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「8月のメモワール」と吉田松陰

ケビン・コスナー演じるスティーブはベトナム帰還兵。PTSDの治療中ということがわかってしまい、学校の用務員を首になってからはなかなか職に就くことができない。それでもミシシッピー州に住む妻と双子の姉と弟の家族は貧しくとも父親を尊敬して助けあって生活していた。

近所にいじめっ子の兄弟と妹がいた。彼らは尊敬する父親に対しても悪態をつく。我慢できなくなり、ケンカになった息子に「謝るんだ」と言い、いじめっ子たちにも「君たちも謝るんだ」と諭し、綿アメを渡す。

「せっかく母さんと姉さんのために買った綿アメなのに、なんであんな奴らにあげちゃうの?」と息子が言うと、
「あの子たちは、人から 愛情をもらったことがないからだ」と言う。

事実、いじめっ子の父親は酒びたりで子どもを怒鳴っているばかりだったのだ。

ある時双子の姉が言う。
「父さんが歳をとって死んだら天使になって見守ってね」

しかし、スティーブはやっと就いた石切り場の落盤事故で仲間を助けるために命を落としてしまう。

夏のある日、子ども同士のケンカが始まる。見つけた銃器を持ち出し、ツリーハウスを巡る子供たちの争いは段々とエスカレートしていく。
父親は生前、息子にこう諭していた。

「お前に戦うなとは言わない。だが、父さんはこう思う。
本当の安全と幸せは愛がもたらすんだ。本当の勇気の源はそこにある。そこから国の力が生まれ、神が奇跡を与えてくれる。愛ってものがなければ全てが無だ。戦うに値するものなどない」

ラストシーンで、人種差別発言をした教師に姉が教室で自分の信念を静かに語る場面は胸を打つ。

原題の「The war」は子供たちの争いが本当の戦争と重なっていくことから。

「8月のメモワール」という邦題は「スタンド・バイ・ミー」を想起させるノスタルジックな内容とも合わせ、秀逸だと思うし、家族愛や国家というものを考えさせる映画である。
そして私は父親の言葉から吉田松陰のある言葉を思い出した。

「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羈縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや、那波列翁を起してフレーヘードを唱へねば腹悶いやし難し」

この言葉は吉田松陰が北山安世に宛てた手紙にある。

独立国として三千年来、他国の束縛を受けなかった偉大な日本が、一夜にして束縛を受けることは熱い血が流れている者なら、座視できるだろうか。
那波列翁(ナポレオン)を奮起させてフレーヘード(vrijheid オランダ語の「自由」)を唱えなければ、怒りが収まらない。

北山安世は、松陰が終生、師と仰いだ佐久間象山の甥であり、嘉永六年の江戸遊学以来の友人である。北山は長崎遊学の帰途、萩に立ち寄り、松陰と会っている。

「自由」という言葉は福沢諭吉の訳語だとされているが、8世紀末の『続日本史』にその語はあるらしい。もちろんその時と現在の概念は異なる。司馬遼太郎は著書で「自由」は危険な言葉であると言っていた。

幕末、文武を練り、自己の生命よりも名誉を重んじた武士階級が海外の侵略に対して傍観するということは考えられないことであった。
欧米列強の植民地になるくらいなら死を選んだだろう。

私は侵略戦争には反対だが、防衛戦争は是とする。日清、日露戦争、大東亜戦争で近代化を果たした日本が傍観していたら朝鮮はどうなっていたか。欧米列強に支配され、塗炭の苦しみを強いられていたアジアの国々はどうなっていただろうか。不羈独立のために立ちあがり、戦い抜いた日本を誇りに思う。

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