パリ逍遥遊 受胎告知(フランス修道院編)
私は一時期カトリック系の大学で禄を食んでいた。学長は「置かれた場所で咲きなさい」の著者、彼女に「あなたはシスターになるとばかり思っていました」と言われたことが忘れられない。予想は外れ、私はシスターになることはなく、修道院に住んだこともない。キリスト教の精神にのっとって集団を生活する場所を修道院と呼ぶ。修道院ではもちろん祈りや聖書の研究に関わることが行われることはもちろん、これから紹介するように葡萄を植え、ワインを創りだしたりもしたのである。
特にブルゴーニュワインと関係の深い修道言えば、フォントネー修道院、また、フランスの修道院として欠かせないのが、モン・サン・ミッシェル、この二つを紹介しよう。
【フォントネー修道院】
ブルゴーニュ畑の地を開墾し、葡萄の木を最初に植えたのが、シトー会と呼ばれる修道会の修道士たちだ。シトー会は、1098年ブルゴーニュ出身の修道士Robert de Molesme(ロベールモレーム)が、修道院を作ったことに始まる。「聖ベネディクトの戒律」を厳格に守り、清貧を重んじたことで知られる。彼らは「白の修道士」とも呼ばれる。現在存在する最も古い修道院であるフォントネー修道院は、1118年にブルゴーニュに創建された。現在、世界遺産に登録されている。この修道院のゲートにたつと、その整備された美しさに圧倒される。
しかし、1789年7月14日、バスティーユ牢獄の襲撃を発端にフランス革命、流血革命が起こる。キリスト教は弾圧され、多くの修道院が破壊されている。フォントネー修道院も破壊された修道院の一つだ。ゲートをくぐると、左手に教会がり、そこで聖母子像(幼子イエスを抱えるマリア像)が、ここまでの長い旅路を祝福するように迎えてくれる。椅子ひとつとてない。余分のものがそぎ落とされた教会の中にたたずむと、シンプルな美しさに心洗われることだろう。
教会をでると、修道士たちが読書や勉強した部屋につながる。その部屋の2階には、寝室があり、その部屋からフォントネーの名の由来である美しい噴水を見ることが出来る。水の流れる音、水面に映る緑、脳を癒してくれる。修道士たちは、自分専用の部屋を持つことはなく、全員同じ部屋にわら布団を敷いて寝たという。
フォントネー修道院のもうひとつの見所は、鍛冶場とパン工房跡だ。修道院近くにある鉱山から鉄鉱石を採掘し、製鉄をしていたようだ。彼らの技術力の高さは、熱した鉄を槌でたたくときに、水車の力学をうまく利用したこと、その水をフォントネー川の流れを変え、修道院内に引き込んだことである。彼らの水路技術は並ならぬものがあったようだ。
食事のときに供されるパンも修道院の中で作られていたようだ。一日一斤とパンの量は戒律で決められていた。このパンと共に供されたのが葡萄酒である。彼らはブルゴーニュで土地と葡萄の木の相性の研究を重ね、実際に土を味わったのではないかといわれている。たとえばドイツライン川沿いの土地にはリースリングしかないと判断したのもブルゴーニュから派遣された修道士だった。彼らの研究の結果が、ブルゴーニュという土地に、現在に至るまで、ブドウの実りをもたらし、ワインを享受させてくれる。
【モン・サン・ミッシェル】
日没後のモン・サン・ミッシェル。サン・マロ湾に浮かぶ小島にあるベネディクト会の修道院だ。大天使ミカエルに捧げられた修道院で、その頂にはミカエルが剣と天秤を手に立っている。天秤は人間の魂の公正さ測ることの象徴している。
この修道院は、夏の間24:00までオープンになり、修道会付属の教会やラ・メルヴェイユで音楽が奏でられ、プロジェクターから祭壇へと聖書絵巻が映し出される。光に照らし出される大天使ミカエル、もちろん「受胎告知」も映し出される。芸術、信仰、テクノロジーが一体となって織り成さされるイベントだ。
サン・マロ湾は潮の干潮の差が最も激しいいところで、修道院を配する小島は満潮時には海に浮かび、干潮時に自然が陸を繋ぐ。潮の流れは、「馬が駆けるような早さ」というらしい。2014年7月22日に開通した【モン・サン・ミシェルの新しい橋】の上を走ってみた。修道院の上まで駆け上がる。写真は、満潮30分前と満潮時の写真。この日の満潮時は、午前8時16分。高さ12.20M。