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「美術館女子」が見せてくれた、寒々しい光景。【美術館再開日記・番外編】
割愛してもよかったのだが、これもこの時期の日本の美術館をめぐる状況をよく示す出来事のひとつ、には違いない。「美術館女子」という名の連載、というか1回で終わった、新聞社の企画。その記事を目にしたのは、自分の勤める美術館がやっと再開し、恐る恐る手探りで進み始めたときだった。web版の記事は既に削除されているのでここには掲載できないが、記事の公開は6月12日、私がweb版を読んだのは6月14日、fb日記を付けたのは6月15日。既に炎上していたらしく、日記アップ直後に「美術手帖」の解説記事が出たことをよく覚えている。
「美術手帖」の記事はメディアとジェンダーをめぐるおおよその問題点を整理し得ていたと思うが、「そもそもインスタ映えの場として美術館を扱うな」という、記事中のある識者の意見が別の物議を醸して、少々ややこしいことになった。しかしそのような「ズレ」感満載(と少なからぬ一般の人々が感じたであろう)の意見も最初に露出したおかげで、美術館に対してこれまで専らどういう人たちが「あそこは自分のもの」と囲い込むような意識を持ってきたのかも露わになって、興味深かった。
企画が最大手新聞社肝いりのものだっただけに、炎上するや他紙がこぞって批判記事を出した。どれもあまり変わりばえしない論説の裏に、鬼の首を取ったと小躍りするような、そこはかとないはしたなさを感じた(個々の記者のせいではない)。日記にも記したとおり、元記事を読んだ時にも「終わってるな」と思ったが、それに続くバッシングに等しい記事乱発の、マッチョで寒々しい光景にこそ終末感があったと今は思う。それらの記事はここには載せない。載せるに足る多様性に欠けると思うからだ。
90年代生まれの若い個人ライターの記事は、炎上のありようがもたらす「なんだかなー」感のありかを、うまくまとめている。
※9月22日の追記。
noteの中では、投稿時期の早さ(6月14日)と視点の独自さで、以下の記事が目を引いたことを思い出した。現在は海外在住の現代美術ファンの方で、日本社会に顕著な「相互監視態勢」が美術館でも作動しているという前提のもと、そんな社会で地位があってお金もある(けど美術には縁遠い)おじさまたちを安心させつつ(=恥をかかせず)美術館に来させ、お金を落とす気にさせるには、(無知な)自分の姿を隠してくれるアイドルという「アクセサリー」が、ずっと不可欠であり続けてきたのだ、という見立て。
この記事を読み返して味わい深いのは、多くの批判記事が「若い女性を無知と決めつけ一方的に見られる客体にしている」とガチで憤っていたのと異なり(私自身も日記ではガチで怒っている)、自らの貧弱なカラダを「みんな」に見られないよう汲々とするおじさんが(迷惑な)妄想を糧に生きる社会、に自分も生きている、と認識できることだと思う。別におじさんに同情はしないが、相互監視社会はどうにかしたい。以上追記終わり。
さて、日本の美術(館)業界をそもそも取り巻くジェンダー問題の根深さと広範さを知るには、「美術手帖」でおりしも展開中だった「ジェンダーフリーは可能か?」特集の、東京都現代美術館学芸員・藪前知子さんのインタビュー記事が良い。「現場は女性学芸員が多いのに館長は男ばっかり」というような事実に憤慨するにとどまらず、次にすぐさま考えるべきことの数々。
その中には、「美術館」というハコや仕組みを支える価値観もそもそも「マッチョ」なんじゃないのか、との指摘もある。広さと天井高を競うような現代美術館ならではのこと、と一瞬思えるが、そんなことはない。当館のような「近代」系の、そんなにたいした広さ高さのないところだって、使う側の意識が「見にきた人を圧倒して平伏させてナンボ」みたいに攻撃的だとどうなるか。この刷り込みはバカにならないし他人事でもない。
以下、6月中の2回分の日記。
休館日。6/15。「美術館女子」の終末感と、思い出したこと
数日前、某大手新聞社が
国内の150の公立美術館ネットワークとのコラボ企画と銘打って
「美術館女子」なるオンライン連載を始めた。
いろいろな意味で末期的なものと思う。
コロナ前から準備されていたのだろうが
(※後に得た情報によればコロナで生まれた企画だったらしい)、
完全に「終わった」感がある。
ある時代の遺品。
しかし自分のいる館もそのネットワークには加盟している。
連載が続いたら協力要請が来るのだろうか。
いや続かないな。早期打ち切りになるだろう。
数年前、某大手テレビ局の美術番組の収録で、
大学院で美術史を学んでいるというアイドルが
当館に来た。その時やっていた大型展の
出品作家で修論を書く予定の方だったらしい。
作品を見ながら自由にしゃべってみて、と
言われた彼女は、ごく自然に作家の経歴や
他の作品との比較を適度に織り込みながら、
自分なりの解釈を話した。
話し終わると、番組制作側の男性が
「あのねー、あんまり頭使わないで話そっか。
もっと感覚的に。難しいこと言わなくていいよ」。
何度も何度もやり直し。何度も何度も。
その時にも、終末感があった。
完成した番組では彼女の喋っている部分は
10秒くらいだったか。
今ではアイドルグループを卒業して、
個人として美術や美術館について
発信しているようだ。
数年日記をつけてなかったが、
fbでの美術館再開日記も含め、
日々のメモが続いている。
追記:
美術手帖が早速取材記事をアップしている。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/22140
新聞社側は「ご意見」を「重く受け止め」て今後どうするか再考するとコメントしているらしい。
美術館再開17日目、6/20。「美術館女子」のつづき。
「美術館女子」、今週は美術手帖のほか
毎日新聞と朝日新聞、tokyoartbeatなど
大小のメディアで記事が出た。
館内では、新聞(紙)の美術関連記事については
ふだんから切り抜きが回覧される。
昨日の時点で回ってたのは、まだ読売の元記事のみ。
スタッフの反応(紙面とオンラインどっちを
見たかはさまざまだが)は、
元記事はひどい、という人と、
元記事の何がそんなにダメなのかわからない、
騒ぐのはダサい、という人と、
騒がれ方を追っかけて、そうか自分も麻痺してたな、
と思ったらしい人とに、だいたい分かれる。
もちろん黙っている人もいる。
いろいろである。
※この1週間後、読売新聞オンライン版「美術館女子」のサイトは閉鎖された。その後、「コロナ禍の美術館を応援する」と思しき代替シリーズは、この注記を書いている2020年9月現在まで登場していない。
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