バレーボールが白球だった時代のこと
1、あの時、君は白かった
中学、高校の6年間、私は白球を追いかけていた。この言葉を聞いて、今の人たちは何のスポーツを思い出すだろう。野球か、ソフトボールかなぁ……。
私の青春時代、バレーボールは真っ白だった。そこにmoltenとかの黒いロゴマークが入っていたのだ。懐かしいなぁmolten。
ユニフォームはブルマだった。(ドラゴンボールの初期からの登場人物で、後にベジータの妻となる女性のことではない)
当時のバレーボールが分かる動画をユーチューブより
この画像で分かるように、当時は1セットが15点だったり、サーブ権というルールが存在していた。
※サーブ権……サーブを打った側のチームでなければ得点が入らないというルール。今は撤廃されている。バレー経験者でないと、なかなか理解できなかったし、ゲームの進みを遅くする原因でもあった。
2、高校時代の部活の謎ルール
夏でも冬でも長袖のトレーニングシャツ。髪は短く、耳を出さなくてはいけない。基本、ブルマを着用すること。たまにパンツがはみ出る。(ハミパンと言っていた)白いハイソックスをはく。シューズは確かアシックス限定だった気がする。白に赤いラインで。
徹底した年功序列。掃除中、たとえジャマであっても先輩を立ち退かせてはいけない。通学路で先輩に追い越されてはいけない。しかし、田舎すぎて電車の本数が少なく、どうしても先輩と同じ電車に乗るしかなかった。なるべく改札に近い車両に乗り、急ぎ足で当校するのだが、先輩がやたらにイジワル……もとい、足が速かった。さらに校門に至るまでの道のりには、地元では有名な急坂があるのだった。
3、水を飲んではいけない
今では考えられないことだが、部活中、水を飲むことが許されなかった。でも、大人になってから久しぶりに部活のメンバーで集まったら、「こっそり水、飲んでたよね!」「あたしも!」なんて話を聞かされて、わたしは軽度の人間不信におちいった。
4、憧れの先輩は男子バレー部員
高校1年の時、やたら転がって練習している男子バレーボール部の3年に片思いしていた。彼は私の先輩にあたる女子バレーボール部の3年と付き合ってしまった。(彼らがイチャコラしているのを目撃した)高校2年の時、やたら単独行動の多い男子バレーボール部の3年に片思いした。彼とはフォークダンスを踊ったり、プレゼントを渡したりしたけど、告白できなかった。
5、バレーボールを蹴っても良い時代の到来
かつてスポ根女子のハートを鷲掴みにした少女マンガのひとつ「アタック№1」に「バレーボールは蹴るものじゃないわ!」というセリフがある。
それも高校時代に、足でレシーブをして良いというルールに変わった。そのうちサッカーも手を使って良いというルールに変わるのだろうか。
6、審判をやるのが地味に楽しい
練習試合や地区大会などで、ラインズマン(線審)をやることがあった。練習試合では副審をやることもあった。これが地味に楽しいのだ。選手が「アウト!」って叫んでいるのを尻目に「イン」のジャッジをする時なんかは痛快そのもの。
昔はサーブに関するルールが厳しくて、サーブを打つ時にエンドラインを踏んではいけないし、ボールがネットにかする程度でもダメだった。そのため、ラインズマンはサーブを打つ選手が線を踏まないかガン見し、踏んだら審判に知らせていた。副審(床に棒立ちしているほうの審判)はネットをガン見していて、ボールが少しでもネットにかすったら主審に知らせていた。どちらも重箱の隅をつつくような細かさで、選手を落胆させる行為だったので、とても楽しかった。S気質だったのかもしれない。
絵は適当です。
7、納得できない3人で100本ルール
3人で組になりレシーブやアタックを100本打つという練習が頻繁に行われた。3人なら99本または102本ではないかと今だに思う。だから私は3人100本の練習で先頭に立ったことはない。
そんな思い出がよぎった。ハードな体育会系の部活を体験したおかげで、同じフレーズを繰り返すギターの練習があまり苦ではないのは確かだ。
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