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びっくりさせる←これが一番アカン

タイトル通り。

人をびっくりさせちゃあいけないよって思ったんですよ。最近。
なんでかってそう思った色んな出来事があってさ。

まず、一個目ね、これは高校生の時なんだけど、母のスマホを勝手に触ってネットかなんかを見てたんだよね。
そしたら叔父から急に母に向けてSMSが届いたの。

その内容がさ「〇〇死亡、すぐ来たれよ」(〇〇っていうのは叔父と祖母が飼ってた犬、私も高校の帰りにしょっちゅう会いに行くほど溺愛してた)

っていうシンプルなやつ。

もう、めっっっちゃびっくりしたわけ!!!これがポーンって画面に急によ!現れたから、こっちは気持ちの準備をする前にその全くオブラートに包まれてない情報を見てしまって、やわらかい心にぐさっって矢が突き刺さっちゃって、もう抜けなくて、1年くらい。

そう、もしこれがその1次情報を、もっとやわらかく表現してくれていれば、、、もしくは私がその時スマホを勝手に触ってなくて、母から「死亡」なんて言葉を使われずに、「お空に行ったよ」とか「亡くなったよ」って言われてれば、ここまでびっくりはしなかったと思うんだ。

それが、1個目の出来事。

それから二つ目が、つい最近。
寝る前にこれまたスマホをいじってたの。そしたらずいぶん古い知り合いから、「〇〇(私の長年付き合った元彼)がもう同棲してるらしいよ、しかも職場の後輩だって!」という情報がこれまたポーンと通知されてきた。

こういうセンシティブな情報っていうのは、送る側にとってはただの情報共有かもしれない。けど、送られる側は、心の準備というものができていない状態でいきなりポンっと渡されると、めっちゃびっくりするんだなあ。

もし、その情報をポンっと渡される前に、「渡しても大丈夫?Do you want it?」って聞かれていれば、、、それにYESと答えた自分の選択だから、受け入れられるんだよなあ。

という学びを得た。

同意、コンセント、consent これが大事だよって北欧留学でいっちばん最初に学んだこと。

自分が今持っている情報が、誰かを傷つけるものではないか?故意ではなくても相手にその情報を、相手が受け取りたいかどうか同意をとることなく、ポンと聞かせてしまうことの罪。

それは「びっくりさせちゃう」から良くないよなあ、、、と思ったんです。

だから、人をびっくりさせないようにしよう、って思った。。。。

うまく言葉にできないけど、ものでも情報でも言葉でも、これを渡したら相手はびっくりしないかな?って一歩立ち止まるというアイディアを得ることができた。

「相手の立場を思いやる」ってもしかしたら、その具体的なやり方って、このことなのかな?

というのが最近、学んだこと。

体験からしか私は学べないので、どんなショックなこともこうやって考える材料にしちゃえばいいんだ。

こうやってだんだん自分の思考の幅と、器が大きくなっていくといいなあ

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