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わかちあい(母の難病#25)

【11月25日】

母の葬儀が翌日となった。

母の親戚や親交のあった人に連絡したり、火葬場で待つ間に渡すお茶菓子などを買ったり。細々とした葬儀の準備が終わった夕方、私は母のいる葬祭会館に一人で向かった。
葬儀の当日に使う物や、自宅に届いていた弔電を前もって届けておきたかったのもあるが、最後、なんとなく一人でお別れをしたかったのだ。

会館で待っていたのは、Kさんという女性のスタッフさんだった。
Kさんは、父の葬儀のとき火葬場から帰着まで丸一日担当してくださり、とても丁寧かつテキパキと仕事をしてくださった方である。
とても印象的な方だったので覚えていたが、Kさんもまた、私のことを覚えていてくださった。

母に線香をあげ、ぼーっと母の顔を眺め、何を語るでもなく母と二人の最後の時間を過ごす。棺の中の母にも見慣れてきて、綺麗に化粧をした顔に「明日はみんなで見送るよ」と声をかけた。

何となく気持ちが整ったところで預けものを渡そうと動き始めたら、Kさんが来てくださった。

「お母様、急でしたよね。お父様のご葬儀のとき、いらしてましたよね。」

そう話かけられて、立ち話が始まった。が、そのうち2人とも椅子に座り、Kさんはお茶を淹れてもってきてくれたw

父の葬儀後に母の病気が発覚し、あれよあれよという間に病気が進行して旅立ってしまったこと。父とは1年ほどかけて心の準備も旅立ちの準備もしてこれたけれど、母の場合は短すぎてできなかったことが色々あり後悔していること。養護老人ホームに入所するまでの、あんなことやこんなこと。子育てや自分の仕事のこと、などなど。

私と同年代のKさんは、相槌を入れながら私のマシンガントークを聴いてくださった。そして、ごKさん自身も子育てをしながらご自宅で介護しつつ、ちょうど親族の旅立ちの準備をしていることも話してくださった。
お互いにお互いの大変さが想像でき、自分は選択しなかったことを相手が選択して頑張っていることをお互いにリスペクトしあう。
お互いに共感と癒しが生まれた時間だった。

ああ、今日ここに来てよかったな、と思った。

Kさんは、「明日はお休みをいただいていたので、喪主様に会えないかな、と思っていたのですが、今日こうやってお話できて本当に嬉しかったです。そして、同志として勇気をいただきました。本当にありがとうございました」とおっしゃってくれた。

それは私も同じである。

家族には家族との理解やわかちあいがあり、
「同志」には同志なりの理解やわかちあいがある。

気持ちはスッキリと整った。
明日はきっと、よき旅立ちの日になる。

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