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ラジカセ(母の難病#10)
【10月9日〜15日】
母の検査が追加になったことで、もう少しだけ大学病院の入院生活が延びることになった。母は言葉をほとんど話さなくなり、相変わらず引きつった表情と見開いた目で天井の隅を見つめていた。
話さないけれど周囲の話は理解しているのか。
理解していないけれど聞こえてはいるのか。
もちろんその答えを母が話すことはないので、知る術がない。主治医に聞いてみたが主治医も分からないとのことだった。まぁ、そりゃそうだよね。
この個室の病室でずっと天井を見つめ、時間になったらご飯を食べる。誰と会話をするわけでもなく、テレビや本を見るでもない。一体、何を思い、何を感じているのだろうか。もう何も分からない、生きていることすら自覚がないのだろうか。
この頃の面会が非常に辛かった。会うたびに反応がなくなっていく。両手にはミトンが付けられていて、手を握ることもできない。辛いけれど様子を見に行かずにはいられない。母が入院してから半月ほどは、病院に行くと胃が痛くて仕方がなかった。
そんな中、ちょっと思いついたことがあった。それはラジカセを置かせてもらうことだ。
母は若いときから音楽が好きで、自宅でチェロ教室を開いていたこともあった。入院する数ヶ月前から、「元気なうちに、音楽会に連れて行ってほしい」と何度も言われていた。ベートヴェンの第九が聴きたいと。
それを思い出した。そして音楽を聴くのは何か刺激になるかもしれないと思い、看護師さんに許可を得て音楽を聞かせてみることにした。家にあったCDとラジカセを持ってきた。1枚はもちろん第九。
CDをかけてみた。すると、母は明らかにそれまでと違う喜びの表情を見せた。ミオクローヌス(ピクつき)もあるし顔は引きつっているが、目に力が入り、「これ、知ってる!!!」と言わんばかりに目を輝かせた。
確かに音楽を聴き感じ取っていた。
ああ、まだ母でいてくれた。
そう思った。
コンサートに連れて行けずごめんね、と思いつつ、その日はCDをかけっぱなしで病室を後にした。
母はNHK-FMを聴くのも好きだった。マスキングテープに、その周波数を書いてラジカセに貼っておいたのだが、面会に行くとそのFM番組が流れていることがあった。
看護師さんが忙しい中でも気にかけ、ラジカセをいじってくれている。母が好きなことを一緒に大切にしてくれているように思えた。
重苦しい入院生活にちょっとした潤いを与えてくれていた(ように思える)ラジカセの存在だったが、重症患者さんが入院するとのことで、16日には大部屋へ移ることになった。そうしたらラジカセから音楽が流れることもなくなってしまうなぁ。
残念な気持ちになりながら、その日もCDをかけながら面会時間を過ごした。
母はもう、ご飯を食べなくなってしまったと看護師さんと主治医から聞いた。栄養は点滴からだけ、となった。