3分間の作品を3年間かけて作る【PUPARIA 玉川真吾 作】
ふと出会ってしまう。
好き嫌いを超えて存在感を残すもの。
あ、これは私の人生の縮図だ。
そう感じた。作者はもちろん私を知らない。どんな日々を送ってきたかなんて、微塵も知らない。共鳴してしまう、という現象はそういうもの。人間の小さなメモリーでは計り知れない所でつながっている部分が反応する。
理屈や理由を知りたがる私達は抵抗する。え?なんで?どうして?幼い子供のように質問を繰り返す。
玉川真吾さんは3年かけて3分の作品をつくった。こつこつと。ひとりで。実際の作業は3年程度かもしれないが、そこに注ぎ込まれた技術・思考・思想は、彼が生きてきた人生の歩みで構築されたもの。それがあるから「たった3年」でひとつの作品が完成した。
この家に住み始めてもうすぐ3年。
30年以上の歳月をかけて、習得してきたものを総決算させて今の暮らしを築きあげた。ずっと夢見ていた生き方を現実化させて暮らしている。
地球や宇宙や動植物の声がまったく聴こえない人間が闊歩する世界を垣間見ながら、どうやって生きていけばいいのか模索をしてきた。苦悩の連続ではない。日々を楽しんでいた。世界を傍観していた。
食を楽しみたいけれど
不自然な加工食品が多すぎる。
装いを楽しみたいけれど
流通世界の闇があり過ぎる。
物作りを楽しみたいけれど
土や水に還らないゴミを増やしたくない。
こんな葛藤をいつもどこかに抱えていた。今も消えた訳ではない。これ以上、不自然な物事を増長させたくない。知らんぷりはしたくない。ひとりで抱える必要もない。
この3年間という「人生作品」は、物作りや生活へのこだわりと環境の間で、切磋琢磨と葛藤によって生まれた。まとめて一般公開できる作品ではない。あちこちで「切り抜き」公開している。
これを「悪」とするのは先を急ぎ過ぎたり、過去にこだわりすぎる集団。人も環境も時代も変わる。変化に葛藤はつきもの。ラブラブカップルみたいにぴったりくっついている。陰陽☯の白点黒点のように。それが鍵になる。軸になる。
そんなことを誰かが言っていた。そのとおり。それぞれの時代の人間がつくりあげた「価値観」に合うものが善と呼ばれ、合わないものが悪と言われる。
玉川真吾さんの作品に戻る。
なぜ私の人生だと感じたのか。要点だけをあげてみる。あえて「誰かにわかってもらう」ことを重視しないメモ書き風にしてみる。
①タイトル画像の横長の「うねうね」した形・色彩・柄は幼い頃の蛹の中の生き方そのもの。
②蝶になる気配を背後にあぐらをかいて座る中性的な服装の女。小首をかしげて世界を観察。立ち上がって左側へ。左脳世界へ行く。男性性をまとって行動していた頃の私。
③国籍不明の館の中で部屋の扉を開けようとするトランクスだけをまとった男性が、近づいてくる蛹に気づく。男性性と女性性の統合前。ツインレイと再会する直前。
④赤い服の女が指差す方向へ向かう。右脳世界へ。陰陽バランスのとれるパートナーと交流することでベースチャクラが整う。背景は脳梁。
⑤地球上の人間ではない視点で人類世界とそうでない世界の際の壁に立ち、賢さと行動力の象徴である動物を放つ。私本体は壁の上に居る。
⑥人々や壁の反対側の景色を眺める。ほとんどの人間は顔色がグレー。人間ではない私の姿が視える人間も数人いる。光のような蝶になって、私は人々の中を飛ぶ。ほとんどみえない。
⑦観察する。微笑む。そして顔を背ける。大声で叫ばない在り方。人間ではない私は少し微笑んでうしろ髪をなびかせる。長い時間、顔をみせることはない。微笑み顔は一瞬だけ。
とてもマニアックで個人的な記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。
素敵な日曜日をお過ごしください。