たった1枚を選び出すために
東洋文化を散りばめた
フェスティバルへ行ってきた。
本腰を入れて
ひとつの技術や伝統を
そのまま継承している人々。
過去と現在をうまくつなげて
新しい活用法を提案している
斬新的なグループ。
とりあえずそれらしい
表面だけを整えた
嘘くさいブース。
流行り物や売れそうな物を
とりあえず並べただけの
薄っぺらい場所。
人がたくさん集まる場所には
必ずある種の層が垣間見える。
会場でたくさんの人間と
ごく短い交流をした。
その中で一番印象的に
記憶に残ったのは
美しいダンサーたちの
横顔を撮影していたカメラマン。
舞台袖で出番を待つ
妖艶で美しい3人の女性に
レンズを向けて
何枚も何枚もシャッターを切る。
そのカメラマンを見る人は
ほぼ誰もいない。
きらびやかな衣装をまとった
美しい女性の姿の華やかさが
ひときわ輝く場では
まるで存在しないかのような
立ち位置の人間だから。
瞬間に潜む美しさを
切り取っておきたいという
人間の飽くなき切望を伴い
限りない進化を促し続けた
カメラという機材を扱う人。
「美」をなるべく永遠に
近い形にしたいという
人間のはかなき欲望。
これだ!という1枚のために
何度も何度も撮り続ける。
そういう美学が私は大好き。
度を超えてしまうと
危うさも伴う集中力のパワー。
舞台袖で私はカメラマンを見ていた。
きらびやかな踊り子達は
その瞬間、脇役になる。
人はこの視線を求める。
俺を見てくれる女
かわいいよと言ってくれる彼
自分の功績を褒めてくれる人
私の存在を感じられる誰か
フェスティバル会場で
シャッターを切っていた
カメラマンの人生に
私は登場していない。
けれども私の人生のひとこまに
彼の真剣な仕草は刻まれている。
自分で気にしているよりも
他人は私の姿を見ていないし
まったく気づいていない角度で
見られているものだ。
ほどなくダンサー達が
舞台へあがり音楽に合わせて
全身で表現をはじめた。
カメラマンが捉えた彼女たちの
美しい横顔を想像する。
たくさんの写真から
たった1枚、たったひとつを
選び出す快感と切なさ。
カメラマンのごとく私達は
日々いろいろな選択をしている。
選ばなかった写真は
誰の目にも触れることはない幻。
誰かに見てもらうことを
切望する前に
自分自身をちゃんと見る。
そこをないがしろにすると
後悔と焦燥感に翻弄される。
日差しのあたたかい日曜日でした。
素敵な1週間が始まりますように。
おやすみなさい。
(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2022.10.3 転載)