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そこに愛はあった in 南インド(後編)

かなり空いてしまいましたが、後編です!
前編はこちら。


ドクターにコンサルテーションをしてもらい、家族と元旦那さんの話を聞いてもらう。
まだ消化できていない記憶が蘇る。

私は、昔から母が苦手だった。

うちの家族でぱっと見、いちばん問題がありそうなのは父だけど。

父は、喜怒哀楽の激しい人で、怒ると大声で怒鳴る、手が出る。
子供の頃は父親が怒ったら子供に手を出すのは普通のことだと思っていた。
父は家族よりも自分の気分を優先する人だった。

でも父は真剣な話をした時は耳を傾けてくれた。率直なアドバイスで背中を押してくれることもあった。言葉を持つ人だった。

反対に母は、口下手で不器用。
自分の気持ちを表現するのが苦手で、言葉を持たない人だった。

子供の頃からそりが合わず、大人になってからも何度かぶつかった。

その後は距離を置いててほとんど実家にも帰っていなかったし、連絡もとっていなかった。
母からも連絡が来ることはなかった。

そんな話をしていると、ドクターからある課題を出された。


家族と元旦那さんそれぞれの「いいところ」と「悪いところ」を10個以上書き出して、「いいところ」には感謝をし、「悪いところ」にはどうしたら平和的に解決できるか?を書いていく。

合計5人分なので、100個以上書き出して感謝&解決策のあぶり出し。
なかなかのボリュームだ。

パンチャカルマを終え、心がたくましくなっていた私は、早速課題と向き合った。

コンサル後に出たおやつ。ラドゥとチャイ。


書き出していくと、ある人は悪いところは思いつくけどいいところが思いつかなかったり、ある人は両方思いつかなかったり。

書きながら、私って家族のこと何も知らないのかもな、、、と思った。

家族間であまり会話がなく(食事中も無言だった。)、18歳で家を出てからはますます連絡を取らなくなった。
お正月やお盆の集まりもほぼないので、ほとんど顔を合わすことがなく、お互いのことを知らないのだ。

私はずっと両親は愛のない人たちだと思っていた。
放任主義で、あたたかい関わりを持った思い出はほとんどない。

父は私の前で「子供なんて嫌い、ほしくなかった」とか言う人だったし、母も仕事と家事でいつも忙しそうで話しかけても相手にしてもらえなかった。

一家団欒なんてドラマの世界だと思っていた。
今日あった出来事を食事をしながら語り合う、そんな家族が眩しかった。

私もほんとうはもっと色んな話がしたかった。
愛されたかったし、大切にされたかった。

でも両親はそれを叶えてくれなかった。

そんな両親のことは愛せない、当たり前でしょ?って心のどこかで思っていた。

でもドクターから出されたワークをするうちにだんだん、「お父さんとお母さんのこと知らなさすぎる…もっと話を聞くべきだったのかも…
なぜ自分から話しかけなかったんだろう??自分からできることもあったのかもしれない。」
そう思うようになっていった。

そして次に悪いところの解決策を考えていった。

なかなか思いつかなくてドクターに相談しながら、ざっくり下記の4つをベースに解決策を考えていくことに。

・Accept
・Listen
・Tell
・Respect
 

例えば、母は怒りっぽいところがあるけど、
、まずはそんな状態を受け入れて(=accept)、話を聞き(=listen)、私はただあなたと仲良くなりたいんだと伝えて(=tell)、母の気持ちを尊重する(=respect)。

ドクターに提出した課題シート


かなり理想論的だけど、とにかく解決策を出す!を優先にして、どんどん書いていった。
穏やかなケララの風土と浄化された身体のおかげか、普段ならきれいごとだと感じるようなことも気にせずスルスル書けた。

やがて、書いてる最中に、気づいた。

私がいかに家族に求めてばかりだったか。
自分のことを認めてほしい、愛してほしい、
そればっかりで、家族のことをいかに気にかけてこなかったか。

子供の頃からかまってもらえない、ここにいていいのかわからない。
そんな状態のまま大人になった。
そんなもんと思っていたけど、どこかでさみしさを感じていた。

誰かの「親を大切にしろ」という言葉を聞くたびに複雑な気持ちになった。

素直に、大切にしたいなんて思えなかった。

わかってくれない周りのことを責めた。
親を大切にできない自分のことも責めた。

それでも、さみしさや複雑さを感じていたなら、なぜ自分から行動しなかったのだろう??自分や周りを責める前にできることがあったはずでは??


私はもっと家族を知る必要がある。
もっと家族のことを知りたい…
もっと家族と話をしたい…!

次第にそう感じるようになった私は、さらに、気づいた。

私は、愛されたかったのではなくて、愛したかったんだ。
家族を、両親を、愛したかった。
でも受け止めてもらえない気がして怖かった。
スルーされるのが怖くてできなかった。
愛を素直に伝えられないことが苦しくて、そんな自分がもどかしくて、それで辛かったんだ……!


このことに気づいた。
これはとてもとても大きな気づきで、
ヘレンケラーが初めて井戸の水に触れて「Water……!!!」と認知したのと同じくらい衝撃的な出来事だった。

“愛されたいではなくて、愛したい“

KinKi Kidsの歌に出てきそうだけど、これはまさに真理だった。

それをそのままドクターに伝えた。
ドクターは静かに穏やかに話を聞いてくれた。
握手をして優しくハグをしてくれた。

それだけで私のこれまで抱えてきたくすぶりにくすぶっていた思いはかなり成仏した。

帰国して、母に会おう。
いきなり「愛してる」とかは照れくさすぎるし性に合わないけど、自分なりに思っていること、せめて「産んでくれてありがとう」は伝えよう。
そう思った。

しかし、
物事はスムーズに行かないもので、、、

帰国してから、母に会ったもののなんだかんだ一悶着あり「やっぱり無理」を何度か味わった。
KinKi Kids的真理を何度か見失った。

それでも家族とは不思議なもので。
しばらく経ってから、ようやく私は母に「産んでくれてありがとう」と伝える機会を得た。
ちょっとドギマギしながら平静を装い伝えた感謝の気持ちを、母はいつものようにサラリと受けとった。

自分の奥深くに沈んでいた呪縛が解けた。

家族関係はこれからも続く。 
また何悶着も起きるだろう。
ウンザリすることもしょっ中だろう。

それでも思う。
親が子を無条件に愛しているように、子も親を無条件に愛している。

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