快でさえある

丸いお弁当箱にフィットして並ぶ3連ハートに無意識に滲みでた愛情表現の一部が伝わる

市民権をすっかり得た 手抜き料理 の語句、手抜きの言葉遊びを楽しんだ洒落た比喩である

ママさんだけにしか作れない味と色あいと形状に、子供の採点も 長めの丸 ではなく最上級のハートが付けられるのであった

人間と他動物の成長速度の違い、本能の違い、肉体的な寿命の違い、事故・疾患の確率の違い

アニマルコミュニケーション:聞きない響きに、ペットという聞きなれた語句との差異を感じます

生活をともにし同じ時間を共有する相手に対して、種の違いを互いに理解しあう

わたしたちがワンちゃんやネコちゃんの個性を尊重しているように 相手も人間という生き物を容認してくれているシーンはとても多いと思うのです

自分ごとで恐縮なのだが 共生3ヶ月、生後5ヶ月のクロネコちゃんは 抱き上げさせてあげる というメッセージを上目づかいにくれるのだ

7月大雨 ベランダ窓越しに生命枯れるか のような懸命な仔猫の鳴き声が出会いだった

偶然か必然かのどちらかなのだろう

いま生活をともにしてる現実がとても幸せな時間であり 彼にとってもそうであろう と母との日々の会話の主題になっているのだ

2020年の初夏は東京五輪が先延びして出控えが徹底された印象的な時季でした

あの期間の出来ごとは記憶に深く刻まれることでしょう

街からバターが消えたことも思い出されます

常用品と異なるパッケージ、可愛いニュージーランド産バターを初めて購入

日ごろの感謝を焼き菓子に込めて、そして季節の初夏を添えて

贈り先が先輩カメラマンなので ステキな写真が返礼として届く

1g単位の計量を経た力作、新茶が薫るオリジナル、作り慣れたお気に入り、レモンレモンするアレンジ、欲張りに焼かれるマフィン

お菓子が好き 食べるのが好き 作るのが好き キッチンが好き 、こんなパーソナルが混沌な時季を価値ある時間へと変換させたようです

素晴らしい写真のクオリティの手伝って 唾液腺が刺激される画像も見どころです

慣用句や金言は使われる場面、経緯によって相応しく思えないことがあります

小気味よく正直な素直な思いが綴られた ゆっこさんのnote

子供たちへの提言としてラベリングのリスクは重視されるべきだと思う

学校カースト含め 言葉を知らなくても人間の本能には好ましくないものも備わっている

色んなひとがいて 誉められない行動も目にするだろう

寛容や包容について触れ 、まさに多面性を信じ 多様性を尊重する言葉をのちの機会に飲み込んでほしいと思いました。

目からうろこが落ちたことはありますか?

いや うろこを落とすために もう一層の薄い膜を文筆で貼られ すぐ同時に落ちる感覚。

そんな爽快な読後感に浸れるnote .

オリジナリティ溢れる着眼点からユーモア交えた独特のリズムで読み進められます。

もし朝の帯番組、プライムタイムのニュースショー制作に縁があり、有力な人間の相談をされたのなら いの一番に名前を挙げます。

キャッチーに航空業界の閑散と困りごとが採り上げられる中 こんな本質の追究がある との驚き、そして説得力と着地点の美しさ。

医療従事者さん方への感謝を入り口に 、同じ時代を過ごす ほぼ全員、多くの人々への感謝とエールのように響きました


かとしんさん講評分

■講評■
パンは作るがケーキを作るのに苦手意識のある僕ですが、そんな僕にまちこさんは「このケーキ、かんたんですよ❤」って教えてくれる。
こうやって苦手意識のある人の壁を低くしてくれる人ってやさしい。そして今回紹介してくれたケーキも野菜を使った体にやさしいケーキだ。
作り方の中にも新しい発見が。クリームに使われているアレの水分を出すのに使われている道具が、、、、。おっと、言いたいけど僕が言ってはいけないな。
答えはまちこさんの記事とそこから辿り着ける場所にあり!
あなたも是非教わりにいってみてくださいね。


けんたさん講評分

いいバンドですねえ。
曲もいいけど詩がいい!!
暗い気持ちを全く否定せずそのままに受け入れる

これですよ、これ。
自分の青春期はバブルの真っ最中で
みんな地に足のつかない奴らばかりで
ほんとしょうもない時代だったです。

清濁合わせ飲むと言えば僕の時代では政治家の詭弁でしかなかったですが
今の若者たちはこのことを日常のこととして口にする。

伽藍堂を直視して生きてる。
我々の時代は伽藍堂に目を逸らして
言うに事欠いて「社会の歯車になるな」なんて言ってたんですぜ!

笑わせるのも大概にしろよ。

伽藍堂をがらんどうだと捉えられること
それをまたまた「がらがらどん」と文字れること

僕はこんな時代に青春を送ってみたかったです。


一奥講評分(6作品)

新緑。そして紅葉との霞がかるような濃淡。
晴天のスカイブルーに、電車の鮮やかなまでのオレンジ。
魚の鱗色。
旅の思い出が、色の表現の細部にまで澄み渡って雄弁に語りかけてきます。

雪解け水の恵みが生み出した、山間の田園風景。
その中で、Momiさんとぶーちゃんの感性が、自然と歴史の営みの中に、包まれるように開放されているのを感じました。


ケベックに色濃く残る、植民地時代からの、英仏の交流と葛藤の名残。
その中で花開いた、独特の文化の中で、時にしたたかに、時に力強く生きる姿がまばゆく思えます。

自由と表現の国、フランス。
その精神と文化を、新大陸でより複雑な形で受け継いでいるカナダだからこそ、むしろ本場フランス以上にフランス的である――男女の自由な、そして責任のある恋愛もまた同じ。

傷心もまた、次へ進むためのステップ。
擦り切れるでも、スレてしまうでもなく、可憐に「イマ」を生きるその瑞々しさが、とても印象に残りました。


noteのバッジは、良いアイディアだと思います。
まるで小学生のころにはまった、駅のスタンプだったり。
計算ドリルの裏表紙にある、なんとか続けられるように工夫された、すごろくのような。

何かを続けることはむずかしい。
でも、続けることに楽しさと、よろこびと、達成感がある。

我々は毎日毎日、生きる、ということを続けているのですから。
そして、書く、という営みもまた同じ。

書かない日があっても、書けない日があっても、それでも私達は、書くことをやめることはできない。
書かずには、いられない。

生きることをやめることができないのと同様に。
椿さんの言葉を見ていて、そんな思いが去来しました。

昔、世にも奇妙な物語で、相性が40%という男女を、スーツを来た天使(現代風ですね)が最終的に結びつけるという物語がありました。
天使は当初は、女性と、相性100%の男性をなんとか結ぼうとしていましたが……。

100%の相性とは、一体化して自分と相手の境目がわからなくなってしまうこと、なのかもしれません。

差異を埋めることではなく、理解すること。
思うに、かつて目頭あつこさんが出会った占い師の方は、そうした「差異あるものと時間を共有するようになること」への恐れを見抜かれたのだろう、と気づきます。

故に、人の心を見るを職する者としては、それこそ子供の性別などは些事。
なさるべきことをなされたのだと気づきます。

そうして人の縁が巡り、20年後にはきっと息子さんも、今こうして旦那様から受けている言葉の意味を、心身で悟することになるものなのでしょう。
数奇さを感じずにはいられません。


青い鳥は、驚天動地するような大冒険を繰り広げたとしても、見つかりませんでした。見つかるのは、似たような、違う色の鳥ばかり。

それは家の近くにいた。

自分のすぐそばにいる最も近しい存在こそ自分なのだと気づきます。
でも「大冒険」とは時空が伸び縮みするような不思議なものでして、自分のそばにいるはずの「自分を探」そうとしてさえ、時に我々は、果て地まではるか遠出してしまいますね。

鏡を見つめるというのも一つの手。
誰かの心の中にある自分。つまり、誰かの眼(まなこ)の中に映る自分は、きっとそれまで見たことのない表情を浮かべていることだろう。

尖りすぎてしまっては、その誰かの眼を突いてしまうかもしれない。
入れても痛くないと思ってくれる最初の人は親かもしれませんが、自分の眼に自分は入れられない。右手が右手をつかめないのと同じように。

幸せ、というものについて様々に考えさせられました。


吾輩は猫である。
ハッシュタグに込められた、ゆーさんの万感が沁み入ります。

人間にとって当たり前の日常でも、この小さな隣人達には、またまったく別の光景として見えている。
その中で、彼ら彼女らは、人間とは違っていて、でも、やっぱりどこか人間的である感性を垣間見せてくれる。

泣き、笑い、怒る。
悲しみ、そして楽しむ。

生きることの謳歌は、独立不遜唯我独尊ではなく、共に時間を過ごす誰かとのそれを作り上げていくものであると気づきます。
種としての価値観が違っていたとしても、でも、その「どこか人間的」である部分で、わたしたちはこの小さな隣人達とふれあい、分かり合うことができるものと気づきます。

生きて、託されて、そして、死んで、託していく。
連綿と続く連鎖の中に、たしかにわたしたちと彼ら彼女らは交わって、文章や歴史には残らないかもしれないけれども、でも確かに続いている。

そんなことを考えさせられました。


賞参加者参加分

画像1


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

*過去作品でも「#THE_NEW_COOL_NOTER賞」のハッシュタグをつけていただければ参加可能です
*賞金は大賞2万円、各部門賞1500円となります
*みこちゃん奨励賞 300円が新設されました。多数授賞です。
*応募作多数のため講評分担体制になっております。必ずしも応募順に講評させていただいてはおりません。ご了承下さい。
*皆様、ふるってご参加ください





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?