夏目漱石と村上春樹(英語対訳)8 Natsume Soseki and Murakami Haruki (English translation)8
8 『こころ』と『ノルウェイの森』の類似性 (2)
(2)内容の「類似性」
『こころ』と『ノルウェイの森』の内容の「類似性」がある。『こころ』の中で、封建的で国家主義の社会から、合理主義・自由主義・資本主義社会への移り変わりの中、このような淋しさや孤独、自己喪失が付きまとうことを、百年前の漱石は早くも見抜いていました。村上春樹も『こころ』から七十三年後の『ノルウェイの森』で、そうした現代社会の淋しさや孤独を描き出しています。孤独な現代人や一人っ子に好まれ読まれているのです。
『こころ』と『ノルウェイの森』の「類似点」は、①先生が自殺と直子が自殺すること。②「手紙」を通して一部「本心」が語られることである。先生から私あての遺書(生前の先生)「私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿ることができるなら満足です」と、直子から僕あての手紙(レイコさん)「あなたがもし直子の死に対して何か痛みのようなものを感じるのなら、あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じつづけなさい。そしてもし学べるものなら、そこから何かを学びなさい」がある。また、類似点として、③二人とも装丁を自分自身でしているところもあげることができる。
村上春樹は漱石作品を精読し、類似性を作品に持たせています。「羊」は、『三四郎』の美禰子(ストレ―シープ)と『羊をめぐる冒険』の「羊男」に現れる。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の夫妻は、「門」の夫妻をモデルにしており、戦争等の巨大な暴力を本格的に扱っています。「『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね」(『河合隼雄対話集 こころの声を聴く』)と述べています。
村上春樹は夏目漱石の『虞美人草』と『坑夫』について次のように語っています。
「彼自身のスタイルも初期から比べてずいぶん変わってきていますね。たとえば『虞美人草』と『明暗』を比べるとものすごく違いますね。僕はどっちかというと『虞美人草』とか『坑夫』のほうが好きなんです」(『河合隼雄対話集 こころの声を聴く』)
『海辺のカフカ』第十三章から「僕」と大島さんの会話にも登場するのでを引用しよう。
「君はここで今、一生懸命なにを読んでいるの?」「今は漱石全集を読んでいます」と僕は言う。
(……)
「ここに来てからどんなものを読んだの?」「今は『虞美人草』、その前は『坑夫』です」(『海辺のカフカ』第十三章)
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