見出し画像

キレるメカニズムと、ご機嫌スキル


「日本だったらこんなことはないのに。何もかもがクソすぎ。」とキレた。


その日は、

友人のホームパーティーにお呼ばれして、

片道1時間半をかけて旦那と二人で出かけていた日だった。


22時50分、乗る予定だった電車が

なぜか何のアナウンスもなく車両調整につきバスに変わっていた。


友人(そのパーティーで初めて会った人)に降ろしてもらった駅は、

普段は利用しない田舎町の駅で、

何の看板もなく、警備をしていた4人の警察官にバス停の場所を聞いてもわからず、

バス停の場所が分かったあとも、外で1時間くらい待たなきゃいけなくて、

駅内にあったトイレに入ると、便器の外にうんちが落ちていてクソ汚くて、

そばにあった自動販売機はお金を入れても飲み物は出てこず、

近くのコンビニで飲み物を買いに行くと、

店員に胸くそ悪い接客をされ、

バス停で待っていると、となりで知らないおじさんが

くちゃくちゃとかなり気持ち悪い音を立てながらパンを食べ始め、

やっと来たバスは、バス停を10メートルは優に超えて止まった。


そんなことがあって、わたしは

「は?なんなの?ふざけてるの?なんでわたしはこんなにすべてがクソな国にいるの?」

とブチ切れ、そこから帰りのバスでは一言も口をひらけず、

翌日も立ち直れなくて抜け殻のようになり、

朝ごはんも昼ごはんも晩ごはんも作れず、

旦那に食べさせてもらうはめになった。


***

そんな抜け殻のような状態になりながらも、

「なんでわたしは今日こんなにキレてるんだ…???」

と一晩考えてたんだ…!


だって、ひとつひとつを見ると、

些細なことで、普段だったら気にならない…!

確かにクソなことはたくさん起こったけど、

とはいってもオーストラリアではよく起こることだし、

もうここに住んで4年目で慣れているし、

普段の自分なら許せる範囲内なんだよね。

イラッとはしてもそこまでキレたりすることはなく、

仮にも「こんな国は嫌だ、日本に帰りたい」みたいな、

無責任で八つ当たりでしかないことは言わない。
(オーストラリアに来ることを選んだのは、他でもない自分だ。)


***

でね、

人はそんな急にキレたりしないと思うんだ。

1枚のカードではキレない。

「堪忍袋の緒が切れる」という表現があるように、

不安とか、不満とか、不快感とか、ストレスとか、

いろんな手持ちのカードが溜まりに溜まって、

堪忍袋が満杯になったときに、

キレるんだよね。

つまり、ストレスフリーな状態でいれば、

そっとやちょっとクソなことが起こったとしても、キレない。


で、私の中でなにがそんなに堪忍袋を埋めていたんだろう…?

と考えていたときに、

それは「大人数の知らない人たちがいるパーティーに行ったこと」

だったんだよね…!


それをすると、すぐさま私の中の堪忍袋が埋まって、

私は、「一触即発のピリピリ人間になりあがる」

ということに気づいた。危なすぎる…!


大人数のパーティーで行くことの何が嫌なのか、今まで言葉にしたことがなかったけど、

具体的に挙げると、

■興味のない人の話を聞く忍耐力がない。
■同感できないときに同感するふりをして周りに合わせられない。
(上辺だけの話には同感できないことや反論したくなることが多い)
■自分に興味があるかどうかわからない人たちに自分の話をすることに躊躇いがある。
(「どうこまで話すべきなのか?」というのがわからない。)
■大人数に見られながら話すのが苦手。
(どう思われるか、を考えながら話してしまうため、疲れる。特に知らない人たちを相手にすると予想が困難で疲弊する。)
■気を遣うことによって正常な判断ができなくなる。
(前のパーティーも車で送ってもらうのは嫌だったのだけど、「いえ結構です」が言えなかった。)
■比べ癖が始まって疲れる。
■去るタイミングを逃しがち。
■多ければ多いほど、周りが話している話題、表情、動きなどいろいろなところが気になって注意力が散漫して神経が尖る。

というところがすごく苦手だ。

私にはいわゆる「コミュニケーション体力」がなくて、

一対一でじっくり話すことには向いている(好きだ)けど、

ランダムな人たちの集まりにいることは、

私にはすごく向いていない。


行ってしまうと必ずモヤモヤしたりイライラしたりする事件が起きて、

私にとって行くメリットに対するデメリットが大きすぎる。


***

今までも「私は知らない人たちとの集まりが苦手だ」

ということは自覚していたのだけど、

「今回は大丈夫かもしれない…我慢できるかも…楽しめるかも…」

と、たまにトライをしてきたんだよね。

でも、今回の件で、大人数の集まりに行くことは、

「私の堪忍袋9分目までを急速に埋めてしまうストレスに値する」、

ということが分かって、

「私にとってすごく恐ろしいことだ。できれば避けられるように善処しよう」

という気持ちになったよ。

そのことに気づけたのはすごくよかったと思う。


仮にその場にいる自分がなんとか「楽しくやり過ごしてくれた」としても、

その時のわたしの状態(堪忍袋満タン寸前)だと、

その直後に些細な不安、不満、不快感が襲ってきたときに

コントロールが効かなくなって爆発してしまうからね…!!


***

夫婦にとって、そして一人の大人として、

うまく生きていくために大切なことは、

「自分をご機嫌に保つスキルだ」

と私は常々思っているのだけど、

それと同じぐらい大切なことが、

「周りを巻き込むほど自分をマイナスな状態に持っていかない」

こと、つまり「ストレスフリーがデフォルトのキレない自分を維持すること」

であると思う。

特に夫婦になってからは、

旦那と仲良く暮らしていくために、

「自分をまず幸せにご機嫌にすること、話はそれからだ」を精神に

いろんなことを判断するようにしている。

そのうえで、

「自分をご機嫌に保つスキル」、「キレない自分を維持するスキル」

に共通して必要なことが、

①自分という人間をよく知っておくこと
②そのうえでそれを管理するために必要な問題解決力を高めること

だなあと、歳を重ねるほど感じるよ…!


「自分は何が好きで、何にときめいて、何をするとエネルギーチャージされるのか」、

「自分を激萎えさせて、堪忍袋を埋めてしまうものは何なのか」をよく知ること、

そしてそれを自己コントロールするために、

「どうすればそれが手に入るのか、その状態になることができるのか」、

「どうすればそれを回避できるのか、代替案はあるのか」を考えて解決する力を高めることが、

自分と、自分の周りにいる人たちを幸せにしながら生きていくために必要だ、と思うよ…!


***

ちなみに今回、

キレてしまって立ち直れず抜け殻のようになった翌日に、

旦那さんがハグしたりチューしたりしてくれたり、

私への褒め言葉を浴びせてくれたり、

カフェに連れて行ってくれたり、

美味しいコーヒーを淹れてくれたり、

大好きな肉まんを買ってくれたりして、

私が元気を取り戻せるよう尽くしてくれたのだけど、

旦那は、

「みきが元気がないときは、日本にいるときも今もいつも肉まんを買ってあげてるね〜」

なんてことを言っていて、

その発言に可愛くて和んだのだけど、それと同時に

「このひとは私といっしょにいた分だけ、私を元気にしようとしてくれた経験を積んでいて、いまもそのことに一生懸命にいてくれてありがたい」

と、そんなことを感じた。


私にとって、「旦那さんに自分の好きなもの、してほしいことをきちんと伝えて、いざというときに頼って元気にしてもらう」ことは、

私のエネルギーチャージ法のひとつで、

旦那さんには一役買ってもらっているな、と思う。


夫婦になってというもの、

私の精神衛生のかなりの部分は旦那さんのおかげで保たれていて、

夫婦として添い遂げている感がある。


いつもありがとう(^_^)










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?