白髪染めをやめたら 大切なことを学べた
コンプレックスありますか?
こう聞かれたら、どう思うだろうか?きっと、「ないです!」と即答できる人は少ないはず。あのファビュラスな叶姉妹にだって、コンプレックスがあるのだから。
僕のコンプレックスは、白髪が多いことだった。大学生になってから定期的に白髪染めをするようになった。
でも、ある時白髪染めをやめた。というか、やめざるを得なかった。
何故かって?オーストラリアに行ったら、白髪染めって英語で何て言うか分からないので買えなかったからだ。
こんなはずじゃなかったのだが、そこから僕のwith白髪人生が始まった。
でも、そのおかげで僕の人生は楽しくなった。
ナイス、ハイライト
朝、鏡を見て「白髪多いなぁ」と憂鬱な気分になる。そんな時はブチッと一本抜く。すると、他の白髪も気になりだす。こんな毎日を送っていた。
そんなある時、いつものように出勤するため、自宅マンションのエレベーターに乗った。すると、南米出身っぽいオッサンと乗り合わせた。
肌はちょっと黒めだが、小太りで髭がフサフサのマリオみたいな男だ。(以下、マリオという)
軽く挨拶を交わした後、マリオは僕の髪を見てこう言った。
「イッツ、ナイス、ハイライトォ!
(そのメッシュ、ナイスやん)」
・・・
メッシュちゃうわ!と言いたくなったが、ナイス!と褒めてくれているので、一応センキュー!とその場を後にした。
しかし、その後ふと思った。
今まで自分の白髪に、一度でもナイスと感じたことがあるだろうか。
僕は、日本人=黒髪で、"若白髪=恥ずかしい"と考えていた。要は、白髪という自分の存在の一部を許していなかったのだ。
マリオの言葉を考えれば考えるほど、白髪を恥ずかしいと思うこと自体が恥ずかしくなった。
同じものでも感じ方は人それぞれ
僕にとって白髪は消し去りたいコンプレックスだったが、マリオにとってはナイスなメッシュ。
このように、対象が同じでも、自分の中の評価と他人の評価はまるで違う。自分の中では超大きな問題でも、他人から見ればちっぽけなことなんてよくある。
要は、捉え方は人それぞれだから、気にする必要なんて無かったのだ。
マリオのおかげで、人からどう見られるかより、自分がどうありたいかを優先できるようになった。
例えば、、
・流行り関係なく、好きなアロハシャツを着る
・英語の発音のヘタさより、伝える事に集中する
・会社員だけでなく、フリーランスでも働く
・スキやビュー目的より、書きたいnoteを書く
・自分の子を、他の子と比較しない …など。
これは単なる髪の話ではなく、自分を見つめ直す素晴らしい機会だった。
コンプレックスは「未完の美」
僕の小学校の校外学習は日光東照宮だった。日光東照宮の陽明門には柱が12本あるが、逆さまに建てられた柱が1本だけあるのをご存じだろうか。
これは、ミスったわけではなく、逆柱というものをあえて用いて、完璧な建物を完成させないことで、未完成であることを重視しているらしい。
きっと、日本に古くからある「未完の美」という独特の感性によるものだろう。
誰にだってコンプレックスがある。しかし、コンプレックスがあるからこそ、価値があるものが世の中にはたくさんあるのだ。
漫画BASARAには、こんなセリフがある。
未完成だからこそ、そこになんとも言えない良さがある。完璧ではないからこそ、より一層美しく見える。
海外にいると、日本は電車の時間やサービスの質など、全てが弱点がなく完璧なレベルだと感じる。しかし、それが当たり前となり、苦しんでいる人が多い。
完璧な子育て、完璧な見た目、完璧な履歴書、完璧なnoteの文章。日本人はついつい、完璧を追い求めてしまう。
しかし、完璧であるとはある意味、ありのままの自分を否定する行為だ。
僕は、「白髪というコンプレックス」を否定しないことで、自分自身をより深く受け入れることができた。完璧ではない部分こそ、個性となり、その人の人間らしさが光ると知ったからだ。
何事にも、隙があっていい。
「Take it easy」でいい。
マリオのおかげで、そう学ぶことができた。
マリオよ、ありがとう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!