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アシュタンガ ヨガの練習

私はほぼ毎朝、アシュタンガ ヴィンヤサヨガと言われる流派のヨガを練習している。

ヨガ自体を始めたのは17年くらい前。就職して趣味を楽しみたかった私は英会話喫茶に通い始め、そこの先生にヨガの先生を紹介してもらったのがキッカケ。当時は週一回、仕事終わりに90分のレッスンを受けて、それで十分楽しんでいた。今ほどSNSも発達していなかったので私のヨガの世界はそこでのレッスンが全てだったし深める気持ちも一切なかった。

それが7年前のちょうど今頃、思い立ってヨガインストラクターのトレーニングに申し込み、それからは毎日早朝に起きて仕事前に練習している。翌朝の練習を考えて食事や夜の過ごし方も調整している。昔の自分から考えたら想像できない。

無理しない、人と比べないと諭されるヨガなのに、頻繁にそういったエゴに翻弄されながら日々を過ごすし、私と同じように翻弄されているヨギーも沢山いる。むしろ、昔の方が無理しなかったのではとも思う😅毎朝起きるのも練習内容も正直キツいし、辞めたいのに逃げ出せない自分の変な真面目さにイライラすることもある…

それでも続けるのは、心身の変化を感じ取れるからと思う。私は練習を始めた当初からケガばかりしているし、メンタルも弱かったし、マインドもグラグラしていた。

ケガがこのまま一生治らなかったらどうしよう、先生は私には全然教えてくれないしアジャストもしてくれない、あの人にばっかり教えてる、こんな怖いことできないしやりたくない、等々…私だけではなく皆んなも同じような気持ちになったことが一度はあるのでは、と思いたい😅

私の場合はこれらのエゴマインドが定期的にやってきて、最初は怪我や先生等の外的要因を責めているのを徐々に「自分は駄目な人間だ」と内側を責めだして、更にイライラしたり悲しくなったり。

文字に起こすと馬鹿馬鹿しいが、毎日同じことを繰り返して自分と向き合い続けるとそういった感情が出てきやすく、その波にのまれやすいのかなと思う。

それが毎日何年も続けていくことで、心も体もずいぶん柔軟になってきている。痛みがあれば、対処方法を考えるし、先生に教えてもらわなくても特に何も思わないし、挑戦する強さもでてきた。周りの練習生に対しても卑下するというよりも力をもらっていると感じる。

新しいポーズを教えてもらうと正直嬉しいけど、身体の限界を感じ始めているので、これ以上はムリだろうなとも思っている。

前置き(!)が長くなったけど、今ここ☝️

この半年ほど、「これ以上は無理」という気持ちを持ち続けている。でも、だからと言って「練習量を減らしたら」と言われたら複雑な気持ちになる。対極するこれらの気持ちもエゴマインドだと最近感じるようになってきた。

前者は良く言えばサントーシャ(知足)だけど悪く言えばタパス(挑戦)しない。後者は頑張っているようで執着している。今の自分のエゴだと認めて向き合うべきところかと。身体的な練習は先生に手伝ってもらえるけど、心中のエゴは外に漏れていたとして自分で対処するものとも思う。

先週の月曜日、練習で首が痛くなって火曜日は練習を休み、痛みが和らいだので水曜日は練習した。木曜日は平気だったのに、金曜日は痛くて回せなくなった。土曜日休んだら治るかなと思ってたのだけど、結局月経が予定よりも早く始まって強制的に練習を数日休んでいる。月経がなければ練習していた気もするし、首の痛みも悪化していたはず。(今も痛みは残ってる)わたしの体が全身全霊でそれを阻止したのでは…と思えてならない😓

今の練習の課題はアサナの上達も勿論あるけど、そういった自分自身を観て調整することかなと感じる。

練習の面白さとはそういうところではないか、と思う。

因みにトップの写真は、去年訪れた徳島県海部町でお土産に買った海塩。正直、期待値ゼロ(笑)だったのに、めちゃくちゃ美味しい。今年も行けたらまた買って帰りたい。

下は轟の滝。徳島県は海も川も太陽も、全て綺麗な場所だった😊

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