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おみくじ自動販売機

先日、私がご奉仕させていただいている神社で
宮司さんがおみくじ自動販売機の導入を検討している、という話を聞いた。

私は巫女(バイト)の分際で大いに反対した。

神社のおみくじはやはり、とても特別な感じがするのだ。

神社のおみくじでその年の良し悪し、全てが決まる気がする。

神社の鳥居がその場の空気を厳かなものとしている。
そのせいか、おみくじを引く前の私は緊張で胸がいっぱいだった。

子どもの頃、神社に初詣に行くと必ずおみくじを引いた。

子どもの私にはおみくじが置かれている台は高くて、父に抱っこしてもらいながらおみくじを振った。

おみくじの番号を言うと、父がその番号が書かれた引き出しを開け、はい、と渡してくれるのだ。

そして、「恵ちゃんは何吉かな〜?」などと言いながら私と自分のおみくじを見比べる。

子どもの私にはおみくじを引いても何が書いてあるかなんて分からなくて、ただ、何吉かどうかで一喜一憂していた。

でも、この抱っこしてもらいながらおみくじを振る瞬間がずっと幸せな記憶として残っているのだ。

おみくじ自動販売機を導入されると抱っこされるのは小銭を入れるためのみとなり、なんだか呆気ない。

それがものすごく寂しいのだ。

今の子どもたちにもあの抱っこされながらおみくじを引く、という体験を幸せな記憶として持っていて欲しい。


私が猛反対した結果、予算との兼ね合いもあり
おみくじ自動販売機の導入は見送られることとなった。


今日もおみくじを引く親子がやってきた。

子どもは小さな手でおみくじを一生懸命振っていて、その様子を親は笑顔で見守っている。

そんな光景を社務所から見るのが私の楽しみなのだ。




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