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陽性(母の難病#28)
【12月24日】
母が亡くなって1か月が経った。
亡くなった後の残務はまだ続いており、母がお世話になっていたホスピスや年金事務所から五月雨式に封書が届く。この日も、母が亡くなってから4回目のホスピス訪問。訪問診療、訪問介護、訪問歯科…というように複数の契約を結んでいたため、亡くなったら同じ数の分だけ解約の手続きが待っている。
そんなこんなで、署名した書類をホスピスに届け、そのまま職場へ向かおうとしたその駐車場で電話が鳴った。大学病院からだった。
長崎大学病院に出していた髄液検査の結果が出た、という知らせだった。
「ヤコブ病の検査結果は陽性でした。間違いなく、クロイツフェルト・ヤコブ病ということになります」
病院には母が亡くなったことを伝えてある。亡くなってはしまったが検査結果は知りたいので結果が出たら教えてほしい、と電話をしていた。それを受けての連絡だった。
これまで母の病名は、「ほぼ間違いないだろうけど結果が出てないから暫定措置」としてつけられていた。
あやふやだったものがやっと明確になった。
以前から、明確になったらすっきりするのではないかと思っていたが、意外にもそのとき味わったのは「ざわざわする」感情だった。
何でかわからないけれど、この病気で亡くなったのがとても不本意に思えてしまうのだ。
本人の生活習慣でもない、遺伝性でもない。
突然難病だと言い渡され、2か月半ほどであっという間に旅立ってしまった。
人の命がいつゴールを迎えるかなんで、本当に分からないものなんだな。
「母はどうしてこの病気になってしまったんだろう」
「病気にさえなっていなければ、あんなこともこんなこともできたのに」
などなど、少なからずのタラレバも湧き上がってくる。
年齢を重ねてからの母と娘の関係を、もう少し楽しみたかった。そんな気持ちもある。
あぁ、私はまだ心の整理がついていないんだな、と後になってから客観視した。
電話を受けた5分ほどは懐かしい主治医との久しぶりの会話で、とても穏やかな時間が流れていた。私よりは若い先生だが、気遣いができてゆったりとわかりやすく話される人だ。
会話の最後には、「大変あわただしい日々だったかと思います。どうかお疲れが出ませんように、ご自愛ください」との言葉をいただいた。
その言葉のとおり、わが家族はわりとひどめの風邪を順番でひいており(こんなに流行っているのに流行り病ではなかった)、今日やっと明るい兆しが見えてきた。どうやら無事に年を越せそうである。私はそれほどでもなかったけれど、家族のケアでご自愛どころではなかった。
来年は自分の身体も労わることにしよう。