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100万人に1人の難病の可能性(母の難病♯2)

【9月17日】

8月下旬は杖をつきながらではあるものの、自分の足で歩いていた母。
先日の通院ではもはや立つことすら難しく、車椅子に乗って移動をした。

連休明けの火曜日のこの日は、もはや座位を保つことが難しく、リクライニングできるガッチリとした車椅子に乗っていた。
病状が悪化するにも程がある。
母に何が起こっているのか分からな過ぎてただただ不安だった。が、この日のもの忘れ外来初診での精密検査で何かが明確になることに希望を感じていた。

母の通院は、いつも私だけ付き添っている。
しかし今回は、「普段の様子が分かる施設の職員さんにも来てほしい」と病院側から言われたため、施設の相談員さんに同行してもらった。私と同年代の相談員さん。検査の合間のおしゃべりはほっとするし、母のトイレの介助を一緒にしてくださるのは心強い。(前回の受診の際は私1人ではできず、看護士さんを呼んだ。)そして、問診のときに2人で答えられることには安心感を覚えた。2人で何かを分かち合っているような感覚だった。

かなり詳しい問診、MRI検査、記憶保持にかかる検査など、ひと通りのことが終わってしばらく待ったあと、診察室に呼ばれた。

MRIの所見を軽く言われたあと、先生はかなり焦った様子でこう言った。
「クロイツフェルト・ヤコブ病という難病の可能性が非常に高いです。一刻も早く大学病院を受診してください。すぐに準備します。」

母も一緒に聞いてはいたが、この頃の母はすでに耳が遠くなっていたし、インプットしたことを5分後には忘れるような状態だったため、本人への告知に対して何か配慮がなされるような感じではなかった。

すぐに看護士さんがわらわらとやってきて、急に忙しなくなった。

私たちは待合ロビーで待つように言われ、何が何だか分からない変なテンションになった。「ヤコブ病ってなんだ!?」と、相談員さんと2人でスマホを片手に検索しまくった。私は初めて聞く病名だった。

・認知症、視覚異常、歩行困難が発生する
・意に反する身体の付随運動(ミオクローヌス=ピクピク動いたり震えたりする)が出現し、急速に悪化する
・発病より半年以内に無言無動状態で寝たきりになる
・全体衰弱、呼吸麻痺、肺炎などで、発症から1〜2年で死亡する
・治療法はない

サイトに載っているのは割と絶望する内容ばかりだった。しかし、母の経過をみるとどれもこれも当てはまっていて、このときの感情は驚くとか悲しいとかではなく、母の病名が明らかになってほっとした、というのが正直なところだった。

病院の先生は帰るまでに大学病院の診察日を決定したかったようだったが、大学病院から「返答は後日になる」と言われてしまい、翌日以降に返事をもらうことになった。
紹介状や検査データのCD-ROMなどが入った分厚い封筒をもらい、長い半日が終わった。

帰宅してからは、この病名の検索作業の続きを延々とやっていた。
疲れてぐったりはしていたが頭は冴えつつ混乱していた。

この病気の体験記やご家族の看病日記のようなものを読んでみたいと思ったが、さすがにご本人が書いたものは見つけられなかった。そりゃそうだ。こんなに急速に悪化するなら、ご本人は書く暇がないし書いている場合でもない。
家族はどうか。家族もとても辛い。患者に起こることの情報量が毎日のようにアップデートされて、心も頭もついていかない。「現状維持」のような日はなく、坂を転げ落ちるように状態が悪化する。
何より、100万人に1人の割合で起こる難病なため、患者の絶対数が少ない。
結局、お2人の記録しか見つけられなかったが、それでもその記録からこの病気のたどる道がわかったし、支えるご家族の気持ちに共感し、私たちだけではない、という同志のような感覚からこの先を生きる勇気をもらえた。

なので、追っかけ再生的ではあるが私と母のことを記録しておこうと思う。迷いなく死に向かう病気ではあるけれど、それでもその道のりの最中には何かを味わい何かを感じることができる。それが誰かの希望になるといいな、と思っている。


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