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【音楽とわたし】高橋研「Circus Town People」の中の歌詞に対する疑問と自分なりの答え

週の中日、水曜日いかがお過ごしでしょうか。
綱渡りのevery dayとmoonchildが歌っていたのは、もうだいぶ昔のことのようです。

サーカスについて

子供の頃、親に連れられて、サーカスを見に隣町に行った覚えがあります。空中ブランコや綱渡りを、手に汗握りながら、見上げたような気がします。もう、はっきりと思い出せないのですが。

君も奴等もみんな息をのみ 見上げてる

「Circus Town People」

あの時の私は、この歌詞の中に登場する「君」なのか、「奴等」なのか……。正直に言って、ちょっとよく分かりません。

「君」という単語には、好意的な印象を受けますし、「奴等」という表現には、どちらかというとネガティブや反発的な印象を受けます。
「観客」は「お客様」であると同時に「野次馬」にもなり得るので、無邪気に楽しんでいる少年少女は「君」で、「ヘマをやらかしたら、からかってやろう」と目論んでいるのは「奴等」と、私は勝手に解釈しています。

あの日の私は「君」だったと思いたいですね。

2番の歌詞

この歌は文学的な印象が強く、歌詞もやや長いです。

2番になると、ここで、長らくの間、ずっと疑問に思っていた歌詞が出てきます。

いつもボスは俺にこう言う
「失敗をおそれるな 手もとがすべったって
ネットがうけとめる」
だけど俺はこう言う
「Hey Boss、笑われるのは俺だぜ
一度弱み見せたら負け犬のままなんだぜ」

「Circus Town People」

「一度弱み見せたら負け犬のままなんだぜ」

ここです。長らく、ずっと疑問でした。

ボスは「失敗をおそれるな」と言い、それに対する返答のセリフですね。

みなさん、ちょっと想像してみてください。
「失敗したら、努力をして、取り返せばいい」って思いませんか?世の中には「リベンジ」という言葉もあります。

でも、ふと思い当たりました。

この歌の舞台が「サーカスタウン」である、ということが重要なのです。

再び、子供時代に照らし合わせて

わたしは、子供の頃に1度、サーカスを観に行きました。

この「1度観に行った」が、ポイントなのではないか?

自分がもし、何か重大なミスを犯したとして、その相手と再会するチャンスがなければ……。

その相手にとって、私は「あいつ肝心なところでしくじった」という印象のまま、下手したら一生、その印象を拭い去ることが出来ません。もし、その人が街で私を見かけた時、「あーあの時にミスったヤツ」と、嘲るかもしれないですね。側にいる人にも、そんな事を話すかもしれません。

例えば、劇団四季の「ライオンキング」などは、年に何回も公演に足を運ぶようなファンもいるらしいです。もはや、お気に入りの音楽を、繰り返し聞くようなレベルの状態ですよね。

サーカスについても、来れば来るたびに観に行くファンもいるでしょう。そうなれば、「あの時に落下した人が、今日はうまくやれた!」と、拍手喝さいをして貰えるかもしれないです。

ですが、私みたいに、1度行った思い出だけの人もいるはずなのです。

サーカスタウンでの出来事とは言えど

めくるめくサーカスの舞台と、それを取り巻く人たちの祈りや葛藤が描かれた「Circus Town People」。

急に歌詞の印象が変わります。

勝ち負けなんていらない 上も下も関係ない
そんなうまい人生が どこかにおちてないかい

「Circus Town People」

サーカスタウンを舞台にした、これは人生の歌でした。

人生のあらゆるシーンが、実は「舞台」であり、舞台にいる私たちには役割が与えられ、うまくいきますようにと祈ったり、あいつミスしねーかなと影で願ったりしていたりします。

誰とも勝負しないし、誰の上にも下にも立たない。俺は俺だぜといって、飄々と生きていける人生があれば、どれだけ素晴らしいでしょうね。

余談

この曲を、自分のキーに合うように、ギターのお師匠様にコード進行を変えて貰って練習しています。
高橋研氏の曲は、この他にも「奇妙な果実」を練習しているのですが、ちょっと厄介なことに「変拍子」が出て来ます……。それが、これらの楽曲の魅力を醸し出す要素のひとつだとは思うのですが……。

私からしたら、軽くロデオです。簡単に乗りこなせませんねー。(へたくそなりに、楽しくやることなら出来る)
それをステージで演奏している高橋研氏は、わたしにとっては颯爽と荒野を駆けるカウボーイに見えます。


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