No.230 僕の本棚より(10)今は無き「西武美術館」の図録・その1「エッシャー展」「ミレー、コロー展」
No.230 僕の本棚より(10)今は無き「西武美術館」の図録・その1「エッシャー展」「ミレー、コロー展」
(No.228 No.229からの続きのような)
西武百貨店池袋本店12階にあった「西武美術館(後にセゾン美術館に改称)」は1975年(昭和50年)に開館、24年後の1999年(平成11年)に、残念ながら、閉館となった。僕の年齢で言うと、21歳から45歳にあたる。
この間の自分の人生を振り返ってみる。板橋にあった家業の酒販店を1975年(昭和50年)に継ぎ、連れ合いの由理くんと結婚、子供がいなかったことなどもあり、人生の転換を考え、38歳の時に上智大学比較文化学部に入学、42歳で卒業、その後学習塾を開業したのが1998年(平成10年)だった。
新しい生活に入り、好奇心に溢れていた自分の青年期の始まりと終わりの時期が、偶然ではあるが、「西武美術館」のそれと重なることに感慨深い思いを抱いてしまう。また「西武美術館」がデパートという商業施設内にあり気軽に立ち寄れたお陰で、自分の人生を豊かに潤してくれた「美術」との出会いという僥倖も得た。
西武百貨店のオーナー堤清二氏の意向を受け、一年に20回弱くらいあった展覧会は、絵画の他に写真、建築、デザイン、現代美術などを取り上げる意欲的なものだった。絵画から、現代美術などにも興味を持つようになった今、当時の西武美術館の展示アーカイブを見ると(国立新美術館のHPで検索可能)「メディア・アート展:生活空間に発信される現代のアート」「Art Today''80 絵画の問題展:ロマンティックなものをこえて」など、いったいどのような作品が紹介されていたのか興味津々で、足を運ばなかったことが悔やまれるほどの企画展が目白押しであった。
図録を購入したのは、鑑賞した展覧会の4回に1回くらいだったろうか。僕の本棚にある「西武美術館の図録」を、中に刻まれている思い出と共に振り返ってみよう。
初めて西武美術館を訪れたのは1976年4月「エッシャー展:不可能なかたち/絵言葉の世界 」だった。 トロンプ・ルイユ「だまし絵」などとも訳される、錯覚・錯視を駆使した不思議な絵画で知られるオランダ出身の画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャーに初めて触れたのは、僕が高校生の時、マジック研究家としても知られる著述家松田道弘さんの著作、ちくま少年図書館シリーズの一冊「奇術のたのしみ」冒頭の写真であったように記憶している。松田道弘さんの著作群については稿を改める。
幼少時以来の趣味であるマジック関連からの延長として、エッシャーのトロンプ・ルイユ絵画を観るために池袋にある展示場に足を伸ばしたのであり「美術」に触れるためではなかった。興味のある分野であるので当然のように楽しんだのだが、初めて目にした「生の」エッシャーの絵は思った以上に重厚で迫力があり、白と黒のコントラストが美しく「だまし絵」とのカテゴリーには収まりきらない「芸術性」を感じた。
記事No.228で記したように「デュフィ展:フランスの抒情/色彩の音楽/生誕100年記念」は、それまでに自分が触れてこなかった世界に、ごろごろと無限に宝が転がっているような感覚を抱かせてくれて、戸惑うほどだった。映画の映像美、マジックの神秘に続いて、美の深淵に魅せられはじまったものか、恋心を抱いてしまったものであったか。
19世紀のフランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーの作品に初めて触れたのは何時何処(いつどこ)でどの絵であったろうか?かがんだ農婦たちの仕草に力強さを感じた「落ち穂拾い」だったか、子供心にも敬虔さを想起させた「晩鐘」だったか。「ミレー、コロー展:バルビゾン派とその仲間たち 」に展示されていた作品群の筆致は馴染み深いものであったが、やはり「本物」の持つ色の深みを印刷で再現する試みの限界を思った。
ミレー「羊飼いの少女」「鋤を持つ男」コロー「フォンテーヌブローの森で制作する画家」など、気に入った作品に出会えた嬉しさもあった。加えて、画家が同じモチーフを取り上げることを、山梨県立美術館所蔵の「落ち穂拾い・夏」の展示が肌で感じさせてくれた。また「落ち穂拾い」の習作とも言えるエッチングと、かの傑作油彩作品との関連など、美術を学んできたものには当然であろうことも、僕には瑞々しい輝きを放ってきた。
西武美術館をあとにして外に出ると、池袋の街は薄暮の中にあった。「上野や都心、東京にはたくさんの美術館があるな。なんとなく勝手に敷居の高さを感じていた他の美術館にも足を運んでみようかな」
何か新しい風が自分の中に吹いていた。
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