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故郷の商店街とフランス人

わが故郷は日本一人口の少ない県で、進学や就職による県外流出に歯止めがかからない。かくいう僕も高校卒業後に都会に憧れて家を出た。実家のある商店街は地方都市の例に漏れず、シャッター通りになっていて、営業している店は一割にも満たない。

昭和26年にこの商店街が全国の嚆矢となった土曜市の賑わいを知っている僕としては寂しい限りだ。時代の流れには抗えず、明治創業の長野紙店も廃業することになった。

屋号のとおり障子紙や襖紙などを商っていたが、昭和35年に母が文房具を仕入れることを提案し、父が自分の趣味でプラモデルを置くことにした。先見の明と言っていいだろう。

夏、中学の半ドン(この言葉も死語だ)が終わって、商店街に入ると氷柱があちこちに置かれ、ハワイアンが流れる。それだけでワクワクした。

クリスマスシーズンには父がレコードから録音した「赤鼻のトナカイ」をテープレコーダーで店内に流し、小さなクリスマスツリーはLEDではもちろんなく、豆電球の暖かな赤黄緑が点滅する。個々の店では歳末大売出しをし、銀行の前でやるくじ引きのガラガラという音が響く。

思えば懐かしいことばかりだ。

一応売り家に出したものの、売れるとは思っていなかった。が、一年半後、仲介業者から連絡があった。

「買いたいという人がいます。フランスのかたです」

興味を持った僕は帰省して仏語教室や観光ガイドをしているというそのフランス人と会った。

16年前、23歳でエンジニアとして日本に来た彼はこの街の海と山に魅了され、日本人女性と結婚し、永住を決意したそうだ。そして今、僕の家をゲストハウスにしたいと言う。

「私はこの街を深く愛しています。商店街の開発に参加できることをとても嬉しく思います」

思わず目頭が熱くなった。この街に生まれ育った僕がこの街を捨て、外国人である彼がこの街を愛してくれている。

彼の故郷のノルマンディーの海もわが故郷と同じようにきっと青く澄んでいるのだろう。
彼が帰ったあと、副店長が感に堪えぬように言った。

「まるで青い眼のサムライですねえ」

実は売却できたという安堵感よりも実家が無くなるという喪失感の方が大きかったが、彼が買ってくれてよかった。ご先祖様もそう思っているに違いない。

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