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多分渋谷系ど真ん中で翻弄され、あたふたし、パシリにパシリ、必死だった、現51の雑記


多分1992の頃
私はdictionary編集部にいた。

編集部には、錚々たる方々が遊びに来ていた。
茂一さんに会いに、街の状況をチェックしに、
なんだかわからないけど、いつもこれから有名になる、または有名な若者が出入りしていた。

U.F.Oのメンバーはもちろん
えがいつさん、沖野修也さん、佐々木潤さんなどはよくおられ
たまにインタビューとなると小西さんなんかも見えてた。

編集部にやばい人かいるよと紹介されたのは若き日の2GOさん、リリーフランキーさんなど…
事務所には茂一さんの元に、そんな色々なアーティストが集まり

フミヤさんなどはオススメの映画を借りに来たりしてた。

なんせカルチャーのど真ん中感がすごい会社でした。

当時その世界では、フリッパーズなんて聞くのは女子供で、後追いで聞いてるだけ。
つまりDJの方々からするとださい。みたいな流れがあったと思う。

私もフリッパーズファンは封印してました。

いまでも忘れない、滝見さんが、新しいレーベルを作り、良いのが出来たのでdictionary 編集部の方へ聞いて欲しいんです、とペーペーの私に渡されたのはラブタンバリンズでした。

それくらいdictionaryは力があり、ブランドだった。

そん中で、とにかくテープ起こしだの、レイアウトだの、レコードを借りて撮影したり、借りに言ったり(1度、あの小沢君もリスペクトしてる藤井悟さんのお宅で、レコード談義を数時間聞いたこともあった)

日々が洗濯機の中みたくグルグル翻弄されてた。

なかでも岡崎京子さん宅で原稿頂いたきっかけで、いけぼう、と良くして頂いたのは私には忘れがたい。

ミーハーで学のない私は、誰よりも早く出勤し、トイレ掃除などをしてた。それくらいしか私は出来ないと思ってた。

会う人会う人一流で、尊敬しかなかった。

それでも、先輩が、いけぼう、小沢健二好きでしょ?と譲ってもらった日比谷野音のチケットは本当ラッキーだった。

フリッパーズファンをひた隠しにしてたのに、先輩は、私が、小沢君が好きだと知っていて譲ってくれたのである。

まとまりのない文章となりました。

まさに洗濯機の真ん中な2年でした。

つつくと小ネタはいくつでも出てきます。

続きはスペースで❣️
お話しましょう。

みっこ

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