『カエル男とハサミ男』
刑法第39条はあまたの小説やミステリーの題材に取り上げられ、人口に膾炙することとなった。すなわち、
心神喪失者の行為は、罰しない。
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
心神喪失とは、精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)またはそれに従って行動する能力(行動制御能力)が失われた状態を言う。
詐病と精神鑑定との問題等、この条項を削除すべきだという識者は多い。39条は明治国家以来のものであり、近代刑法はどのような原理の上に成り立っているのかを検討する必要がある。
永井泰宇(永井豪の弟)原作「刑法第39条」は映画化され、日本アカデミー大賞の主演女優賞と脚本賞を受賞した。
精神鑑定人の「精神鑑定は綿密なデータと知識に支えられていますが、所詮、精神鑑定人の主観に過ぎないのです。精神鑑定の結果、刑法第39条の下に被告人を無罪にしてしまうことは、被告人の人権を守ることではなく、逆に奪うことではないでしょうか」という訴えは非常に興味深い。
反人権論者の呉智英は「人を噛み殺した犬は問答無用に殺される。議論に値することではないだろうか」と言った。つまり犬はもともと是非善悪を弁識する能力またはそれに従って行動する能力がないので、心神喪失者と同様だということだ。これはもちろん人権とは何かという根源的な問題にまで踏み込まなければならない。
中山七里の『連続殺人鬼 カエル男』は39条をテーマにしているミステリーである。
犯行現場には子供が書いたような稚拙な犯行声明文が置かれ、市民はパニックになる。犯人は入れ子構造になっていて、二転三転する結末。捜査一課の警部、渡瀬が真犯人に「復讐するのは神だ。人間じゃない」と言う。
そして部下の古手川に言うのだ。
「最後に言った言葉な、あれは聖書の中の一節だ。だが仏典の中にもなかなか含蓄のある言葉があってな…因果応報ってやつだ」
最終章のラストの数行がこの言葉と呼応していて鳥肌が立った。
殊能将之は惜しくも49歳の若さで亡くなった。その才能を惜しむミステリーファンも多い。『ハサミ男』は彼のデビュー作である。私は何年か前にこの本を読んでいる途中、自分の頭がおかしくなったのかと思った。あまりにも予想外の展開に私の小さな脳がバグを起こしたのだ。このミステリーが映画化されたと知り、驚いた。これはいわゆる叙述ミステリーなので文字だからこそ読者はミスリードされ、騙されるのである。映像でのトリックは不可能ではないかと思ったのだ。
『葉桜の季節に君を想うということ』歌野昌午なんかもそうだ。
私はいまだに映画を観てない。
ひょっとして中山七里は『ハサミ男』にヒントを得て『カエル男』を書いたのではないか。
その意味は…ミステリーなので言えないので興味ある方は是非ご一読を。
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