History#3 英国留学|1|
チューター(担当教授)との初顔合わせ
2011年に英国の大学院に入学したとき、チューターに
「Why do you paint (the landscapes) ?」
どうして(その風景画を)描くんだい?
と、衝撃的な質問をされました。これまで描いてきた作品がすべて否定されたような、そんな気になってしまった午後でした。英語で言葉が出ないのではありません(英語力もいっぱいいっぱいではあったんですけどね)頭のなかが真っ白で、その問いについての答えをじぶんの中には見つけられなかった、というのが真実です。
じぶんの絵が社会においてどんな意味をもつのか。プロとして芸術をやるならそれを考えなきゃね。英語で聞く「ART」は、「アート」ではなく、「芸術」であり「美学」であり「哲学」でした。ARTとは自己の哲学を見つけだすこと。なんて深く重く、素晴らしいことなのだろうと感じました。
当時、わたしは空と海を分ける水平線や、空とわたしたちの住む地を分ける境界線を描くことに興味がありました。ただし、境界線に興味があることについて心理的・哲学的になんとなく考えてはいたものの、それを絵にすることについて「なぜなのか」は考えたことがありませんでした。わたしがそれに興味があるんだ、ということを主張するに過ぎなかった。稚拙とも言えるかもしれませんね。プロとしてやるなら、それを絵画で表現する意味があるのか、意味があるならどんなことなのか、考えなければならないターニングポイントにきたのです。
水平線・地平線との対話
意識していたのかどうかわかりませんが、大学院はボーンマスというイングランド南西部の海沿いの街に決めていました。街の中心部はビーチ沿いに広がっていましたし、家は砂浜からあるいて5分のところにありました。毎日でも、毎時間でも、毎分でも、水平線について考えることができました。
電車ですこし行くと国定公園の森が広がっていて、まっすぐあるけばどこまでも草原がつづき、地平線が途切れることがありませんでした。野生の馬がくつろいでいるなかを、ときには馬に蹴られかけながら延々とあるき、地平線には到達できないこと、手が届かないことに気づきます。
追いかけても追いかけても、水平線・地平線には手が届くことがない。知っていたはずの事実に思い至ったとき、手も足も冷え切っていたことに気づきました。日の落ちるのも早い季節の英国です。地平線の消えたブッシュ(茂み)のあたりで、慌てて帰ることにしました。追いかけても手の届かないもの、手が届いたかと思ったときには消えて無くなるもの、でもずっと平行して(並行して)なら隣をあるいてくれるもの。それは、わたしとあなた、その関係性そのもののような気がしたのです。
「境界をあるき境界を描く」美術家
水平線も地平線も英語では「horizon」と表現します。平行線という意味の言葉ですが、来る日も来る日もそれと静かな対話をつづけた結果、見えてきた「境界をあるく」というじぶん自身の存在意義。次の投稿では、そのことについて書いていきたいと思います!
https://mikiwanibuchi.com/index.php/2012/03/16/2012-works-phase-1/
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https://mikiwanibuchi.com/index.php/2012/03/17/boundary-line-for-her/