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怒らない自分になろうとすることもまた、自分を否定しているということ。
原田知世さんが好きです。
ふんわりと
やさしくて
おだやかで
何もかも許して、受けとめているような
そんな雰囲気がとても好きです。
本当はどんなひとかは、知らないけれど。
わたしのイメージの中の
原田知世さんみたいになりたい。
過去のわたしは、そうおもっていました。
だから
どんなことが起きても
全て受け止めて
全て受け入れて
全て許して…
怒るだなんて、もってのほか!
ありえない!
わたしは怒ってなんていないよ。
(というふり)
気づけば…
くたくた。
ぼろぼろ。
疲労困憊。
それはそうだ。
本当は叫びたいほど
とてもとても怒っているのに
とてもとても悲しいのに
そうじゃないように振る舞うことを
自分自身に強要していたのだから。
本当の自分の聲を無視して
創りあげようとした、嘘の自分。
自分と自分が遠く離れていて
全く自分と繫がっていない。
さすがに、最近はここまでにはならないけれど
やっぱり根深くある
怒ること=悪いこと
というわたしの捉え方。
怒ることにブレーキをかけて
『怒ってはいけない』
『怒らないようにしよう』と
ついついすぐにクセが出てくる。
『怒らない私』を理想とすることは
『怒らない私』であろうとすることは
『怒る私』
『本当は怒っている私』を否定している。
自分自身を否定していることなのだ。
怒っているのだから
怒っていい。
誰かに怒りを当たり散らすことをしなければいい。
自分の中でだけ
燃えたぎる怒りを、
感じること。
そうすることが
自分と繋がるということ。
嘘もない。
理想でもない。
否定もしていない。
ありのままの、わたし。