The Poppy War

第2次ケシ戦争の孤児リンは、中年の商人との結婚から逃げるために帝国のエリート校シネガード士官学校を受験する。ここに入学できれば、名誉と富が保証されるはずだった。ところが、狭き門をくぐり抜け、自由を手にしたと思いきや、待っていたのはさらに過酷な競争だった――。中国をモチーフにしたニカン帝国を舞台に、日本をモチーフにしたムゲン連邦との戦いや伝説の神々の世界を描く、壮大なSFファンタジー。

作者: R. F. Kuang(R. F. クアン)
出版社: Harper Voyager(アメリカ)
出版年: 2018年
ページ数: 544ページ
シリーズ: 全3巻(完結)


おもな文学賞

・ヒューゴー賞シリーズ部門ノミネート(2021)
・ネビュラ賞長編小説部門ノミネート (2019)
・ローカス賞第一長編部門ノミネート (2019)
・世界幻想文学大賞長編部門ノミネート (2019)
・英国幻想文学大賞新人部門ノミネート (2019)
・クロウフォード賞受賞(2019)
・コンプトン・クルック賞受賞(2019)
・アスタウンディング新人賞受賞(2020)
・Goodreads賞ファンタジー部門ノミネート (2018)
・Goodreads賞新人作家部門ノミネート (2018)

作者について

中国系アメリカ人作家。1996年生まれ。2000年に広州からアメリカに移住。21歳で発表したデビュー作『The Poppy War』は、数々のSF・ファンタジー賞に輝いた。ケンブリッジ大学、オックスフォート大学で中国研究の修士号を取得し、イェール大学で東アジア言語と文学を学ぶ。

おもな登場人物

● リン:主人公の少女。第2次ケシ戦争の孤児。商人と結婚させられないよう、16歳までのシネガード士官学校入学をめざし、猛勉強する。
● キテイ:シネガード士官学校の同級生。一度読んだものをすべて記憶する才能の持ち主。
● ネジャ:シネガード士官学校の同級生。男子学生のトップ。
● ヴェンカ:シネガード士官学校の同級生。女子学生のトップ。
● アルタン:シネガード士官学校の先輩。シャーマンで構成された暗殺者集団サイケの司令官。スピア島の生き残り。
● ジアン:シネガード士官学校の教官。伝承学を教える。リンの師匠。
● ス・ダジ:ニカンの女皇帝。12県からなるニカンを統一した。

あらすじ

※結末まで書いてあります!

 第2次ケシ戦争の孤児リンは、弟のケセギとともにファン夫妻に引き取られ、雑貨屋の店番をしながらアヘン売買の使い走りをさせられていた。近隣の村ではみな16歳までに結婚させられるため、リンにも14歳のときに中年の商人との結婚話が持ち上がる。結婚を回避し、自由を手に入れるべく、リンはシネガード士官学校への入学を目指す。これは首都シネガードにある学費無料の国立学校で、卒業後は軍人になれる。必死の受験勉強のすえ見事に試験に合格するが、本当に過酷なのはここからだった。

 シネガードに集まるのは全国のエリートであり、子どもの頃から英才教育を受けてきた貴族の子女ばかりだった。南部の田舎出身で知らないことが多く、訛りもあったリンは、自分からもなじめなかったうえに、周りからものけ者にされる。特に、男子トップのネジャと女子トップのヴェンカには敵意を剥き出しにされた。さらに、1年次の最後にどの教官からも弟子として選ばれなければ田舎に帰されると聞き、愕然とする。競争と勉強の日々は、まだまだ続くのだ。初潮を迎えたリンは、子宮を破壊する薬を飲んで生理を止め、競争世界で上を目指すことを選んだ。
 シネガードで学ぶのは座学だけではない。格闘技の授業では、構え方もなにも知らないのはリンぐらいだった。リンは落ちこぼれを嫌うジュン教官に目をつけられたうえに、ネジャの挑発に乗って粗野なけんかをしたため、授業への出席停止を言い渡された。
 ほかには、戦略、歴史、造兵学、言語学、医学、伝承学の授業があった。リンは戦略で頭角をあらわし、ようやくキテイという頭脳派の男友だちができる。キテイには一度見たものを丸暗記できるという才能があった。歴史の授業では、いままで史実だと思っていたことが地方向けに改変された内容だと知り、衝撃を受けた。まず、第2次ケシ戦争でニカンを勝利に導いた〈三柱〉、ス・ダジ女帝、龍皇帝、門衛(ゲートキーパー)が神の加護を得たというのは、伝説ではなく事実だった。3人ともシャーマンで、蛇神の力を操るス・ダジは「蛇妃」とも呼ばれていた。そして、第2次ケシ戦争が終結したのは、ニカン軍がムゲン軍の本拠地を制圧したからではなかった。ニカンの属州であり最強の部隊を有していたスピア島(位置的には台湾)がムゲン軍に滅ぼされ、ヘスペリア(欧米列強がモチーフ)の介入により不可侵条約を結んだからに過ぎなかった。いまのところはニカン、ムゲン、ヘスペリアの微妙なバランスが保たれているが、いつ崩れるか予断を許さない状況だった。
 シネガードの最終学年に、最後のスピア人とされる学生アルタンがいた。スピア人はニカン人と異なる人種で、背が高く肌が浅黒い。言語も文字も宗教も異なる。そしてスピア人兵士は赤い瞳をしていた。アルタンの瞳も赤い。アルタンは学生同士の格闘技トーナメントでは無敗で、成績もずばぬけて優秀だったので、全生徒の憧れの的だった。2年生への進級時も、すべての教官から指名があったという。ただ本人は無口で孤高の存在だった。
 伝承学の授業は、白髪で変わり者のジアン教官が担当だった。講義は庭園で行われた。そこにはアヘンの原料となるケシの赤い花が咲きほこり、薬草などが植えられている。ジアンは気まぐれで、姿を現さないときもあれば、来てもなにも教える気がないときもあった。そのうち学生はだれも来なくなったが、ジアンは一向に構わないようだった。リンも欠席していたが、誰にも見られずに格闘技の練習ができる場所だったので、練習場所として使い始める。ジアンはリンに興味を持ち、ジンの流派とは違った形で格闘技の稽古をつけはじめる。同時に、瞑想など精神面も指導した。
 学年末の格闘技の試験は勝ち抜き戦だ。格闘技の授業には出ていなかったものの、ジアンから指導を受けていたリンは、激闘のすえ決勝戦でネジャを下す。ネジャへの激しい怒りは、リンの眠っていた力を目覚めさせた。体じゅうから熱があふれ、目が赤く燃えた。リンもスピア人の生き残りで、炎と復讐の神フェニックスの力を得ることができたのだ。シャーマンでもあるジアンは、リアを弟子にとることにする。伝承学の教官に弟子がつくのは実に十年ぶりだ。アルタンが2年生になるときも弟子に取ろうとしたものの、直前に取り下げていた。
 新学期までの短い休暇に、リンはキテイの家に招かれ、夏祭りを見物した。そのとき初めてス・ダジ女帝を目にし、その美貌と貫禄にくぎ付けになる。この人のためなら命を捨ててもいいとさえ思わせる、支配者のオーラを感じた。
 2年生になると、ジアンのもとで本格的な修行が始まった。指示された書物を読みあさり、神の世界が実在すると学んだ。そして、瞑想や断食、ケシの実の陶酔作用を通じて、神々の世界を訪ねられるようになる。ジアンは神々の台座が並ぶパンテオンにリンをいざなう。リンはそこでスピア人の女神に、フェニックスの力は強大だが苦痛も大きいと警告された。

 ムゲン連邦の新天皇リョウヘイが、ニカン帝国に宣戦布告した。ス・ダジ女帝はシネガードを軍事拠点として全国12県の将軍を招集し、市民を南東部のゴリンニースに避難させる。士官学校の授業は中止となり、教官たちは兼任している軍の地位に戻った。ムゲン軍はシネガードに侵攻し、ジアンはシャーマンの力で虚無の門を開き、死者を解き放ってムゲン軍に大打撃を与える。ジアンは〈三柱〉のひとり、門衛(ゲートキーパー)だったのだ。
 シネガードの学生たちはそれぞれ出身地の軍に配属されたが、リンはサイケに配属となる。サイケはシャーマンを中心とした暗殺者集団で、ス・ダジ直属の部隊だ。第2次ケシ戦争のときは第13の部隊として暗躍した。司令官はあのアルタンだ。アルタンはリンをシャーマンの戦士として鍛え上げた。
 サイケのメンバーは、〈奇異なる子どもたち〉と呼ばれる、北部の山岳地帯ヒンターランドの出身者が多かった。猪神を召喚するバジと猿神を召喚するスニは怪力の戦士で、川神を召喚するアラチャは水中を自由に移動し、ウネゲンは狐に姿を変え、ラムザは爆弾づくりの達人だった。そして双子のチャガンとカラがいた。副官でもあるチャガンは〈見る者〉として神の世界を行き来し、六十四卦で未来を占った。カラはチャガンを現実世界につなぐ碇であり、射撃の名手だった。鳥と話をすることもできた。
 サイケは海沿いの要所クアダラインの戦いで活躍し、勝利を収めた。そのままクアダラインの防御にあたるが、捕虜からムゲン連邦の狙いはゴリンニースだと聞き、ゴリンニースに向かう。シネガードでの戦闘後、ニカンの軍事拠点もゴリンニースに移っていた。
 そこで待ちうけていたのは、恐ろしい光景だった。見わたす限り死体だらけで、生き物の気配はまったくない。死体は穢され、切り刻まれたり、見せしめに並べられたりしていた。根気よく生存者を探すと、建物の陰にキテイが隠れていた。ヴェンカも見つかった。あんなに美しかったヴェンカは見る影もなく、度重なる輪姦でぼろぼろになっていた。ヴェンカはリンに、ムゲン連邦を焼き尽くすと誓わせた。
 リンとアトランは、チュールーコリクの洞窟に向かった。神の力が手に負えなくなったシャーマンが石像に封じこまれている場所だ。強力なシャーマンを目覚めさせ、力を借りようという目論みだ。まずは、シネガードの戦い後、ここに封じられていたジアンを目覚めさせたが、ジアンは戦う気がなく、ふたたび石像に戻る。もうひとり、かつてのサイケのメンバー、フェイレンを目覚めさせたが、フェイレンは自由を喜ぶと飛び去った。リンとアルタンが洞窟を出ると、ムゲン軍が待ち構えていた。

 リンとアルタンは、スピア島の対岸にあるムゲン軍の研究所に連れていかれた。ムゲン軍はスピア人が火を操る能力に目をつけ、人体実験を行っていた。アルタンも子どもの頃ここに入れられ、そのせいでアヘン中毒になっていた。
 シロ所長は、為政者がアヘンを使って民を意のままにするのは今に始まったことではないと言って、ニカンがスピア人をそうやって従わせていたことを匂わせた。さらに、リンとアルタンの居場所をムゲン軍に教えたのは、ス・ダジだとほのめかす。サイケの前司令官タイヤを暗殺したのもス・ダジだった。サイケは裏切られたのだ。
 アルタンとリンはどうにか研究所から逃げだした。アルタンはリンにすべてを託すと、フェニックスを召喚し、みずから火柱となってムゲン軍の艦隊を焼き尽くす。リンは泳いでスピア島に渡った。
 島は白骨だらけだった。廃墟と化している神殿に行くと、神の間は地上ではなく地下にあった。ここではケシの実やアヘンの力を借りずとも、楽に神の世界に入りこめた。ふたたびスピア人の女神――フェニックスの力よりも死を選んだ女戦士ティアルザ――に警告されるが、リンはフェニックスの力を選ぶ。フェニックスは応え、リンの体を激しい熱が駆けぬけた。リンの瞳は、アルタンのように常に赤いままとなった。
 神殿を出たリンはそのまま気を失うが、サイケの仲間に助けられ、船の上で目を覚ます。キテイもいた。キテイの話では、火山の大噴火でムゲン諸島が甚大な被害を受け、ニカンから撤退したという。大噴火を引き起こしたのはリンとフェニックスの力だ。アルタン亡きいま、リンがサイケの司令官となり、打倒ス・ダジを誓うのだった。

 中国にルーツを持ち、中国を研究してきた若い作家による渾身の一作だ。デビュー作とは思えない重厚感あふれる作品である。中国の古代神話から日中の歴史を彷彿させる場面、神の降臨により一面を焼き払うディストピア感。残虐シーンも多く、『ハンガー・ゲーム』を読んだときのような衝撃と魅力を感じた。ファンタジーではあるが、作家本人が明言しているように20世紀中国へのオマージュであり、生々しい痛みも血なまぐさい戦闘も、実際に中国の人々が味わったものである。特に南京大虐殺と731部隊は重要な役割を果たし、それぞれゴリンニースでの大虐殺、スピア人を対象とする人体実験として描かれている。
 そもそも南京大虐殺については、アメリカの学校ではほとんど教えられていない。中国系アメリカ人であるクアンは、南京大虐殺についてあまりにも知られていないこと、「忘れられたホロコースト」であることに問題意識を持った。残虐行為について沈黙するほうが、語るよりも苦痛をもたらす。ナチスを扱ったフィクション/ファンタジーは多々あるが、南京大虐殺については恐らくない。南京大虐殺などなかったとする否定派がいることもクアンは知っている。彼女の勇気と挑戦、出版を決めたハーパー・ボヤージュに敬意を表したい。このまま埋もれさせてはならないと、現代の若い(20代前半)作家が問題提起をしたのは、大きな意味があると感じた。ノンフィクションであれば大きく紛糾するであろうテーマを、あくまでもフィクションとして描いていることに、本書の意義があるだろう。
 なお、実際の歴史をモチーフにしてはいるが、実際の時系列に沿っているわけではなく、宋の時代の中国をベースに、シャーマニズムを生かし、後の時代のアヘン戦争や日中戦争などを盛りこんでいる。ケシの実/アヘンは神を降臨させるための媒体として登場するが、古くから薬として使用されていたものでもある。また、2巻以降ではヘスペリアの力が大きくなっていき、キリスト教の宣教師や中国の近代化も描かれている。

 日本人の読者としては、日中の歴史に思いを馳せずにいられないが、物語としても非常に読みごたえがあり、魅力的な作品だ。田舎の貧しい孤児だったリンが這い上がり、シャーマンとして強大な力を身につけるまでの成長が丁寧に描かれている(毛沢東がモデル)。三部構成で、リンの視点から描かれ、読者はリンと一緒にニカンの歴史を学び、パンテオンを訪れ、戦争を生き抜く。シネガードでは生徒同士の力試しや寮生活など、学生らしい場面も描かれる。シネガードから全国に散っていった学生が戦争中に再会する場面や、リンからアルタンへの淡い思慕など、さまざまな人間関係や情景が目に浮かぶように描かれている。神々の玉座が並ぶパンテオンなど、ファンタジー要素も存在感がある。シャーマンの力は諸刃の剣であり、リンのように貪欲にその力を求める者もいれば、ジアンやティアルザのように、封じるべきだと考える者もいる。神の力が手に負えなくなれば、死を選ぶか永遠に石像に封印されるかしかない、厳しい世界だ。なお、表紙のイラストも素晴らしい。いくつもの候補がボツになったすえ、台湾のアーティストが毛筆を使って描いたイラストに一目で心奪われたとのこと。オーディオブックもアジア系の女性が務めている。
 問題作とも言えようが、中国SFが盛り上がっているいま、決して無視してはいけない作品だと思う。

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