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【9月24日】

もの忘れ外来を受診した日から1週間後、紹介された大学病院を受診した。
一刻も早く、と言われたけれど大丈夫なのか?とも思ったが、病院側の都合もあるのでどうしようもない。その代わり、「外来で受診したらそのまま入院になるので、入院の準備をしてきてください」と言われた。

当日の朝、介護タクシーに母と私、そして先日とは別の男性スタッフさんが乗り合わせ、大学病院へと向かった。母はとうとう座ることができず、ストレッチャーで移動した。

「おはよう」の挨拶には「グッドモーニング」と返し、「今日は大学病院に行くよ」と言えば「それは安心だねぇ」と答えていた母。
全介助ではあるが、食事は時間をかけて完食できたらしい。

前回介護タクシーに乗ったときは、ちょっとした振動のたびに反応して大きな声を出し、車椅子で段差があるところを通ると、「震度5だーーーー」とものすごく驚いて大きな声を出していたが、この日はストレッチャーだったからかそこまでではなかった。これもヤコブ病の症状(驚愕症状)のようだ。

私が受付で手続きをしている間、スタッフさんが母と一緒に外来窓口まで行ってくれた。タクシー業者にストレッチャーを返さなければならないため、診察までは奥のベッドを借りて休ませてもらう。

外来で先生の詳しい診察を受けた後、そのまま病棟へ移動した。
そして病棟の主治医の先生から、外来とほとんど同じような問診を受けた。母の生い立ちや、10年前にジストニアが発覚したこと、認知症と思われる症状が出始めてからのエピソード、高齢者施設へ入所するきっかけとなったこと、父の病気のこと、父が亡くなってからとここ2週間ほどで急変した様子など、かなりの情報量を(大体のことを私も施設さんも両方から文書でまとめていたにもかかわらず)私とスタッフさんとで交互に話した。さすがに2回はきつく、喋り疲れ、構造上仕方ないのかもしれないが、1回で済ませてくれたら効率がいいのに…と思った。とは言え、このように詳しく母のことを聞き、受け止め、一緒に考えて下さるのは本当に感謝しかなかった。

外来の先生も病棟の主治医も、母の病気はクロイツフェルト・ヤコブ病だろう、という見解をもっていた。だが、わずかながら別の病気(脳炎)であることも否定できない。ここから2〜3週間ほどかけてMRIや髄液検査、脳波の検査などをやっていくことを告げられた。

病気の説明を聞いた後は私だけ残り、ひたすらに様々な書類の説明を聞いて署名しまくった。難病のため、研究材料になる。その許可を求めるものもあった。

さすがにこの日は心身ともに疲弊した。
それでも、施設のスタッフの方々が神経をすり減らして母を看ることももうないと思うと、入院できたことにありがたいと思った。

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