アフリカ −チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『ジャンビングモンキーヒル』 ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』−


「アフリカ」というと、「アフリカ歴訪」とか「アフリカ市場」とか、「歴訪」する、あるいは「市場」参入するのが、
50を超えるであろう国々のうちの数カ国であっても、「アフリカ」とひとくくりにされることがほとんどで、想起され
るのも「アフリカ」という単純なイメージに過ぎない様に思うが、当たり前だが、「アフリカ」人にとってそれは違う、
日本人が、中国やコリアに「アジア」というのではない「日本」とは違うそれぞれのイメージを抱き、「中国人」や「コ
リアン」の実際の風貌や言葉の響きの違いを認識するように、ということを、小説や映画で知ることことがあった。


ナイジェリア出身、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集「明日は遠すぎて」(英文原著2009年 邦訳くぼた
のぞみ2012年)収載の「ジャンピング・モンキー・ヒル」。

「アフリカ作家ワークショップ」が南アフリカのリゾートで2週間、参加8人で開かれる。始めの1週間で各自短編を
一作書き、その後合評。

「みんなでワインを飲み、笑い、からかいあった。

あなたがたケニア人って従順すぎるわよ!
きみたちナイジェリア人が攻撃的すぎるのさ!
あなたがたタンザニア人にはファッションセンスが皆無ね!
きみたちセネガル人はフランス人に洗脳されすぎ!」というやりとりがある。

参加者のひとりが「ウェイターは全員マラウィ出身みたいだけれど」とも言う。「マラウィ出身みたい」と認識している。

ワークショップの企画者は、自身を
「オックスフォードで教育を受けたアフリカニストとしてではなく、リアルなアフリカに敏感でありたいと切に思って
いる」
と称するが、参加者のある作品を評して、
「アフリカを反映してとはいえない」とし、「どうしてアフリカ的なのかね?」と訊く。
主人公であるナイジェリアの作家は、「どういうアフリカですか?」と訊き返す。
「わたしはセネガル人よ!わたしはセネガル人なの!」という声もあがる。

「ケニア」と「ナイジェリア」と「タンザニア」と「セネガル」と「マラウィ」は別々なのだ。

では、主人公は、欧米系であろう「アフリカ二スト」をどうとらえているかというと、
「六十五から九十歳のあいだのどこかだろう、顔からは年齢を確定できない」。



欧米系フランス人、フランソワ・ベゴドーが教師としての実体験を元に書いたという小説「教室へ」(原著「Entre les murs
2006年 邦訳秋山研吉2008年」))と、それを原作とする映画「Entre les murs」 (2008年ローラン・カンテ監督 同
年カンヌ映画祭パルムドール受賞) 邦題「パリ20区、ぼくらの学校」)には、
原作でも映画でも、主にサッカーの「アフリカカップ」をめぐって、「アフリカ」大陸の、「モロッコ」「マリ」「チュニ
ジア」「コートジボワール」「ベナン」、加えて、フランス領で、アフリカ系住民の多い、カリブ海の「アンティル諸島」
が、登場する。
主人公はパリの公立学校でフランス語を教える教師。日本語字幕から、生徒の年齢は14~15歳。

原作邦訳159ページで、モロッコ出身のモハメド・アリはこう言う。

皆さん、今日は特にぼくらの友人マリ人諸君へ向けて話をしたいと思います。
実に残念ですが、彼らの代表チームは昨日の試合でボロ負けしました。偉大なるモロッコ代表に四対〇という大差で敗
れたのです。まあしかしこれも仕方のないことでしょう。今はモロッコが決勝戦でぼくらの友チュニジア人を打ち負か
してくれることを、皆さんと祈るのみです。
ところが、マリ人の中には今回の敗北の後、正しくない態度をとっている人たちがいます。準決勝までは、彼らは自分
たちをアフリカの一員だと言っていました。しかし負けた途端、そうなんです、自分たちの代表が偉大なるモロッコ代
表に四対〇という大差で負けて、大会から消えた途端、彼らはなんと、アフリカなんかどうでもいい、と言い出したの
です。これはよくありませんね」・・・
「名前は挙げませんが、このクラスでもこういう態度をとっているマリ人たちがいます。彼らには、こう言いたいと思
います。潔く負けを認め、これからもアフリカの一員としてがんばりなさい、たとえ弱小チームであっても、と。ここ
で提案ですが、土曜日に行われる決勝の第一番では、マリ人諸君も一緒に偉大なるモロッコ代表を応援してはどうでし
ょう。決戦相手はぼくらの友チュニジア人です」


これは、映画での、モロッコ出身、ナシムの台詞に当るだろう。日本語字幕では、

もうすぐ、アフリカカップです。僕にとって最高のモロッコ代表が出場を決めました。
でも、マリ代表は出場できません。残念なことです。実力が伴わなかったのです。
対マリ戦で、手を抜いてもよかったけど、4対0で大差でした。昨日の試合でモロッコが4対0で勝ちました。
マリの出場がダメになった途端、クラスのアフリカ人が大会を無視する。大会前は騒いでいたのに、出場できないから
と急に冷めるのはヘンだ」

これを受け、教師は

「マリのアフリカカップへの出場に関係なくアフリカ人として応援すべきだと・・・ありがとう。スレイマンに向けた
意見のようだな」

マリ出身のスレイマンは、「モロッコ人のたわ言だ」

ブバカールという黒人男子は、このやりとりの口火を切った、モロッコ出身の生徒に言う。

「ナシムに反論します。マリがアフリカカップに出ないから黒人が応援するチームがない?コートジボワールが出ます。
ドログバ選手に比べたらモロッコは二流、彼はチェルシー所属。英国で活躍するモロッコ選手は一人もいない。それだ
けです」


彼らにとって、アフリカには、アラブ系の「モロッコ」や「チュニジア」があり、「黒人」の「マリ」や「コートジボワ
ール」があるのは、当たり前のことだが、日本人にとってはどうだろうか。


大西洋という「境界」もある。

映画では、仏領西インド、アンティル出身の黒人カルルの台詞に。教室で。

「アフリカカップの話はウンザリ。休み時間もその話題ばかりして。まだ始まってもいないのに」

それに続くやりとり

「カルル、ひと言いい?中断して悪いけど、お前が応援する国は?」
「フランス」

「アンティル諸島の出身だろ?」
「でもフランス人。フランス領」

「じゃカリブ出身だなんて言うな」
「同じだろ」

「アンリもヴィクトールもフランスの選手だ」
「ディラは?」

「兄弟、マリ代表は無理だ」
「そんな口、きくんじゃねえ。おまえみたいなサルが、“兄弟”なんて百年早い」


休み時間に、カルルがサッカーボールのシュートを決めた中庭も、大西洋に喩えることができなくもない。

「見たかアフリカ野郎」
「カリブのクズめ」


祖先は「アフリカ」出身の「アフリカ野郎」であろうけれど、「アフリカ」には応援すべき国がない。祖先はどこから?
「マリ」なのか「コートジボワール」なのか。母方と父方は?母方の父方、母方の母方は?・・・場所が分かったとし
て、その記憶や記録の中に、既にフランスの引いた国境はあるのか?


原作邦訳p61にはこんなところもある。

「いわゆる被害者主義というものについて説明していたところ、モハメド=アリが、

アラブ人はいつも不平ばかりこぼしているが実は他の人々に負けず劣らず人種差別をしている。
しかしもっとひどいのはマルティニック(訳注:カリブ海のフランス領)の出身者で、自分たちはアラブ人よりもフラン
スになじんでいると思っている、

と言い出し、フェザが、

マルティニック出身者はマリ人よりフランスになじんでいると思っているようだが、でたらめもいいところだ、

と付け加えた」


「アフリカ」の中の差異を、ヨーロッパ系と思われる教師たちはどう認識しているだろうか。
原作邦訳p149~150。教員の部屋での会話。
「さっぱりわかんない」のは、「大勢でやるスポーツ」だと言っている者がいるが、彼女が「さっぱりわかんない」のは、
「スポーツ」ではなく、他のことではないだろうか。

「ダニエルはあきれていた。

「あんた今日の生徒たち気が立ってると思わないの?」
「いつもと変わんないんじゃない」
「週末だってこんなもんだよ」・・・
「いいえ、やっぱり今日は何か妙な空気があるわ、本当よ」・・・
「ああそれだ、さっき話してるのが聞こえたよ、マリとどっかの試合があるって」・・・
「マリ対セネガル、アフリカネイションズカップの準々決勝だ。今日はチュニジアで開催されている。開催は二年ごと。
前回はカメルーンが優勝した」・・・

「そうなの、でもそれと生徒たちの騒ぎと何の関係があるの?」・・・

「アフリカのサッカーがある日は休みにすべきだな。そうなれば生徒も教師も満足なのに」・・・
「あるいは教室で試合の放送を流してそれに添った授業を組み立てるとか」・・・

「私はスポーツがさっぱりわかんないわ。特に大勢でやるスポーツがね。息子が私にラグビーの説明をしてくれようと
したけど、無駄だったわ」


原作邦訳p253~p255に、生徒たちの教師に対する批判。

「校庭で三年の女子生徒の一団がラシェルを取り囲んでいた。

「はっきり言って納得いかないんですけど、先生」
「納得できませんよ、先生。はっきり言って」
「先生はっきり言って納得できません」

(場面、教員の部屋に移る)
ラシェルは私に目で訴えてきた。
もうお手上げよ。今朝の授業で私は彼女たちに、この学校で学んだ記念にみんなでこの塀に何か書きましょう、って言
ったんだけど、そしたら困ったことに半分くらいの生徒が自分の出身国の名前を書いたのよ。仕方ないから私は次の時
間六年生に頼んでそれを消してもらったんだけど、そうしたらこの騒ぎ。もう第三次世界大戦よ。

(再び校庭へ)
「はっきり言って勝手すぎますよ、先生」
「勝手すぎますよ、先生。はっきり言って」
「先生はっきり言って勝手過ぎます」

塀には色とりどりの手形が二十人分ほど、互いに少しずつ重なり合っていた。そのあちこちに名前やちょっとしたイラ
スト、特定の者にしかわからない暗号、そして確かに何かを消すようにべたべたとペンキが塗られたところがあった。
ラシェルはそれを正当化するのに苦慮していた。

「公立学校では特定の国の名前を書いてはいけないの、それだけよ」

スマーヤが一人離れたところから激しい批難を浴びせていた。

「はいはい、そうですか。ほんとうはフランスって書いて欲しいんですよね。
でも私たちはチュニジアがいいからチュニジアって書きます。
先生はみんなを自分と同じようにさせたいみたいですけど、そんなのよくないと思います」・・・

「はっきり言って先生、マリとセネガルを六年生の生徒たちに消させるなんて納得できません。
それを消すってことはそれを書いた生徒を消すのと同じことですよ。私は納得できません」・・・

「私はやる前にあなたたちに言ったでしょ。国名はだめっだって・・・」



アフリカ・・・。

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