適応障害になってしまった理由
前回の投稿に思ったよりスキをいただきました。
ありがとうございます。
休職2か月目に入り、体調が安定してきたので休職に至った原因について今回は書いていこうと思います。
根本的な原因としては、できない自分を自分で責めてしまったこと、期待に応えようと変な方向に頑張ってしまったのが大きな割合を占めていると思っています。
また、いらぬ心配や不安を勝手に感じてしまい、結果的に自分を自分で追い込んでしまいました。
相手の期待に応えようとしすぎた
私が参画した案件は参画直後から改修をしたり、仕様を作成するということはなく、設計書を読み込んだり、プロダクトの仕様を把握する時間をいただいていました。
あとは、元請けとの進捗会議に出席してどのように仕事をしているのかなど、まずは案件そのものがどういうものかということを把握してくださいと言われていました。
その期間が2週間ほどあり、徐々に仕事を任していただいてきました。
その時、僕は「お客さんがお金を払っているのだから、最初からちゃんと求められる水準でミスないように仕事をしないといけない」と思っていました。
でも、今振り返ってみると自分の単価も分からなければ、お客さんが何を自分に求めているのか分かりませんでした。自分勝手に相手が求めていることを作り上げ、求められていることへのハードルを上げてしまっていました。
入って間もないので、その現場のルールは仕事をしながら覚えていくことになるのですが、今までに経験した事のないルールの多さや複雑さに慣れず、成果物となるドキュメントは日々指摘が返ってきていました。
指摘が来て戻されるたび、申し訳ない気持ちになり、毎回謝っていました。
最初は指摘が多いことはお客さんも承知だと思うのですが、レビュワーがリーダーでとても忙しい人だったこともあり、余計な仕事を増やして申し訳ない気持ちで一杯でした。
だからこそ一発でミスなくタスクを捌き、円滑にプロジェクトが進むようしていきたかった思いが強かったのですが、やってもやっても指摘の数も減らず、自分はここにいる意味がないし、お荷物な人間だと思うようになってきました。
経験が3年ほどあっても、これしかできないのか…
周りは涼しい顔して仕事してるなぁ…どうやったらできるようになるんだろうか…
こんな感情がずっと頭の中にあるまま、仕事を続けていました。
進捗会議が地獄
定例の会議で元請けSIerに進捗報告する会議に参加をしていたのですが、その雰囲気は僕には耐えられるものではありませんでした。
進捗が予定より少しでも遅れていると、詰められます。
遅れている原因を説明できないと、さらに詰められます。
でも、元請けからしたら詰めて当然なのかもしれませんね。。
結局成果物の責任を負っているのは元請けですしね。。
まぁ僕も社会人歴としては8年ほどあるので、詰められる場面には何度も遭遇しているのですが、大勢の前で一人がガン詰めされるのを見るのは辛かったです。
さらに自分のミスで遅れているタスクがあって、それに対してリーダーが詰められているのを見るのはもっとしんどかったです。
自分の代わりに怒られているので、本当に申し訳ない思いで参加していました。
また、その会議でいつ自分に矛先が来るか分からない不安、いつか自分が詰められるかもしれないと思うと、毎回心がズキズキしていました。
自分が仕事ができる人間だったら、勘所が分かっていれば、詰められる場面になっても対応できたと思うのですが、自分は仕事ができない!と当時思っていたので、そういったことに対応する自信が全くありませんでした。
そのためこの先もこのようなことが続くとなれば、地獄だなと思っていました。お先真っ暗状態でしたね。。
そんなこんなで、この現場でこの状況が何カ月も続くのかと思うと、毎日が憂鬱になっていきました。
大前提、この現場が悪いわけではなく、自分の仕事のできなさ、仕事に対する適正がないことが原因だったと今でも思っています。
プログラミングさえもまともにできない
休職に至る最後の原因となったのが、不具合改修の仕事を任せていただいたのに全くできなかったことです。
ドキュメントもまともに書けないなら、任せてもらったプログラム修正の仕事で相手の期待に応えないといけない!
そういう思いで仕事を引き受けました。
しかし、この案件のコードをまじまじと見るのは初めてでしたし、改修期間も2日ほどというタイトな日程でした。コード読んでもどうやって動いているのか分からなかったです。
何とか改修してデプロイして動作確認したものの、システムエラーで動かず。しかも原因も自分には分からなかったです。
超絶忙しい方にヘルプを求めると、その方はすぐ原因が分かったようで、その日は終わりました。
ここまで全く仕事ができないと思い続けてきて、「あぁこの仕事も俺にはできないのか」とさらに落胆しました。
その日は何とか帰ったものの、月曜日に全て改修、テストまでする必要があったので自分ができるのか分からない不安で土日はまともに過ごせませんでした。
日曜日は明日が来てほしくないと思った故に、寝る時間が遅くなってしまい、結果として3時間ほどしか寝られず月曜日の朝を迎えました。
常駐先に行けなくなった。泣いてしまった。
月曜日の朝、起床と同時に、動悸と息苦しさを感じるも、自分が行かなければプロジェクト全体の進行が遅れるし、改修もその日までのマストなタスクだし、頑張って出社しようと思い、家を出ました。
しかし、常駐先の最寄り駅が近づくたび、心臓の鼓動は早くなるし、息苦しさの度合いも増してきました。乗換駅のプラットフォームで呼吸を落ち着かせて再度電車に乗り込むも、元通り。
乗り降りを繰り返し、最寄り駅に到着するも、改札を出てからは足を動かすことはできませんでした。
この状態では仕事はできないと思い、常駐先へ出社できない旨を連絡しました。
すぐさま、常駐先のリーダーから電話がかかってきました。
その瞬間心臓の鼓動がさらに早くなり、電話に出るころには泣いてしまい、話せる状態ではありませんでした。
最後の最後まで迷惑をかけ続けてしまったことへの申し訳なさ、いい歳こいて辛くて泣いてしまった自分への情けない気持ちなど色んな感情が一瞬にして沸き上がってきました。
その日は休みで帰宅し、翌日は心療内科へ行き、適応障害の診断を下されました。
まとめ
相手の期待にこたえたいという思いに反して、一向に仕事が身に付く気配もなく2カ月が過ぎました。
参画してからずっと、
相手の期待に答えれない自分はここにいる意味がない
他の人に比べて、自分はダメダメだ
リーダーからもメンバーからも仕事できないと思われているんだろうな
毎回迷惑をかけてしまって申し訳ない
雇ってもらった所属会社への期待にも応えれていないよな
こんな気持ちで仕事をしてきましたが、自己否定を続けた結果、出社困難な状態になってしまいました。
最終的に契約期間中にも関わらず、休職となってしまい、常駐先にも所属会社にも迷惑をかけてしまいました。
適応障害を発症してしまった経緯について書き連ねてみました。
自分で自分の首を絞めてしまったことにより、最悪の結果となってしまいました。
このようなことが起きないように、今後自分は復職すべきか退職して違う仕事をするか考えていきます。会社員を続けるか、個人事業主になるかも含めて色んな選択肢を用意して、自分に合った仕事や生き方を見つけていきたいです。