タイムマシンに乗ってきたおばさん⑤
卒園して隣の市に引っ越し、公立小に入学した。
ランドセルはピンク色。
毎朝、近所の女の子が2人、迎えに来た。
なかなか起きない子を急かして、なんとか朝ごはんを食べさせて、迎えにきた友達にごめんねーと謝りながら送り出す。
もしくはもう間に合わず、ごめん、先に行ってくれる?と伝える。
朝早く支度して出てきたのに、我が家の前で延々と待たされる友達に、子どもも私も申し訳なく、苦痛だった。
朝起きられないのだから、夜は早く寝かせなければ。
夕飯を早く、お風呂を早く、宿題を早く。
朝のために早く、早く、早く。
常に焦っていた。
はい、今日は、ここまで!
起きなかったよねー!朝が弱かった。
というか、病気(起立性調節障害)だったのよね、後からわかったけど。
この時は、なぜみんなができることができない?なぜ起きられない?なぜ夜早く寝られない?って怒りがすごかった。
迎えにくる子たちのお母さんの顔がチラついて、恐怖でもあった。
また、待たされたの?って思ってるだろうなって。
迎えに来なくていいよ、って伝えられたのは良かった。私たち、少し楽になった。
学校が遠かったのも大変だったね。
公立小だったけど、市の端っこだったから。
ずっとバス通園だったのに、小学生になったとたん、突然歩いて通うことになって、しかも引っ越したばかりで知らない道だし、戸惑うのは当然。
私もわからないことだらけで、パニックだったわ。パートも始めたし。
朝は起きられなかったし、いつも始業ギリギリで、門が閉まる寸前みたいなときに入ってたらしい。
ギリギリの子には男の子が多かったみたいで、最終的には男の子たちと通ってた。
帰りも男の子たちと帰ってきたね。
帰ってくるととっても元気で、大勢のお友達を家に呼んだり近所で走り回って遊んでた。
ただ、朝が弱すぎ。
ってことよね。まあ、大変だったよ。
これは、序章にすぎないんだけど。
未来のこと、少し教えるね。
朝が弱ければ、午後からでもいいよ。
残念ながらそんな小学校はまだありません。
20年経ってもおんなじよ。
感染症が流行って、リモート授業もやってたけど、おさまったら元に戻った。
タイムマシンに乗ってきて、
いろいろ言うおばさん。
53歳のわたしから、34歳のわたしへ