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二人の天才少女漫画家の悲劇

萩尾望都の「トーマの心臓」を読んだ時、当時読んでいたジャン・コクトーの「恐るべき子どもたち」とヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を思い出し、なんて文学的な漫画なんだと感嘆したことがある。

練馬区の大泉にアパートを借りて住んだ二人の天才少女、竹宮惠子と萩尾望都。漫画界のポールとジョン。

のちに大泉サロンと呼ばれ、24年組(昭和24年頃の生まれで、1970年代に少女漫画の革新を担った日本の女性漫画家の一群)と呼ばれ、少女漫画革命を起こした、と言われた。
しかし萩尾望都にとってはそんな気負いなど微塵もなかった。萩尾にとっては描きたいものを描くだけだった。そんな萩尾の能力に竹宮は憧れ、嫉妬する。萩尾は一度見たものを忘れずに細部まで表現できたという。私の知る限り、漫画界の異才、花輪和一もそうだ。

ある日、竹宮に言われたあることで萩尾は不眠になり、頭痛と食欲がなくなり、全身に蕁麻疹ができ、目は腫れあがり開けていられなくなる。

それから一切竹宮の作品を読まなくなり、大泉のことは記憶の底に封じた。50年間も。

2016年に「少年の名はジルベール」とう竹宮の自伝が出版され(言わずと知れた「風と木の詩」の主人公)、萩尾の周辺が喧しくなる。萩尾はこの自伝も読んでいない。今後読むつもりもない。だから2021年に彼女も自伝を書く。これで全てを終わりにするために。
ただ一度の大泉のことを。あとはそっとしておいて欲しい、と。

このような哀しく、切実な自伝を今まで読んだことがない。

子どもが遊びで池に石を投げる。池にいるカエルが言う、あなたにとっては遊びでも私たちにとっては生きるか死ぬかの問題ですよ。

そんな寓話を思い出した。
私にとって人間関係において忘れてはいけない一冊となった。

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