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楽曲「正信偈賛歌」をA I を活用し、作詞・作曲致しました!                 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー              

      (A I を使用しての第二作目です) 

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はじめに


何故、

「仏教にもっと音楽を!」

なのか?


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

その狙いは、日本の仏教音楽が、アジアの中国語圏(註1)での「仏教ポップス」のように、私たちの普通の生活の中に仏教音楽が日常的に聴かれるような日本社会になってゆく事であります。

それによって、仏教も葬式仏教と揶揄されるような偏見がなくなり、人々の日常に仏教音楽が浸透し、日常の中に仏教的歌心も信心も深まりかつ広まるような穏やかな日本社会が生まれ来ることを期待しています。

更には、欧米のキリスト教の国々では、昔からバッハを例にとるまでもなく色々な作曲家がキリスト教音楽を作成して参りました。その結果、今ではごく普通のコンサートでも、キリスト教関係の音楽を演奏することが多いようです。そのような音楽動画では、しばしば聴きながらまぶたに涙を浮かべたり、ハンケチで拭ったりしているお客さんが映し出されています。

これは長い間の歴史的実績の表れだろうと思います。宗教に音楽が必然のように存在し、人々の信仰の中に根付いてきた証左であろうと思われます。そこでは、音楽と宗教とが両輪となって進展してきた歴史的積み重ねがあり、人々の信仰もその両輪の上に築かれてきた事が分かります。

一方我が国では、「宇治平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)から苦難の現在世界への提言」でも触れましたが。
https://editor.note.com/notes/ndae7ecd8063e/edit/ )、、約千年前の平安時代の前期頃に既に「仏教と音楽」とが密接につながっていた事が判明しております。
つまり、藤原頼通(ふじわらのよりみち)によって建立(1052年に)された宇治平等院には、その時代の宗教と音楽との密接な関係を示す証左があるのです。
平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)には、極楽浄土を人々に目に見える形で示すための工夫が施されていたのです。
そこには、「阿弥陀如来像」を中心にして数多くの「雲中供養菩薩さまが色々な楽器を演奏し舞を舞ったり」されているお姿があったのです。
それが当時の人々が夢見る極楽浄土の姿でもあったのです。

このことは、当時から多数の楽器を利用してみんなで音楽を演奏するという事が行われていたことが垣間見られました。
これは今で言う、オーケストラに当たります。約千年前に既にこのような事が行われ人々を魅了していたことなのでしょう。

しかし、今では仏教界では音楽とのそのような密接な関係はほぼ存在しなくなって久しいようです。

このような歴史をもつ我が国の仏教界でも、音楽をもう一度よみがえらせて日常的に信心を深め・広めることは決して意味のなぃことではありません。

このような事から、「仏教にもっと音楽を!」と考えているわけであります。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・




今回は、仏教でよく取り上げられている「ご文章」を音楽にして、それを皆様に聴いて頂けたら仏教へのより深い理解につなげられるのでは、と考えてみました。


今回の楽曲化のテーマは、親鸞聖人が約800年以上前にお創りになられた、

  「正信偈」

でございます。

これは、釈迦の経典、インド、中国、日本の高僧方の解釈をもとに、親鸞聖人が作成されたものであります。

それを漢語でわずか7文字×120行の表現に圧縮された、「偈(うた)=歌」の形式で記されています。

「正信偈」とは、「正しい信心のうた(偈)」という意味です。

内容的には親鸞聖人のご自身の生きる意味の告白でもあり、私たちが親鸞聖人と同じように本当の幸せになれる仏教の真髄が記されているものと言われています。

 

また以下の正信偈の文節

  1.「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
  2.「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」、
  3.「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取して」、
  4.「本願名号正定業 必至滅度願成就」、
  5. 「十方衆生皆蒙舎護」、
  6.「衆生聞信歓喜躍 即往還入大涅槃」)

等に見られるように、これは現在の仏教賛歌とも言える内容でもあります。


そこで、今回の作品では、

「正信偈賛歌」

と名付けました。 



1.概要:::


今を生きる私たちはいずれは、みんな死んで行くのです、みんな一人で死んで行くのです。

死ねばこの世にある何もかもを、みんな置いて行かねばならないのです。


何も持っては逝けないのです・・・
お金も財産も名誉も、愛も喜びも、
悲しみも憎しみも・・・
血の滲むような苦労も、痛みも、
更には悶絶するような苦しみや、絶望をも

一方、私たちは今まではみんな、そのような全てを背負って生きて来たのです。

そして今もその全てを背負って生き続けているのです。


しかし私たちには、

残される人々・懐かしい家族・友人・・・家、郷土、、、
あるいは、自分で創り上げて来た物や
数多くのいろいろな「縁」がそのままあり続けているのです。


それだけが残るのです。


そして残された愛する人々等が、幸せになることをひたすら願って祈るだけなのです。

その祈りも、ずっと残され続けて行くのです。

このようにして私たち人間は、これまでの長い長い年月を繰り返し、繰り返し、生まれ・生き続けてきたのです。


残された人々には、新たな思いをもっての人生が始まるのです。


その方々にとっても、自らの「正信偈」が必要になって来るのだろうと思います。

このような人生の繰り返しは、人類誕生からずっと長く、延々と続けられて来たのです。

私たちは今を生きて、今を生き切り、

次の世代につなげ、


更に次の世代が、より幸せに生きられるように祈りつつ死んで行くのです。




2.作詞と作曲について:::


親鸞聖人の「正信偈」は漢語の7文字から成る文節を120文連ねた短い文章ですが、その中には奥深い真理が詰め込まれた貴重なご文章でもあります。

現代の普通の人間である、私たちにとっては、その漢語の内容はほとんど理解出来ないのです。

今回、色々な解説書・文献などを活用して現代に適合した新しい「正信偈」として理解しやすい形で作成致しました。

また内容的にも、私たちの「死」の重要性だけではなく私たちが生きる事、幸せに生きる事、私たちが生きる世界、の大切さを中心に捉えた詩を重視致しております。

このような視点からの新しい現代的なうた(偈=歌)としての作成を試みました。
その作成には、構想から初めて約五ヶ月以上の時間がかかりましたが、ここに漸く完成させることが出来ました。

全体的な楽曲作成には、
A I 技術を活用しての、作詞や作曲を心がけました。 私の創作楽曲としては、A I を活用しての第2弾となりましたが、
その実態は、試行錯誤の連続でもありました。


作曲については、基本的には西洋音楽の書法によるものとし、現代人に分かり易く親しみやすい楽曲を目指しました。

これまでの作成作業に当たり、いろいろな励ましやご支援を頂きました皆様に心からの感謝を申しあげたいと思います。


更にこの「正信偈賛歌」が皆様の心に届き、

信心をインスパイアーして、
仏教がより身近なものになりますよう、

心から祈っています。



3.    「正信偈賛歌」  歌詞


1. 序章(迷い)

彷徨い歩く    
暗闇の中 

道を失い    
心は揺れる

「(私には) 救いも何も  全く見えず」
孤独な心       
涙にまみれ

叫んでいても  
届かぬ祈り

ひとりさみしく 
虚しさ募る

信じるものも  
失くしてしまい

心の奥が   
凍(い)てついてきた  




2. 出会い(光を見つける)

凍(い)てつく心    
暖かくなり
 
そのとき  
出現(あらわ)れてきた 

きみょう むりょう  じゅうにょう らい
の響き      

光が満ちて
包まれてきた    

重い闇をも 
溶かしはじめた    

あーみーださま
涙を拭い      

もう一度だけ 信じてみよう  
と、
思い直しました

この苦しみを  
乗り越えるため




3. 再生(真理への目覚め

凍(い)てつく心 
暖かくなり 

涙が流れて   
苦しみ消える 

あなたの言葉、    
「ただただ信じ  ゆだねなさい」、


意味も分からず 
叫んでみたが    

その瞬間に
光が降(お)りた
     
心が震え 
涙もあふれ  

歓喜に泣いた 

愛されている  

気がついたから、、、   



4. クライマックス(新たな歩み)

今では分かる    
「全ての者を  救いとる」

との 
あなたの願い

きみょう むりょう 
じゅうにょうらい 

なむふかしぎこう        

光を信じ 
光と共に 

生きるぞ! 強く! 強く!

あみーだーさま   
あなたに抱かれ 

歩み続ける 
光の道を 

苦しい日々も  
恐れはしない

あーーーあーーーあーーあーーあーー




最後に

最後に、
これまでは私一人で、「仏教にもっと音楽を!」と活動して参りましたが、このような活動は、やはり一人では限界がある事をひしひしと感じることが多くなって参りました。

そこでA I を使用しての音楽作りが可能になりつつある現状から、更に多くの音楽家の方々と協力しつつ・競いつつこの仏教(宗教)音楽の世界を広げてゆく事の必要性・有用性を認識し始めました。

極めてニッチな「Religious」と言われるジャンルであるかも知れませんが、人間の信仰という哲学的かつ生存の根本的理由について究極まで極めて行ける奥深いジャンルでもあります。

音楽を志していらっしゃるみなさまの中で、この分野にご興味をお持ちになられた方がいらっしゃるならば、是非この分野に参入くださいますよう心から期待致しております。

日本ではこの「Religious」分野がメディアの表に現れてくることは殆どありませんが、西洋だけではなく、アジアの中国語圏では、大きなジャンルとして確立していることは、多くの方々が認めていらっしゃるところでございます。

みなさまが参入されて、そのお力で日本でもこの新しい分野を盛り上げてくださいますようご活躍を期待しています。
日本でも仏教音楽が一大ジャンルになる事をめざして、一緒に努力して参りましょう!!!






(註1):::白井千彰さまのご投稿
 
①     お経は、暗くて、つまらないか? 仏教ポップスへのいざない
             
https://note.com/kind_clover193/n/n64d8b238a5e5 
②     お経は暗くてつまらないか 仏教ポップスへのいざない2: 「三帰依」4
              選
               
https://note.com/kind_clover193/n/n58e91eca4c26 
③  「三帰依」(パーリ語)5選 お経は暗くてつまらないか 仏教ポップスへ
              のいざない3
               
https://note.com/kind_clover193/n/n6deaacad561d 
④仏教と芸能の香港 ジャッキー・チェンも歌う『般若心経』。 お経は暗く
               てつまらないか? 仏教ポップスへの いざない 4
             
https://note.com/kind_clover193/n/na11051660077 

をご参照ください






          

         完 



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佐野美知夫
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