抑うつになったその後

2月末付で退職しました。

鬱になってから仕事を辞めるまでの約1ヶ月間、ひたすらベッドの上で考えていました。

「これからどうやって生きていこうか」

周りの公務員友達なら、転職するでしょうか。それともしばらく実家に帰って休職するかもしれません。とりあえずバイトとかすると思います。彼らはとても堅実だから。

でも私はアホなのです。良い意味でアホと言われることもありますが、フツーに悪い意味でもアホなのです。

だから私は「就職」「転職」という王道ルートを選ばないことにしました。そしてフリーランスになることを決めました。と言っても、今は仕事もしてなくて稼いでもないので「ただのなんもしてないフリーな人」になってしまいました。笑

これからしばらくは、貯金なし、スキルなし、経験なしの脱サラ女がフリーランスで生計を立てるまでの(それとも生計を立てられずに夢破れるまでの儚い…?)成長記録をリアルタイムで綴っていこうと思います。

今、思いのままにこれを書いています。だからこれはメモです。全く読みやすくはありません。笑 ただ今わたしが綴っておきたいことを書き並べています。

さて今回の決断についてです。アホなりにもちゃんと理由があります。

それは、今回の鬱の原因が明らかに「仕事」だったと自覚したからです。

私はめちゃくちゃラッキーガールです。正直運だけで生きてきたみたいなところがあります。周りの環境に恵まれ、人に恵まれ…感謝しかないです本当に。棚ぼたみたいなこともわりとよくあります。人生は運ゲーだと、半分くらいは本気で思っています。

ということなので元職場の方達も、とても素敵な人ばかりでした。校内で異動を3度経験しましたが、どこの部門に行ってもみんな優しく迎え入れてくれました。知識も経験も浅い私にも嫌な顔一つせず丁寧に指導していただきました。今でも感謝しています。

校内も比較的新しくて、ICT機器も完備されている。地味に嬉しかったのがトイレが綺麗なこと!(笑)私が行った2校はどちらも新設校でした。

これからしばらくは「教員」として生きていく。そんな新任にとってはとても恵まれた環境でした。人も設備も、「教員」として成長していくには整った環境でした。

でも私は病みました。これはどういうことか。病んだ原因は自分自身にあったということです。理不尽なパワハラもない。新人いじめもない。争いもなく平和で、俗に言う「いい職場」でした。でも無理でした。当時は何が無理だったのか分からなかった。でももう限界でした。

1ヶ月経って、退職もして、今だから気付いたことがあります。それは、私にとって「教員・公務員」という「働き方」が圧倒的に合っていなかったということです。

子供は好き。教えるのもたぶん好き。何より教育に携わっていたい。

高校時代に私を闇の中から救い出してくれた、あの時の先生方のような存在になりたい。

心の底で「やりたい」と思っていたことは、10年前から変わっていなかったのです。

でも「学校」で働くのは、私には無理でした。あまりも「働き方・業界の風土」が合わなくて苦痛だったようです。そんな自分を見て見ぬフリしていました。理想の先生でありたかったから。そこに適応できない自分がダメなんだって、本気で思っていました。

「毎朝の満員電車での通勤」「あってないも同然の休憩時間」「マッハで食べなきゃな給食(私はかなり食べるスピードが遅い)」「夜は自由な時間もなく寝て朝は早起き(朝が苦手すぎる)」「楽しくもない無駄と思われる雑談」「うわべで保つ人間関係」「服装や髪型の縛り」「謎の暗黙の了解的な事項が多い」「どれだけ仕事を頑張っても目に見える形で結果が返ってこない・評価されない」「過労死レベルで働いてもどれだけ貢献しても給与は1円も変わらない」「公務員だから下手なことはできない、という勝手な責任感による行動の制限」「よっぽどのことがない限りは有給休暇すら取れない」…など。

いや、不満ありすぎやろ!笑

こんなバカ正直に書いてしまってなんかまずいことになったらどうしよう(笑)。まあでも事実なのでね…。どうかお許しください。誰に許可が必要なのかそもそも許可がいるのかも分からないけれども。

※別に教員や公務員を否定したり馬鹿にしたりしたいわけではないです。むしろ、そんな「教員にとっては当たり前の世界」に馴染めなかった自分を責めるような気持ちで、いたたまれません。でも合わないものは合わないのだから仕方ないとも思います。いろんなタイプの人がいるから世の中は成り立っているのです。だからどちらが偉いとかそういう趣旨ではないのです。

大事なのは、こういったいわゆる「デメリット」と自分が感じる部分と「メリット」を天秤にかけたとき、どちらを選ぶか、ということです。

実際、教員・公務員の世界で生き生きと働いている人たちも私の周りにはたくさんいます。彼ら彼女らはたいへん幸せそうです。「いいなあ」って思いますね。純粋に羨ましいです。だって自分が納得できる仕事ができたらきっと幸せじゃないですか。もちろん誰にでもしんどいことはあります。それは大前提の話です。

話が長くなってきたのでまとめます。

つまり、私に「公務員や会社員のような働き方」は合っていませんでした。

だから病みました。そして辞めました。さらにフリーランスを目指します。

ということです。

もちろんフリーランスで生きていける根拠などありません。

スキルも経験もありません。

「なんもないし、なんもしてない」ただのフリーな人になってしまいました。

貯金はあと3ヶ月くらいで底を尽きます(ここ重要!笑)。

でも、死ぬときに後悔しても誰も私の人生に対して責任は取ってくれません。

やりたいからやる!以上です。笑

フリーランスで生きたい。好きな時に好きなだけ働いて、日本中世界中を旅したい。会いたい人に会いたい時に会いに行きたい。てかそもそも体調とか気持ちとか、毎日違うんだから自分の心の声を大切に日々自分のペースで働きたい(楽して稼ぎたいわけじゃなくて、自分で時間とか場所とかを自由に決めたいってこと)。とにかく自分を大事にしたいのです。

私には野望があります。教育に携わることです。でもまずは、世のため人のため、の前に、自分自身を大切に、自分で自分を幸せに生きさせてやりたいです。

教員を辞めた理由の一つに、「今の自分はとてもじゃないけど人(子供)の前に立てるような立派な人間じゃない」という強烈な気持ちがありました。

本当はもっといろんな価値観があるって子供たちに伝えたい。大人って楽しいよ、人生って最高だよって伝えたい。生きるということがどういうことなのか…

とか、伝えたいこと、人として自分が大事にしたいこと、があるのに、それにちっとも自分が見合っていないと気づきました。

特に「生きるって楽しい」の部分。これはやはり、まずは自分が体現するべきだし、そうじゃないと人に教えたり伝えたりなんてできない。

毎日死んだ魚のような目をした大人が「生きるって素晴らしい」なんて口だけいいこと言って、一体誰が幸せなんだろうか。

というわけで、自分の人生、自己実現、を最優先にします。

もちろん健康な体あってこそのことなので、健康第一です。

直近の目標は、「フリーランスで頑張る。死なない。」です。笑

貯金なし、スキルなし、経験なしの脱サラ女がフリーランスで生計を立てるまでの(それとも生計を立てられずに夢破れるまでの儚い…?)成長記録をリアルタイムで綴っていこうと思います。

では次回をお楽しみに!



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みきてぃ@いなフリ34期
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