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「仏教にもっと音楽を!」(Ⅶ)

 その「#かなえたい夢」とは?(まとめ)







1.はじめに


1.1「仏教にもっと音楽を!」と叫ぶ
   
   私の個人的体験記



A. 田舎町にて

私は、富山県の南砺市井波と言う門前町に生まれ、育ちました。

町には割合大きな井波別院 瑞泉寺と言うお寺が有り、その周りにも大小様々なお寺さんがありました。
井波は、いわば門前町と言われる田舎町でもありました。

そして私が生まれた頃は大変、信仰が盛んな土地柄でもありました。

土地のお年寄りの人びとは、何か作業しながらでも、ことあるごとに、
「南無阿弥陀仏(なまんだぶつ)、
 南無阿弥陀仏(なまんだぶつ)」、

と口ずさんでおられました。

子供の私にとっては、そのような事はごく普通の当たり前の日常でもありました。

そしてそのような時に感じていた事をもう少し詳しく、振りかえってみたいと思います:::

子供の私にとっては、

このような世界は、
安穏で安らかな環境・社会であり、
子供心にも、信用できる社会でもある、

と強く感じていました。

そしてまたその他にも、お寺では、井波別院 瑞泉寺太子伝会(たいしでんえ)や宗祖親鸞聖人報恩講等など、また今は行なわれていないかもしれませんが、仏教の開祖・お釈迦様の誕生を祝う花祭りなど等が執り行われておりました。

B. 東京にて

田舎から東京へと行く事になりました:::

田舎の高校から東京の大学へ進むことになり、東京にある私の義兄・姉夫婦の家から学校へ通うことになりました。

東京は井波とは全く文化が違う、異文化の国に来たような気にさせられました。

家にはガスや水道があり、近所の方々とはあまり密な関係はなく、迷惑さえ掛けなければ自分の生活での自由度が高く、お隣がどのような方々かも知らないまま生活していても何ら問題も無く不便もありませんでした。

学生の私にとっては、最高の生活環境に恵まれての生活は全てが満足な状態でした。

そんなある日、確か12月の寒い日の夜に部屋で私が勉強している時の事でした。

外の方で複数の人びとのざわざわとした物音が聞こえてきました。

私が住んでいた所は、静かな住宅街で、その中でも車が通る道から更にもう少し入ったとても静かな場所でした。

こんな夜中に何だろうと思いながらも、無視していましたが、その内、何か人びとが歌い始めたのではないかと思われる音声が聞こえて参りました。

こんな夜中に歌うなんて, と思いながらも無視していましたが、やはり不審感が強まってきました。

そこで窓を少し開けて外を覗いてみました。

よく見ると、人びとは向かいの家の玄関前の少し広い場所に、手には何か灯り(ローソク)を持って立ちながら歌っておられるようでした。

そしてさらによく見ると、何とそこには7,8人ほどの男女の姿が薄暗い中に浮かんで見えました。

こんなにも多くの人が居たのかと思い、驚きながら何を歌っているのかともう少し窓を拡げて聴き入りました。

それは、私が今まで聴いた事もない知らない歌でありました。
ただ、男女の方々の歌声は意外にハーモニーが見事で、しばし聴き入っていたように思います。

その歌が終わったので、それで終わりかと見守っていると、再び歌う合図と共に別の歌を歌い始められました。

その歌はどこかで聴いた様な曲で、歌い進むにつれて私もそれが賛美歌であることに気がつきました。

その題名も知らないのに、賛美歌であることだけは分かりました。
以前にどこかのラジオ番組で聴いた事がある、記憶に残るメロディの素敵な賛美歌だったからであります。

このようにして、私もその美しい歌に聴き惚れたように没入してしまい、次々と歌われる曲に期待してしまっていました。

知らない曲も有りましたが、どこかで聴いたように思えた合唱曲を、生で聴いている事にとても興奮し満足し幸せな気分になっていました。

東京ではこんなにも歌で幸せになれる事があるのだと思い、その夜はなかなか眠れませんでした。

考えて見れば、田舎では味わったことのないおしゃれな、東京ならではの経験をしたことにも興奮していたようでした。

それも見ず知らずの人びとの合唱をこっそりと聴いていただけなのに、その人達の合唱に心温まるような思いをするなんて、と田舎では感じた事も無いような不思議な体験をしたものだと思いながらやがて眠りに墜ちていったことを思い出します。

今になって考えて見れば、音楽の力はすごいなぁとただただ驚いていたようにも思われます。

しかもこの合唱では、多分歌っている方々の間には、一緒に歌うという行為によってある種の絆が生まれているかのように見受けられました。

その絆は、部外者である私を排除すること無く、むしろ私がその絆の中に取り込まれるかのような感情すら湧き上がるのを感じていました。

絆で結ばれた方々が個人の家の前で歌うという行為がなんと素晴しいことだろうと強く思いました。
きっと向かいの家の住人の方とも何らかの絆で結ばれているのだろうと、想像していました。

これまでの短い人生の中で聴いた事の無いキリスト教の賛美歌を、このように目の前で聴いたことが信じられないくらいの大きな驚きを私に与えていました。

そしてそれを窓からそっと立ち聴きのように聴いていた自分も、いつしかその絆に引き込まれるかのように楽しんでいたことにも改めて驚いてしまいました。

きっと音楽には人びとを結びつけ沢山の人の心を惹きつける何かが潜んでいるのではないかとも思うようになりました。

それが、

「仏教にもっと音楽を!」

と言う文章を投稿させて頂いた大きな動機の一つでもありました。



次に簡単に、私の音楽創作との関わりについて、説明させて頂きたいと思います。


1.2 楽曲創りの経緯について


私は、私が70代半ばを超えた2017年に蓮如上人の御文章に作曲した「蓮如想3月14日」(註1)を発表し、同年に上記「蓮如想」の英語版「Rennyo-sou」(註2)を発表致しました。
更に2018年には、「合唱曲AMIDA」(註3)発表致しました。
ここまでは、歌の入っていないいわゆるインスツルメンタル楽曲でした。



(A)初めての歌入れ作業と米国合唱団様への深い感謝

歌の入っている曲は、翌年の2019年に入ってから漸く、
米国合唱団様が日本語で歌ってくださった
「AMIDA By The First Readings Project – J.David Moore, conductor」(註4)を発表することが出来ました。

私はそれまで楽曲は創ってもその歌入れにおいては、完全に無力でした。
無名の作曲家の歌を歌ってくださる人・合唱団さまが全く見つからなかったからでございます。

何度も無視されたり、断られたりしている内に、自分の無謀さをも感じはじめていました。
音楽作りの現実を身をもって味わされた数年間でございました。

しかし、捨てる神があれば拾う神もあると言うことが理解出来るようなことがありました。

断られ続けて来た歌入れ作業に手を差し伸べてくださったのは、米国のキリスト教会で歌っておられた合唱団様でした。
やっと歌って頂ける、とのことで当時驚喜したことを思い出します。

しかしそれも直ぐに、否定されるかのごとく、「日本語が分からないから、英語の歌詞を送れ」とのことでした。

私としては英語の歌詞はいつかは考えたい、とは思っていましたが、その時私の頭を占めていたのは、日本語での歌唱を発表したいとの思いだけでしたので、「どのようにすれば日本語で歌うことが出来るか?」と質問するばかりでした。
その時は、日本人が教会の合唱団様に日本語指導するとか、日本語をカタカナ表現して歌って頂くとか、、、色々考えましたが結局実際的な方法論は生み出せませんでした。
その内、米国合唱団様から日本語の発音を米国人が分かる発音記号で表現してくれれば歌えるだろうというお話しが伝わって参りました。

これまで、「発音記号」についてあまり考えたこともなかったので色々調査を試みました。
しばらくして英語の指導をなさっている、
英語びより(https://ipa-mania.com/ )様を知ってから発音の詳しい内容を勉強するようになりました。

結果的には、IPA(International Phonetic Alphabet)表現ならば行けそうだということになりました。

英語びより様のご協力を得て、何とか日本語をIPA表現に変換することが出来ました。

このような経緯を経て、歌詞をIPA表現した楽譜を米国に送りました。
間もなく、この楽曲の日本語による演奏(合唱)が米国で行われました。

そしてその結果は?
「日本人が歌った」、と言われても通用するレベル の完全な日本語の歌に到達していると思いました。

通常、外国の方が日本語で歌うと、その方の母国語ナマリが出ることが多いのですが、今回はそれが全く現われず完璧な日本語、日本人が歌った日本語の域に達していたことには大変愕きました。

そしてそれ以上に素晴らしいことは、合唱団の皆さまがこの曲の内容を理解されて情感溢れる曲に仕上げられたことでございました。
このことには、特に深い敬意を表したいと思いました。

同時に、このようなIPAを通じて音楽が簡単に国境の壁を乗り越え、言葉の壁をも乗り越えることが出来ることを知り、不思議なくらい地球の狭さを感じてしまいました。

それにもましてもう一つ、私が特に感謝申しあげなければならない重要な事柄がございました。

それは、米国合唱団様がもともとはキリスト教会専属でご活動なさっていたのに、このような仏教に関する楽曲を歌って下さり、単なる私の助けの神様ではなく、それ以上の大きな大きな神様のような寛大な対応をして下さったことであります。
皆様、有り難うございます。有り難うございます。心からの感謝を申しあげます。
  合掌

そしてこの曲は2019年3月に発表することが出来ました。


(B)更に楽曲創りへ

そして、2020年10月には 私が作詞・作曲した「久遠の命」(註5) を発表致しました。

その後、一時コロナ問題などで、合唱団様が休業状態になり、歌入れも止まりましたが、コロナが収まり初めてからは「蓮如想」(註6)を日本語で歌って頂きました。

また米国合唱団様が、AMIDA賛歌の曲に英語の詩を付けて下さり、米国で演奏(合唱)をしてくださいました。
「AMIDA賛歌(英語歌詞) フロム USA ~ Amitabha, who is in the infinite universe ~」(註7)

更には「合唱曲 久遠の命」(註8)も初めて日本の歌手の方々のご協力のお陰で歌入れして下さり発表することが出来ました。
 
「AMIDA」についてもルハ様(註9)が歌入れして下さいまして、公開させて頂き漸く楽曲創りも何とか回り始めてきて、新たな挑戦へと心が動き始めました。

 

(C )  A I を使用しての楽曲創り

そこで、私はA I を使用しての楽曲創りに新たに取り組み初めました。
A I を使用しての楽曲創りで私の作業で一番変化したことは、歌入れ作業の大変さを回避できたことでございます。

ただA I を使用しての楽曲作り自体は必ずしも簡単ではなく、自分の頭で取り組んでいた頃よりも遙かに時間が掛かることが分かりました。

今までA Iを使用して、 二曲創りました。
賛歌 観音(観世音菩薩)さまの 深い愛 ~(般若心経より)~
   (副題):AIは人間を感動させることが出来るか???
(註10)
正信偈賛歌(註11)
でございます。

ここ数年での楽曲創りでは、私の側でも大きな変化が生じて参りました。

つまりここ数年を経過して、ただ音楽を創ると言うことではなく、
「仏教にもっと音楽を!」との明確な目標が生まれて来たことでございます。


2.「仏教にもっと音楽を!」


これまでの音楽と宗教との繋がりから多くのことを学び、宗教と音楽との密接な関係こそが重要であるとの認識を再確認した事でございます。

つまり、

2.1 キリスト教音楽

がキリスト教と共に人々の信仰に大きな力を及ぼしてきたことに見習って、仏教でも音楽との両輪で進んで行く事が、私たちの信心・信仰の深さや広まりに必要であると考えたのでございます。

例えば、西洋でのキリスト教と音楽との繋がりは中世以降、バッハなどの活躍を見るまでもなく非常に密接で双方が車の両輪の如く、お互い切磋琢磨しながら両者の相乗効果も相まって一大発展を遂げたと見られています。
それがひいては人びとの心の安寧・平和に大きな貢献をしてきたものとみられています。

現在でも、例えば、アンドレ・リュウやマエストロ&ヨーロピアン・ポップ・オーケストラ等々のコンサートでは、宗教的音楽の演奏時には、しばしば目頭を押さえる人々や涙を拭う聴衆の映像が流れます。
これこそが人びとの宗教的心と音楽的心とが重ね合わされての、自然な気持ちの発露なのだろうと思います。


一方、

2.2 アジアの中国語圏

では、仏教音楽が例えば仏教ポップス等として日常的に聴かれ歌われている現実があります(註12)。これは仏教のお経などの多くが中国語(漢語)で記述されていることと深く関係しているようでございます。

これは私たち日本人とは違い、現地の方々は日常の言葉が仏教の言葉と同じ事から、意味がより身近に感じられるからでありましよう。
中国語で書かれたお経そのものが音楽化されて一般に広まっていることは素晴らしい現実であると理解するに到りました。

仏教ポップスの歌い手は僧職にある人たちではなく、一般の人々で日本で言えば紅白歌合戦に出るプロの大物歌手の方々であります。
つまり、一般の人々が欲するモノを一般のプロの人々が歌い・提供し、その日常に用いられていることこそが、仏教の日常化の第一歩でもあるように思われるのです。

そして仏教が人々の日常生活の中に溶け込んでいる様は、キリスト教と同じく、信仰が日常生活の中に生きていることの証左であろうと思われます。


このように宗教がより身近に、日常的にあると言うことはとても大切な事だろうと思われるのです。


2.3  一方、日本では

現在の日本の仏教が、葬式仏教と揶揄される現況は必ずしも好ましいこととは思われません。

日本でも、もっと日常的に仏教が存在していることが大切ではないかと感じています。


このような考えからすると、
いつでも仏教の考えが人生に(人生の全ての段階に)寄り添うように支援できていることこそ、親鸞聖人や蓮如上人が描いておられた仏教観だったのではないかと思われます。

さらに、深く歴史をひもといて行けばその昔、藤原頼通が1052年に宇治に平等院を建立(道長の別荘を改修)し、その中に鳳凰堂(阿弥陀堂)を設けたことに行き着きます。

藤原頼通は、末法思想が始まると言われていた1052年に人々に、極楽浄土を目で見える形で示したのです。
それが鳳凰堂でした。
本稿の冒頭に示した写真は、その鳳凰堂の内部を示しています。(写真提供:宇治平等院様)

その中央には、阿弥陀如来像がいらっしゃってその周りには、色々な楽器を奏でている雲中供養菩薩様が沢山いらっしゃって、さながら現代のオーケストラのような構成になっていたのです。
日本初のオーケストラでもありましよう、あるいは世界初かも知れません。

このように今から約千年前には既にこのような仏教と音楽の密接な関係が見て取れる証左があるのです。

そしてそれらが示す世界こそが当時の「極楽浄土の姿」であったのだろうと思われるのです。

その極楽浄土は、今はどこで見ることが出来るのでしようか?

そして仏教が求めていた音楽はどこに行ってしまったのでしようか?

勿論、現在でも声明やご詠歌、雅楽、等々が聴かれることはあるもののそれらは極めて希なことであり、多くの人々から求められている、とは言い切れない頻度でしかありません。
またこのような音楽が、現代の西洋音楽全盛の時代では、日本古来の音階との違いなどの問題があるとしても、人々の心に響くことも少ない極めて例外的な存在に陥っていることは残念でなりません。

人々が求めている音楽の中にこそ、仏教音楽が存在しなければなりません。

3.このことが、「私がかなえたい夢」であるのです。


つまり私たちが仏教音楽を通して、仏教と日常

的にふれあい、その深い考えをいつでも口づさ

めるような環境にすることが、私たちの心の平

和と心の安寧にどんなに力になってくれるかを

身をもって感じて見たいものでございます。



        

        完 





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(註1)「蓮如想3月14日
    https://www.youtube.com/watch?v=djCbkuJkLqc  

(註2)上記「蓮如想」の英語版「Rennyo-sou」
    
https://www.youtube.com/watch?v=LrBcCFhYyMU  


(註3)「合唱曲AMIDA」
    https://www.youtube.com/watch?v=h7A5CJ5ntQo  

(註4)「AMIDA By The First Readings Project – J.David Moore,
    conductor」

    日米合作の最初の第一弾 日本語版「AMIDA」:米国において日本
    語で演奏・合唱して下さったものです
    
https://www.youtube.com/watch?v=PDcicS4Hxn4  

(註5)「久遠の命」インスツルメンタル
    https://www.youtube.com/watch?v=Mnj1MdYa87U  

(註6)「蓮如想」日本語歌唱 
    https://www.youtube.com/watch?v=x5n4e1bhEpw  

(註7)「AMIDA賛歌(英語歌詞) フロム USA ~ Amitabha, who is in the
    infinite universe ~

    https://www.youtube.com/watch?v=gPv4Ps5_W_Y   

(註8)「合唱曲 久遠の命」
    https://www.youtube.com/watch?v=HzhV06-rS_Y 

(註9)AMIDA by ruha(るは)
    https://www.youtube.com/watch?v=PXhKy6fNhgI 

(註10)賛歌 観音(観世音菩薩)さまの 深い愛 ~(般若心経より)~
   (副題):AIは人間を感動させることが出来るか???

     https://www.youtube.com/watch?v=JEeNK76ujP8  

(註11)正信偈賛歌
    https://www.youtube.com/watch?v=E4u26ct1UL0  

(註12)白井千彰さまによると、
南方中国人世界(台湾、シンガポール、マレーシア等)の国々で発達していて、我が国にほとんどないのは、佛教[仏教]ポップスの音楽の世界であるとのことです。
ここでは、仏教の言葉が中国語でもある事から、仏教の中国語がそのまま楽曲の歌詞として活用できる利点が生かされているようです。
曲調も音楽ジャンル的には、ポップス、演歌、童謡等とさまざまです。ただ、その内容が仏教をベースにしていることが特徴と言えます。

本件については、その他に白井千章さまによる沢山の紹介文があります。
そのいくつかを挙げておきます。
https://note.com/kind_clover193/n/n64d8b238a5e5  
https://note.com/kind_clover193/n/n58e91eca4c26  
https://note.com/kind_clover193/n/n6deaacad561d  
https://note.com/kind_clover193/n/na11051660077  

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佐野美知夫
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